高値の女王様
そもそも、高校時代だって、自らが目立とうとしていたわけではなく、勝手にまわりがあだ名などをつけて話題にしていただけではないか。やっと、普通の女の子に戻ったというだけのことであった。
大学生になると、本当にいろいろな人がいる。ただ、結構オープンな人が多いので、華やかなイメージを抱くが、ひなたも、元々一人で物静かなタイプだったにも関わらず、まわりの雰囲気に流される格好で、入学当初は、たくさん友達を作ったりした。
すると、その友達の中で、
「ひなたさんって、結構かわいいよな」
と言われるようになっていた。
「可愛い? 私が?」
というと、
「そうだよ」
「可愛いなんて言われたことないわ。まるで女王様だって言われていたくらいなんだから」
というと、
「えっ、そうなの? まったくそんな雰囲気には思えない。高校時代のあの雰囲気の中ではそう見えたのかも知れないね。でも、大学生の中では、いかにも大学生という華やかさを感じさせるので、意外とひなたさんは、朱に交われば赤くなるということわざがピッタリなのかも知れないな」
と言っていた。
どっちらかというと、あまりいい意味の言葉ではないような気もしたが、
「高値の女王様」
よりはましであろう。
何しろ、SMクラブをイメージしたあだ名なのだから、女子高というのは、本当にえげつないところだと言ってもいいのかも知れない。
高校生から大学生になる間に受験という暗黒の時代がある。
「まわりは全部敵」
とでもいうような感情は、予備校などで叩きこまれる。
とにかく、勉強が最優先であり、勉強の邪魔になることはそのすべてを排除するかのごとく、当たり前だとでもいうような時代、元々まわりを意識しない性格だったひなたには、辛さというものは何もなかった。これが当たり前のことなのだと思うことで、ひなたは、受験勉強に苦痛はほとんどなかった。
ただ、勉強自体があまり好きではなかったので、集中して勉強することができなかったことが、成績の上がらなかった原因である。それでも、環境に耐えられなかったことがよかったのか、現役で第一志望に合格できたのはよかったと言えよう。
家族も、
「浪人しなかったことが、一番の親孝行だ」
と言ってくれた。
親はひなたに対しては結構甘かった。何も言わなくても、逆らうこともしなければ、してほしいことをそれなりに忖度して自分から行動する方だった。それは大人になっても変わりない。高校時代に、凛々しく見えたのは、そういうそつのないところが起因したのではないだろうか。
ひなたの親は、いつも仲が良かった。いつも休みの日になると、二人で出かけていた。中学一年生くらいまでは、ひなたも一緒だったが、思春期に入ってくると、親と一緒にいるというのが、少し恥ずかしくなってきたのだ。
それはどこの子も同じことなのだが、他の親は少し寂しく思うのだろうが、
「娘が一緒にいないのなら、もっと二人が仲良くなればいいんだ」
と、親の仲はさらによくなっていった。
それがいいことなのだろうと思っていた、ひなただったが、高校生になった頃から、親の仲が微妙になってきた。
いつでもどこでもと言ってもいいくらいに仲が良かったのに、急に仲が悪くなってきた。父親の帰りは遅くなり、母親も昼間パートに出るようになると、家にいる時間が少なくなってきた。
「食事は何か好きなものでも食べてきなさい」
と、母親から夕飯代を貰ってはいたので、最初の頃は喫茶店などで食事をしていた。
しかし、そのうちにそれも面倒になり、受験勉強もあることから、コンビニの弁当のような簡素な食事に変わっていった。
だから、大学生になってから、その思い出があるからか、友達には、嫌いな食べ物として、
「コンビニの弁当」
と言って、決して食べようとしなかった。
本当はほか弁でもいいのだろうが、どうしても十分くらい待たされる。それが嫌だったのだ。
「ほか弁屋で十分待たされるくらいなら、喫茶店で食事を摂った方がよっぽどいい」
と思っていた。
それでもコンビニの弁当で通したのは。どこか親に対する反発があったのか。どうやら、一度の喧嘩が二人の間に大きな溝を作ってしまったようである。
喧嘩自体はすぐに収まったのだが、その後遺症なのか、お互いぎこちなくなり。まるで他人のような感じだった。あれほど仲の良かった二人がどうなってしまったのか、ひなたには想像もつかなかったのだ。
「一度掛け違えたボタンは、その下も全部狂ってくるのだが、最後になって狂っていることに気づくというのは往々にしてあることだ」
という話を以前聞かされたが、その時は何を言っているのか分からなかったが、親の不仲で思い出したこの言葉、その時にはおぼろげではあるが、話の内容が分かった気がした。
それでも両親は離婚することはなかった。父親が誠意をもって謝ったからだということだが、喧嘩の理由に不倫や浮気があったわけではなく、元々は些細な口喧嘩だったという。
今まであれだけ喧嘩もなかった夫婦で、
「お母さんは、何も言わなくても、お父さんの気持ちを察してくれる」
と、言っていたのが、急にこんな風になるなど、分かるわけもなかった。
それでも、大学に入って、少し友達ができると、
「仲がいいつもりでも、言葉にしないと分からないところがある。相手が何でも分かってくれると思うのは、こっちの思い上がりだよ」
と聞かされたことがあったが、実際にそうであった。
しかも、普段から会話をしていても、一度何かの蟠りであったり、相手が落ち込んでいるので話しかけるのは失礼だと思って話しかけるタイミングを一度でも逸してしまうと、そこから関係を修復していくことは難しかった。
その時の経験から、またしても、ひなたは、友達の中でも浮いた存在になってしまった。友達として、まるで幽霊会員のようになってしまったのだが、皆でどこかに出かけるという時もただついていくというだけで、いつも一人端の方にいて、楽しいわけもなかった。
「あの子、今日も来てるわよ。いい加減、気付かないのかしらね?」
と一度、女子トイレでひなたが入っているのを知らずに、洗面所でそんな話が聞こえてきた。
相手を誰だとは限定しているわけではなかったが、明らかに自分のことだとしか思えなかった。
次から参加することがなくなると、幽霊会員は、自動的に除名になったようで、誘いスラ掛からなくなった。
それまでも参加していたのは、
「ひなたも来るでしょう?」
と、誘われたからであって、、別に嬉しくて参加するわけではなかった。
――せっかく、誘ってくれるのだから――
というだけの理由で、気持ちは「お付き合い」をしているだけだったのだ。
それなのに、誘っておいて、そんな言い方をされる思いはなかった。
もちろん、その時に表にいた人が、自分を誘ってくれた女の子ではないと思うのだが、これは完全にコケにされていると思うと。もう参加をすることも、義理立てているつもりになることも、まっぴらごめんだった。
ひなたは、
「この性格を両親のどちらから受け継いだのだろう?」
と思った。