小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

バラとスズラン、そして、墓場まで……

INDEX|15ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

 と感じているのだった。
 いちかは、そんな自分をどう感じているのか、一度聞いてみたくもあったのだ。
 いちかは、あの時の、悪い女の戯言を忘れてしまったわけではない。しかし、変に意識する必要もなく、意識さえしなければ、彼との結婚生活は悪いものではなかった。そう感じるようになってからのいちかは、専業主婦になってよかったと思っている。
 それまでの会社にいることでの悩みや苦しみは、今の生活ではすでに過去のものであり、今では自分が悩みながらも乗り越えたことで、一歩先に進んだかのように感じていたのだ。
 だが、専業主婦になればなったで。結構大変なこともある、近所からは、
「あの奥さん、パートにも出てないのに、私たちと同じようにしか、区の仕事をしないというのは不公平よね。しかも子供もいないというのにね」
 と陰口を叩かれているのを、風のウワサに聞こえてくるのだった。
 いちかは、それくらいの皮肉は別に構わないと思っていたが、時間が経ってくるうちに、何か体調がおかしくなってくるのを感じた。よく頭痛に襲われることもあるし、夜も寝つかれない。
 眠ろうとしても眠れないのは実に辛いことだ。頭痛であれば、、頭痛鎮痛薬を飲めば、ある程度は落ち着いてくるのだが、ただ眠れないだけというのは、精神的に追い詰めるおとになって、どうしようもなかった。
 しょうがないので、眠りもせずに、リビングで音を最低限にしてテレビを見ていたりするしかないのだが、そのうちに身体が夜行性になってしまった。そのうちに、
「眠れない時は、本を読めば眠たくなる」
 というのを思い出して、本を買いに行って、眠れない時に読むようにしていた。
 昼間に読むと、昼寝をしてしまって、またしても眠れなくなってしまうから、夜眠れない時の睡眠薬代わりに本を読んでいた。そのおかげでやっと眠れるようになったのだが、もし、本を読んでも効果がなければ、心療内科にでも行ってみるつもりだった。
 こういう不眠症は、ほとんどの場合が、ストレスからくるものなのだろう。
 いちかは今までにここまでの不眠症になったことはなかった。受験勉強をしている時は昼と夜が逆転してしまったり、
「眠れる時に眠っておく」
 という、時間の有意義な使い方を最優先することで、体調を崩すかも知れないということに目を瞑ってしまったということもあった。
 いちかが、その時に読んだ本がミステリーであった。
 本格ミステリーではあるが、トリックというよりも、トリックに対して物語が構成されていくという感じのものが多く、
「しょせん、トリックというものは、ほとんど出尽くしていて、問題はそのバリエーションにあるんだわ」
 と感じたことだった。
 この感覚があるので、小説のストーリーから、そんなトリックなのだろうか? と最初に読む時は考えていた。
 ただ、そうやって考えると、まずトリックが分かるということはなかった。何しろ、それまで本などあまり読んだことのないずぶの素人が、プロのミステリー作家が考えたトリックを解明するのはそう簡単なことではない。
 いや、トリックはほぼ出尽くしているので、そのバリエーションなのだろうが、その作家もプロになる前には、他の作家の作品を、今昔で読んでいることであろう。盗作になりかねない場合があるからだ。
 すべてを網羅することはできないまでも、まったく同じものなどはありえないだろうが、それでも、著作権の問題が大きくなれば、作家人生を脅かすことにもなるということなどで、なるべく他の作品にも目を通す必要があるだろう。
 トリックのパターンはいくつかしかなく、細かいトリックをいくつか組み合わせる方が盗作まがい那ことも防げるであろうし、ラストでの意外性を持たせるという意味でも、類似のストーリーがないことを気にしなければいけないだろう。
 そういう意味で、いちかは、ミステリー小説のトリックには、結構明るいところがあるのだ。
 ゆいは、いちかに自分の家にストーカーからの贈り物としての、バラやスズランが意味するものが何なのか、訊いてみることにした。いちかには、最近ストーカーまがいの人がいて悩んでいるということや、今日、警察の生活安全課に顔を出して相談してきたということだけは話した。
 内容がどういうことだったのかまでは分からなかったが、生活安全課がどこまでしてくれるのかということは知っているようだった。
「とにかく、警察というところは、絶対に何かが起こってからでなければ行動してくれないからね。それこそ、誰かが死なないと動いてくれないと言ってもいいくらいで、事件を未然に防ぐなんて考え、ハナッから「ないんじゃないかしら?」
 という。
「でも、防犯関係の課もあるみたいよ。生活安全課というのは、防犯も基準にした考えのところのようだからね」
 とゆいは言った。
「それはあくまでも建前ですよ。警察が、令状や証拠がなければ、いくら自分に確証があっても。踏み込むことはできないですからね」
 もっと言えば警察は、どこかのバーのようなところで網を張っていて、その中で現行犯の暴行事件が起こったとしても、大きなヤマの犯人を検挙するためには、暴力事件を見て見ぬふりをするくらいである。

                新婚夫婦の感情

 勧善懲悪の気持ちから、それを見て見ぬふりをして飛び出した刑事がいたとして、その刑事は他の捜査員から白い目で見られ、被疑者を取り逃しでもすれば、責任問題になりかねない。
 これは難しい問題で、
「大きなヤマを目の前にしていれば、小さな暴行事件くらいは目を瞑らないといけないではないか」
 という上司に対して、行動を起こした刑事は、
「犯罪に大きいも小さいもない」
 と言って、正義感を振り飾る人がいる。
 こういうシチュエーションはテレビドラマなどでは結構見られることだ。そのほとんどが、暴行犯人を見逃さなかった警官に賛美を浴びせるが、果たしてそうであろうか。
 これがいわゆる日本人における、
「判官びいき」
 という考え方であったり、警察にある縦割り社会であったり、管轄という縄張り意識を勧善懲悪で懲らしめるという考えが、美徳とされることでの賛美なのだろう。
 だが、果たして実際はどうなのだろう?
 暴行犯を見過ごすことができなくて、動いてしまったことに、
「警察官として当たり前のことをしただけだ」
 という賛美だけではことは収まらない。
 肝心の取り逃がした犯人というのが、
「警察の地道な捜査で、ローラーを掛けたことで、やっと探り出した相手を、いとも簡単に逃がした」
 ということになるのであれば、本当に暴行犯という、いわゆる「小さな事件」を解決するために、大きな事件を犠牲にするというのはいいことなのだろうか?
 その事件は麻薬が絡んでいるかも知れない。この時に逮捕してしまうと、うまくいけば組織を根こそぎ壊滅させられるかも知れない。逆にこの時できなかったことで、相手もさらに警戒し、二度と警察に逮捕の決定的瞬間が訪れることはないかも知れない。
 もし、この情報が、内偵者によるものだということが相手にバレれば、内通者が殺されてしまう可能性だってあるのだ。