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高値の女王様

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 住宅街と言っても、昔とは様変わりしているのだろうが、喫茶店は、昔のドラマや映画で見たものと似たような感じだった、扉を開けると、
「カランコロン」
 という重厚な鐘の音が聞こえてきて、喉の渇きを誘発しているようで、思わず、レモンスカッシュでも注文してしまいそうな感じがした。
 とは言いながら、ひなたは、レモンスカッシュを飲んだことがなかった。その感覚を思い出すような懐かしさを感じるのは、映画で見たからなのか、それとも、夢か何かで見たからだったのか分からなかったが、喫茶店というものは、今のカフェのようなところとはまったく違っていたことだけはハッキリと分かった。
 今のカフェは、チェーン店になっていて、大きな駅前であれば、チェーン店の数だけ視点があるのではないかと思うほどで、中には、出口の数だけ店を構えているところもあり、まるでコンビニとどっちが多いかということを考えさせるほどだった。
 これだけ店があるにも関わらず、店の客は結構いるのだ。団体の客も結構いるが、一人の客もかなりいる。団体客の目的はそれほど種類はないだろうが、一人でやってくる客には結構バラエティに富んだ理由があるようだ。
 昔からのパターンで待ち合わせであったり、勉強している人もいる。細菌では、ネット環境が繋がる店も多く、ノマドとして使用している人も多いようだ。ノマドというのは、何かの略語かと思ったが、
「遊牧民」
 あるいは、
「放浪者」
 という意味から来た、
「時間と場所に捉われずに働く人、あるいは、そういう働き方」
 という意味に派生していったということである。
 要するに、これらのノマドワーカーの人が、行動しやすいようになったことで、そこで仕事をこなしたり、勉強したり、趣味の時間に費やしたりということができるのだ。
 昔の喫茶店では、どうしても電源を借りることも難しく、何よりもパソコンなどのない時代であれば、ノートを持っていって、そこに書くという程度のことしかできなかったので、ノマドのような人の出現は、パソコンが普及してからになるだろう。
 何しろ、喫茶店で電源を借りようものなら、店の人に許可を得て使わなければいけない。なぜなら、勝手に電源を借りるというのは、窃盗罪に当たるからだ。それを店側も分かっているので、電源を使う人がまだ少なかった頃は、店側が圧倒的に強く、電源を使わせてはくれなかったらしい。
 一度、中学時代の担任が、授業中の雑談で、
「昔、喫茶店でボイスレコーダーの電源を借りようとしたことがあったんだよ。十数年前くらいだったかな? 私がまだ大学生で、卒論のための取材にボイスレコーダーを使ったんだけど、それを充電しながら聞きとって、原稿にしようと寄ったカフェで、電源を使っていると、どうもうまく充電できていないみたいだったので、電源が故障しているんじゃないかと言ったことがあったんだ。そしたら、勝手に使っているから、こっちで電源に電流を流さないようにしたんだ。だって、あなたのやっていることは窃盗だって言われたんだよね。今だったら考えられないことだけど、それだけノマドは肩身が狭かったし、店は立場が強かった。そして、客もそれが当然だと思っていた時代だっただけに、今の君たちがある意味羨ましいと思うんだよ」
 と言っていた。
 ひなたも、よくパソコンを持ち歩いて、喫茶店で広げて、いろいろなことをやっていることが多かった。
 大学に入って一年生の頃までは、自分は何がしたいのか、何ができると思っているのかということがよく分かっていなかったので、カフェでいたずらに時間を潰してしまうことも多かった。ネットで調べて、楽しめるものがないかということでいろいろ探していたのだ。
「スマホで探せばいいのに」
 とよく友達が言っていたが、スマホではできないことだってあるだろうと思って、スマホは本当に補助程度に使って、ほとんどはパソコンを使用していたのだ。
 最初から、
「パソコンでしかできないこと」
 という意味で探してみると、意外と限られてくるのが分かった。
 しかも、パソコンの優位性はなんと言っても、大きな画面と、キー入力の素早さである。
 どんなにスマホで入力が早くとも、パソコンのブラインドタッチに適うわけはない。それを思うと、おのずと見えてくるものもあるというもので、どんどん、視野は狭まって行った。
 ひなたが始めた趣味というのは、絵を描くことだった。デッサンのようなものと言ってもいいだろう。実際にはキャンバスや画用紙に描いたことはなかったが、ネットで見ていると、絵を描くアプリを入れれば、ペンタブのようなものを使って描けるのだった。
「それだったら、パソコンにしなくても、タブレット端末でもいいんじゃない?」
 と言われたが、
「だって、それだったら、スマホと被るじゃない。パソコンでしかできないことがあるんだから、そっちは譲れないわ」
 と言って、意見を却下した。
 とはいえ、パソコンを使って何かをしようという発想も思い浮かばなかったので、タブレットでもよかったのかも知れないが、タブレット端末はあまりにも陳腐に見えるのが嫌だった。
 元々絵を描くのは苦手だったのだが、パソコンで描き始めるようになってから、描けるようになったというのを見ていると、自分にもできるのかも知れないという気になっていた。
 そもそも、ひなたは暗示にかかりやすい方で、今ならできるのではないかと思ったことは結構できていたりした。それを可能にしてくれたのが、劇画タッチの絵をパソコンで見たからだった。
 細かい線の入れ方によって、影になったりするのを見ていると、そこから人であれば、表情になったり、その表情が感情を写し出したりしているのだ。
 絵を見る時に、細かい部分から広がっていく雰囲気と、逆に広く最初は見てから、どんどん拡大していって、焦点が一点に定まってくるというそれぞれの見方がある。
 自分がどちらなのか分からないと思っていると、とりあえず一点を中心に見るようになった。
 中心を見ることによって、絵というものが、バランスと遠近感にあるのだということに気づいたのだ。
 それはきっと、実際に筆や鉛筆などで描いた手書きの絵であれば分からなかった感覚ではないかと思うのだ。それに気づかせてくれたパソコンによる技法が、自分の絵の才能(あるかどうか分からないが}を芽生えさせてくれたのだと感じた。
 実際にアプリを入れて、パンタブを買ってきて、描いてみると、結構面白いくらいに形になっていった。
 いくつか自分で部屋にあるものなどを描いてみて、ネットの中にある、投稿無料サイトに会員登録をして、作品をアップしたりしていた、
 別にプロでもなく、販売目的でもないのだから、そういうサイトがあるのはありがたい。人によっては、批評してくれる人もいて、中には辛辣な批評をする人もいるが、何も反応がないよりもありがたい。こちらはプロではないだろうから、辛辣な批評は聞き流せばいいだけのことだった。
 友達の中には、小説を書いている人もいる、それは別に珍しいことではない。自分たちの大学は文学部なのだから、
「小説を書けるようになりたい」
 という気持ちは皆が普通に思っていることだろう
作品名:高値の女王様 作家名:森本晃次