バラとスズラン、そして、墓場まで……
完全に自分の見込み違いだったわけだが、ここまで見つからないとさすがに仕方がない。受付のどこかに聞いてみるしかないと思い、ちょうど目の前にあった受付の女性に聞いた。
「あの、すみませんが、生活安全課というのは、どちらになるんでしょうか?」
と恐る恐る聞いてみると、受付のお姉さんは、
「ああ、生活安全課でしたら、この奥に扉があります」
と教えてくれた。
なるほど、正面ばかりを見てしまっていれば分かるはずもない。言われたとおりに進んでいくと、正面に小さな扉があり、そこに、生活安全課と書かれていた。
「すみません」
と言って、中に入ると、ベテランの婦警さんがいた。メガネをかけていて、こちらを振り返るなり、メガネの縁に触って、度を合わせているかのように、こちらを見たが、やはり度が合っていないのか、こちらを凝視するのが分かった。
「何でしょうか?」
と、あたかも面倒臭そうにされてしまうと、聞いた方の彼女は思わず、億してしまった。
他の人であれば、
――何て、横柄な態度を取るんだ。自分たちの税金で食っているくせに、もっと、市民のために仕事をしているという態度を示してくればいと、税金泥棒と思われるだろうよと感じるのではないか?
と思うほどに、感じる人も少なくはないだろう。
特に、ビクビクしているような女性からすれば、どの角度から見ても、睨まれているとしか思えないに違いない。
すっかり、訪問者はビビッてしまったが、奥から一人の中年男性がやってきて、
「まあまあ、そんなに怯えないでいいですよ。私がお話を伺いましょう。どうぞ、こちらへ」
と言って、奥の簡易応接に案内してくれた。
簡易というのは、扉や壁があるわけでもない解放された一角で、本棚が三方から迫ってきているので、少しくらいの声でも、表に聞こえる心配はなかった。
こういうところを見ても、K警察署が、本当に老朽化していることが分かる光景であった。
彼女は、警察署に入るのは、ほぼ初めてと言ってもいいかも知れない。一度だけ来たのは、結婚して名字と住所が変わった時、運転免許証の名義変更手続きにきたくらいだった。それ以前は、小学生の頃の社会見学として、警察署の見学という授業の一環としてきたくらいのものだった。
その時は、一応、警察内部を歩いてみて回ったが、子供であったし、女の子だということもあり、さほど警察に興味がなかった。
美術鑑賞で、絵に興味もないのに、全員授業の一環ということで中学の時に美術館に行ったことがあったが、あの時も、絵を横目に見ながら、ただ、通り過ぎて行っただけだったが、彼女は興味のないものに対しては、さっさと通り過ぎることにしていた。
――絵が好きな人はいいけど、好きでもないし、興味すらない人に対して、どうして強制的に授業と称して、行かなければいけないのか? 休みにしてくれた方がよほどいい――
と思っていたのだ。
――学校というところは、どうしてそういう興味のない人間を巻き込むことをするんだ?
と思っている。
音楽会も、運動会だってそうだ。特に運動会など、何が楽しいのかとずっと思っていた。
「強制的にやりたくもないものをやらせるのが、教育というものなのか?」
と思い、それまで好きだった学科も嫌いになり、一時期、学校が嫌いになったことがあった。登校拒否とまではいかないが、時々、何らかの理由をつけて、学校を休んでいた。
時に、運動会や音楽会などは絶対に行かなかった。最初の頃は親も、
「どうしたんだい?」
と言っていたが、すぐに嫌だからというのが分かったのだろう。
親の方も、学校行事にウンザリしていたので、子供が行かないのであれば、自分も行かずに済むので、却ってよかったと思っていた。
さすがに何度もそういうことがあると、学校から呼び出されることもあったが、親は別に気にしていない。
学校から呼び出されて困ると思う親は、世間体を気にしたりする人が多いのだろうが、彼女の母親には、そんなものを気にする気持ちはこれっぽっちもなかった。
呼び出されるのは、学校に行くのが面倒くさいというだけのことで、先生が何を言おうとも、別に心に響くわけでもないので、聞き流すだけでいいのだから、後ろめたさの欠片もないので、気が楽だった。
逆に先生の方が理不尽な言い方をしてくれば、こっちも反撃をする用意くらいはしてあった、その時は、この時とばかりに、自分のストレス発散に、学校の先生を使えばいいというくらいに大きく構えていた。
親子でそんな感じなので、学校というところは別に怖いところではなかった。彼女には友達もいないし、関わってくる人もいなかった。だから、苛められることもないし、ただ、学校に行っているだけでもいいと思うのだった。
だが、さすがに、それだけではまったく面白くもない。だから、好きな学科は自分から勉強するようになった。それが、学校が嫌いになったことで、勉強する気にもならなかったのだが、でも、結局は、学校に来ても暇を持て余すだけなので、やっぱり、好きな科目の勉強はするようになった。
「どうせ、学校に来なくても、することがないのだから、暇を持て余すのはどこにいても同じことだ」
と思った。
学校にきて、好きな科目だけを勉強していればいい。好きでもない科目の時は、好きな科目を勉強すればいいのだ。最初は先生も、
「今は、国語の授業だぞ」
と、社会の本を読んでいると、言われたものだが、彼女が無表情で先生の顔を見つめることで、先生はそれ以上何も言えなくなった。
そしてそれ以降、その先生はもう何も言わなくなってきたのだった。
そのうちに、先生からは愛想を尽かされてきたのが分かったが、別に成績が落ちているわけではないので、先生は文句を言えなくんった。確かに違う授業科目の本を読んでいるわけだが、勉強をしているわけなので、強くも言えない。さぞかし、先生をイライラさせたことだろう。
自分の授業中に、他の科目の勉強をしているというのは、本来であれば、屈辱的なことだが、それを大っぴらに注意できない学校というのも、おかしなものだ。
「強制的な授業があるくせに、他の勉強をしていても、そこは怒ってはいけないという決まりでもあるのかしら?」
と彼女は思っていた。
そんな彼女は高校生になった頃から、性格が変わってきた。それまでは、少々のことを怖がったりはしないというような勝気な性格だったにも関わらず、高校生になってからというもの、急に臆病になったのだ。
それは、高校二年生の頃のことだっただろうか、塾からの帰り道、バスを降りてから家まで、少し寂しいところを通るのだった。その道は、大人の男性でも気持ち悪く感じるほどの場所で、塾が終わるのが九時頃なので、それからの帰宅となると、バスを降りる時間は十時近くになっている。その頃には、サラリーマンなどの帰宅の時間を過ぎていて、遊んで帰ってくる人が混んでくるまでの間のちょっとした時間だった。
何が怖いのかというと、街灯が中途半端の距離についていることで、足元から伸びる影がいくつもの放射状に広がっていて、まるで、タコかイカの足のように見えるのだった。
作品名:バラとスズラン、そして、墓場まで…… 作家名:森本晃次