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高値の女王様

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 だが、幸いなことにそのようなことはなかった。だが、交際期間が長くなると、自分が想像していたのと少し違った思いがあった。
「交際期間の間、少なくとも、四年近くは結婚までにかかるのだから、お互いに気持ちは変動するものだろう」
 と思っていたが、変動することはなかった。
 しかし、変動することがなかったというだけで、四年という歳月は、感覚をマヒさせるには十分だった。相手を愛するという感覚が、次第にマヒしていっていることに気づいてはいたが、どうしてもマヒした感覚で考えるので、大好きだった気持ちもそれが本当なのかどうか分からなくなる。
 普通なら考えることとすれば、付き合い始めた時の純粋な気持ちであったり、楽しかった時のことを思い浮かべることで、士気の低下を招かないように、気持ちの上でのテンションを保っていこうと考えていたのだろう。
 だが、マヒという感覚は、そんな甘いものではなかった。そもそも、自分が感じるであろう痛みを感じないようにするための、無意識の条件反射のようなものなので、その感覚はお互いに持っていて、同じようにマヒしていったことで、結局お互いに別れるという度胸もなく、同じように結婚相手を他に想像することもできなかったので、考えていた頃に計画通りの結婚に至ったということだ。
 その間、喧嘩することもなく、相手に何ら不信感を抱くこともなかった。
 嫉妬を感じることもなければ、相手のことを無意識に感じているということもなかった。
 感覚がマヒしたと言っても、それは、自分の頭の中で、絶えず何かを考えていたからだということであり、恋愛感情が最高潮のカップルであれば、考え事のほとんどは、付き合っている相手のことだったに違いない。
 だが、この二人に限っては、結婚というのは、ある程度までは、既成字jつのようなもので、いつ婚姻届けを出すかということが一番だった。
 結婚してしまえば、そこから先はやることは決まっていて。新居をどこにするか、あるいは、結婚生活の中で、どのようなルールを決めておくかなどというものであった。
 大恋愛の末の結婚であれば、そのような儀式的な考えは嫌だったに違いない。まるで戦前の頃の許嫁などというそんなマヒした考えは、なかなか許せるものでもなかったであろう。
 それを許す許さないという考えは、あくまでもそれぞれの考えなので、なかなか夫婦間と言っても分かるものではない。そのことを分かると考えるのが大恋愛の末の夫婦にあることであり、今まで、
「相手が一番だ」
 などと感じていたことで、実際に一緒になってみると、まったく想像もしていなかったことから、相性が合わないと思い、すぐに離婚してしまう夫婦もいる。
「成田離婚」
 などという言葉が、平成の最初の頃に流行ったが、まさにそのことに結び付いてくるのであろう。
 昔のように、家だ、家族だという時代と決別し、大恋愛がまるで美徳のように言われていた時代のその反響が、このような成田離婚などという不名誉な名をいただくような時代になっていたのだろう。
 譲二とひなたの結婚は、そんな大恋愛だというわけではない。どちらかというと、まわりから見れば、
「惰性での結婚」
 に見えなくもない。
 本人たちはそんなつもりはなかったのだろうが、結果的にそう見えてしまったのであれば、本当に惰性だったのかも知れない。
 よく、
「結婚するのに、何が決めてだったんですか?」
 という質問をされることがあったが、二人は、それに対して明確な答えを用意できるであろうか?
 今まで聞かれたことがなかったので、あまり気にもしていなかったが、実際には、訊かれることがあれば、何も答えることができなかっただろう。
 そもそもそういうことを聞く人というのは、単純に興味本位の人も多いだろうが、それ以外では、聞くのが男であれば奥さんを、女であれば旦那を、好きだと思っている人が多いのではないだろうか。
 そういう意味で、誰も聞くとがなかったのは、誰も二人の結婚には興味がなく、それぞれの相手を好きだと思うこともなかったということである。まわりにとって二人の結婚は興味もなければ、嫉妬の対象でもないという、ある意味、どうでもいいと思われている結婚だったのだ。
 下手をすれば、結婚したことを公表していたのに、後から、
「結婚していたんですか? 知らなかったです」
 と言われてしまうほどだったことだろう。
 実際に結婚生活というのは、実につまらないものだった。交際期間が長かったことで、ほとんど惰性の結婚だったと言っても過言ではない。逆に、結婚してからも、交際期間の延長であり、ただ、一緒に暮らし始めたというだけのことだった。
 お互いの性格はよく分かっているつもりだった。だから一緒に暮らし始めても、何ら変わりはないと思っていたのだが、
「こんなはずではなかった」
 と思うことが、新婚生活の中で徐々に見えてきたのだ。
 お互いに、相手に対して、
「結婚したのだから、今までとは違うんだから」
 ということを求めていたはずなのに、相変わらずの交際期間と変わらぬ雰囲気や態度、自分が変わっていないことを棚に上げて、
「何で、この人は態度や行動が変わらないの?」
 と思うのだ。
 自分が変わっていないことを理解していない。それが相手の気持ちを逆なでする。お互いに、苛立ちが募っていくのも仕方がないだろう。
 その気持ちはセックスにも表れる。
「あれ? こんなはずではなかったのに」
 という思いは、結婚前であれば、
「これで、毎日だってできるんだ」
 と思っていたにも関わらず、実際に毎日できるようになると、どこかに違和感を感じた。
 すべてを知り尽くしているつもりの身体だったが、交際期間中は、飽きることはなかったのに、結婚してしまい、自分のものということが、公然の下に晒されたと思った瞬間、達成感のようなものがあったのかも知れない、それは、
「これでいつでもできるんだ」
 という思いに至り、本当なら、
「毎日する必要もなければ、義務でもないのだから」
 と思いながらも、男の方が勝手に、
「毎日してあげなければいけない」
 と思い込むのだった。
 女もすでに身体ということでいえば、飽きが来ていた。そこに男が義務感だけで、自分を抱こうとしていることに気づくと、抱かれることが億劫になってきた。完全に気持ちがすれ違ってきた。
 身体が求め合うのであれば、少し冷却期間をおけば、元に戻る可能性もあるのだろうが、身体にお互いに飽きが来ているところに持ってきて、気持ちが完全にすれ違ってしまっていれば、身体を求め合うことはないだろう。
 結婚してすぐくらいから、セックスレスになるという夫婦も少なくはない。結婚してしまったために、セックスが求め合うことから、形式的な義務に変わってしまったのだ。
「これが結婚というものか?」
 と考えさせられる。
 昔であれば、
「子孫繁栄であったり、家名を守るため」
 ということで子作りという儀式的な意味があったのだろうが、今はそんなものは何もない。
 そうなると、他にセックスのはけ口を求めるという考えが生まれてくる。そこに不倫や風俗などというワードが生まれてくるのも、正直無理もないことだ。
作品名:高値の女王様 作家名:森本晃次