高値の女王様
その気持ちをいつどこで断念することになるかは、その人の性格にもよるだろう、諦めの早い人もいれば、一生懸命にやっていれば、報われると真剣に信じている人もいるのである。
ひなたは。最初から小説という意識はなかった。大学を文学部に選んだのは、
「女の子なら文学部が多いだろう」
という意識と、歴史が好きなので、
「歴史関係の勉強をしたい」
という気持ちが強かった。
三年生になれば、専攻学科を決めて、ゼミに入らなければいけない。二年生になった頃のひなたは、歴史学を勉強するという気持ちに変わりはなく、三年生では入りたいゼミも大体検討をつけていた。
ひなたの好きな歴史は、日本史だった。
最初に歴史を好きになったのは、中学生の頃、最初は平安貴族に憧れたからであったが、そのうちに時代が進むにつれて、戦国時代に入ってくると、戦国武将に興味を持ち始めた。そして戦国武将と同じように興味を持ったのが、城だった。天守閣を持った本格的な城から、櫓に毛が生えた程度の、ただ防衛するだけのための城、目立つことはないが、その発見された構造は、今の建築技術に勝るとも劣らないほどであった。
何しろ当時は、守りが悪ければ、あっという間に染め堕とされる。籠城戦というのは、攻めるよりも守る方が数倍強いと言われる。そうなると、攻める方は持久戦に持ち込もうとするだろう、いわゆる、
「兵糧攻め」
と言われるものだ。
城では攻撃された時の防御だけではなく、籠城戦にも持ちこたえられるだけの力がないといけない。
実際に籠城戦に持ちこたえられると、今度は援軍が来た時、攻めてを挟み撃ちにすることができる。
「戦というのは、籠城戦で一気に片が付く場合は、守る側が有利であり、兵糧攻めが始まると、攻め手が有利だ、しかしそれを持ちこたえることができれば、またしても、形勢逆転となるのである」
と、本には書いてあった。
それを見て。
「本当に面白いわ」
と、まるでゲームをしているかのような感覚になってきた。
そういえば、ゲームの中には戦国時代のものも多く、歴史が嫌いなくせに、マイナーな戦国武将の名前まで知っているのはどうしてなのかと思っていたが、それがゲームのキャラクターだったというのは、実に皮肉な気がする。
ひなたは、戦国武将の肖像画を見ながら、ネットの絵を描くことも多かった。マネしているだけにしか見えないのが、少し気になるとことであったが、そのうちにオリジナルで描けるようになるくらいになれればいいと思うようになっていたのだ。
歴史系のドラマや番組もよく見るので、その時に演じている俳優のイメージが頭に残っているので、肖像画というよりも、そのイメージを描くことが多い。ネットでは番組の公式サイトなどが公開されているので、絵を描こうと思えばできるのであった、
自分では、
「番宣のための、ポスター作りをしているような感覚だ」
と思っていた。
そのイメージから、城の絵も描きたくなった。天守閣にはいろいろな施しがあり、それを基礎知識として頭に入れていると、どんどんイメージが膨らんでくる。最初は戦国武将が多かったが、途中からは城郭の絵を描くようになってきた。
絵を描いていると、自分が芸術家にでもなったかのような気分になってくるから不思議だった。
一度、パソコンで絵を描いていると、どこからか、絵の具のような臭いがしてきた。最初に感じたのは、自分の早だったのか、それともどこかのカフェだったのか思い出せない。ただ、カフェであれば、近くで工事していたり、店自体が店内改装していた可能性も無きにしも非ずであった。
絵の具の匂いなので、シンナーのようなきつい匂いではない、ただ、印象に残る匂いであることは確かであった。
気になるのは、その時だけではなかったことだ。パソコンを開いて絵を描こうとしているその時、どこからともなく、絵の具の匂いが感じられるのだった。
「条件反射のようなものなのだろうか?」
と感じた。
「パブロフの犬」
というたとえのように、梅干の匂いを嗅ぐと、唾液が出てくるという発想と同じではないだろうか。
ただ、この条件反射というのは、いわゆる、「反射」と呼ばれる、
「無条件反射」
とは違うものだ。
「こけそうになると、手をついてしまう」
であったり、
「熱いものに触れた時に、思わず手を引っ込める」
などという、人間が先天的に持っているものが無条件反射であり、条件反射というのは、経験などにより後天的に取得するものを条件反射というのだ。
つまり、誰もが起こすことではなく、自分の経験でかつて絵を描いている時に、絵の具の匂いがしたことを思い出して、その意識の強さが、匂うはずのない匂いを感じさせたとしても、それは無理もないことであろう。
絵を描いているから、匂いを感じたのか、それとも、匂いが頭のどこかに引っかかっているから、絵を描きたいと思ったのか。
普通であれば前者であろうが、後者というのも絶対にないとはいえない。それが条件反射というものの力なのではないだろうか?
カフェで絵を描くようになってから、コーヒーの匂いにも敏感になってきた。今回、バイトをしようと思ってやってきたこの喫茶店では、コーヒーの匂いは独特で、ひなたの知っている匂いではなかった。しかし、懐かしさがあるのはハッキリと分かった、サイフォンを使ってコーヒーを淹れるという昔ながらのやり方は、以前、高校の時の担任の家に遊びに行った時に、嗅いだのを思い出していた。。
あの時は、ドキドキしていた。先生に自分の気持ちを悟られそうで怖かったからである。ずっと受験勉強だけをやっていて、先生との二人だけの時間が心地よいと思っていたのを悟られるのが怖かったのだ。
先生が途中から、ひなたを見る目が少し変わってきた。危険な香りがするということであった。だが、それを自分から拒否することはできなかった。心の奥に、
「先生にだったら……」
という思いがあったのも事実だった。
実際には先生は堪えてくれたのだが、怪しい時がなかったわけではない。その時はちょうど、家族の仲のバランスが壊れかけていたからだった。
先生との逢瀬
先生は、確かにひなたのことが好きだったようだ。
最初は、
「教え子なので、相手が誰でも手を出してはいけない」
という思いを強く抱いていた。
それに、ひなたのような女の子は別に先生の好みではなかったようだ。だからこそ、ひなたが、
「先生、勉強教えてください」
と言って、放課後いつも教室に残って先生に教えてもらっていたのも、
「教室だから」
ということで、他の先生も、他の生徒も意識していなかったようだ。
それがそのうちに、
「今度、先生のおうちに行っていいかしら?」
とひなたがいうのを、さすがに先生も、
「それはちょっとまずいんじゃないかな? 勉強だったら、学校で見てあげるから」
と言って拒否られたものを、いかにして先生の家に行くようになったのかというと、そこは先生の弱みを握ったふりをしたのだ。
明らかな信憑性があったわけではないが、先生の行動をいつも授業中にいていれば、先生の男としての本音が見えてくる。