高値の女王様
「そうでしょうね。私もあなたがわざとやっているとは思えない。わざとやっていると思われているのは、そう思っている連中は知っているのよ。自分にも似たようなところがあるってね。そして、そんな連中の自分への見方は、たいていが自分の否定から始まると思うのよね。自分を必死になって否定しようとするから、相手の行動は肯定しようとする。だから、あなたのような行動をあざといと思って、決して否定しようとしない。そうすることが自分と他人とを差別化させることなんじゃないかって思うの。あなたは、そんな意識を持ってはいけないの。他人と比較するなんて、あなたには似合わない。あなたには、百年早いのよ」
と、最後は皮肉を込めた言い方をしたが、譲二に伝わっただろうか。
ただでさえ、まわりの目を必要以上に意識しているのに、本当にその考えでいいのだろうか?
譲二に伝わっているかどうかというよりも、今のひなたの言葉が、そもそも本心だったのかどうかから考えてしまった。もし、これが本心からの言葉でなければ、まったくこの話は最初から成立していない。
しかし、ここまで話が通じてくると、成立していない話ではない。成立というのは、
「結論が合っている」
という意味ではなく、
「結論まで話が繋がっている」
という意味で、少し前者よりも、ハードルが低めであった。
譲二の意識は、ひなたに分かっているのかいないのかというよりも、
「もし、譲二さんの気持ちが分かるとすれば、それは私しかいないのではないだろうか?」
とひなたは感じた。
まわりの目を一番気にしていたひなたがいうのだから、それなりに信憑性があるだろう。小心者かどうかというのは、ある意味この際あまり関係がないような気がした。
「コンプレックスというのは自分でそう思っているからコンプレックスなのであって、案外まわりは、それを普通に見ていたりするものだ。むしろコンプレックスを感じてしまったことで、まわりに伝染してしまったとすれば、あっという間に、まわりに充満する可能性を秘めていることになる」
と、言えるのではないだろうか。
この時に直感で、
「結婚するなら、もうこの人しかいない」
と思ったのは、普段、どちらかというと、優柔不断であまりすぐには結論を急がないひなたとすれば、実に異例のことだった。
ただ、ひなたには、買い物をする時の特徴があった、
「高い買い物や、安い買い物をする時に迷うことはないが、中途半端な値段の時に、すぐに迷ってしまう」
というものであった。
値段の安くて、五百円くらいまでのものに迷うことはなく、却って五千円を超えるような高額商品の購入には、そんなに迷わない。
ここでいう、
「迷う、迷わない」
というのは、買うことは決定していて、何を買うのかを迷っているということではなく、
「買う買わない」
ということを迷っているということで、五千円以上のものは、種類は別にして、最初から、必要なものだということが確定しているからだった。
しかし、中途半端な値段のもの、例えば、一人で街にショッピングなどの目的として出かけた時、
「何かを食べよう」
と思って、駅のグルメ街などを徘徊していると、どうにも決めることができなくなってしまう。
「食べようか、どうしようか?」
ということよりも、まずお腹が減ってきていることで、食べるものだということを最初に頭の中に浮かべ、そこから徘徊することになる。
値段的に中途半端だということが頭の中にある。店によって、料理によって値段が違うのは当たり前で、ファストフードのようなものから、高級レストランまで、いろいろである。
確かにファストフードは見た目安いと思われがちだが、ハンバーガ屋みたいなところは、セットで頼んでも五百円を超えるということで、ファストフードにしては高いという意識になり、では、単品でオリジナルのものをと考えると、やはり少し高くなる。それでもオリジナルの方を食べたいと思うのは、好き嫌いを自分で選定できる自由さと、さらにオリジナリティというアマチュアとしてのクリエイターの意識があるからだろう。まずは、頭の中で、ハンバーガー屋はキープすることにある。
では、さらに中途半端な店は?
ということになると、これも、意識としては、マトリョシカ人形のような意識で、迷ってしまうことになる、
では、高級レストランなど、今までの経緯から考えると、最初から意識にないのではないかと思うのだが、考えてみれば、そんなにしょっちゅう、食べ歩くわけではない。
例えば、二週間に一度だったとして、高級レストランで、三千円のものを食べたとしても、日数で割れば、二百円である。毎日、缶コーヒーを一杯分、飲んだことを思えば、それに近い値段になるというものだ。まるで言い訳のような感覚であるが、ひなたの頭が動く構造は、そのようにできているのだった。
それらのものを頭に描き、まず値段の幅から考えるのだが、歩いていて、ショウウインドウのサンプルを見ているうちに、次第にお腹の感覚が満たされてきて、最初に感じた空腹感が、それほどでもなくなってくる。
それなのに、まだ迷っている自分が、不思議な感覚になり、そのまま食事を摂らずに帰ってしまうことも結構あるのだ。
迷っているうちに、心境が変わるのは、食事の時だけではなく、中途半端な値段のものを決める時は、最初に思った欲求が、迷っている時にどんどん低下していくことに、いつの間にか気付いてしまっている。
そこで考えるのが、
「時間の無駄はしたくない」
と思うことで、普通ならさっさと何を買うかを決めようと感じるのだろうが、ひなたの場合は、さっさと購入を諦めてしまう。
もし、そこで割り切らなければ、ずっと迷ってしまっているだろう。要するに、最終的には買わないので、いつどこで割り切ることができるかというのが問題なのだった。中途半端な値段というのは、外食での空腹感から伝染しているものなので、結局迷うことになるのだった。
たとえとしては、おかしなものとなってしまったが、彼との結婚を安易とも言える感覚で、ハッキリと下覚悟を持つこともなく行ったのは、それが高いと思ったのか、安いと思ったのか、自分でもハッキリと分かっていなかった。
むしろ、中途半端な値段のものを買う感覚だったくらいなのに、すぐに判断できたのは、自分の中で、覚悟というか、いや、後から思えば、どこかそれを覚悟だと思うような諦めの気持ちが先に働いていたのかも知れない。
「いずれは誰かと結婚することになるのだから、結婚相手で迷うことをしてしまうと、結局中途半端な相手しか選ぶことはできない」
と、そんな風に考えたのだろう。
それでも、さすがに学生結婚はありえないと思い、少なくとも、譲二が大学を卒業し、就職してから落ち着くまでは、焦ってはいけないと思っていた。
そうなると、おのずと交際期間は長くなる。その間にどちらかが他に好きな人ができたりすると、その時はお互いにどのようになるのか、想像もしていなかった。喧嘩になるかも知れないし、修羅場になるかも知れない。相手に気づかれないように、浮気をするかも知れないなどと、いろいろな想像が頭をもたげていたのだ。