高値の女王様
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年六月時点のものです。それ以降は未来のお話なので、これは未来に向けたフィクションです。
高値の女王様
不倫というものがどういうものなのか、結婚するまでは、知らなかった西垣夫妻のツあである、ひなた。
彼女は、高校時代まではずっと女子高で、どちらかというと耳年魔であったが、実際に彼氏がいたことはなかった。スリムで清楚な感じがするひなただったが、それが気の強さを感じさせるのか、男子が気軽に声を掛けるというタイプではなかった。クラスの中で、彼女のことを、
「綺麗な女性だ」
として、密かに思っている人は多かっただろうが、声を掛ける勇気をある人は少ない。
いわゆる、
「高嶺の花」
というべきであろうか。
高原の嶺に咲く、一輪の花。目立つには目立つが、色の激しさに目元が狂ってしまいそうで、凝視することができない、そんな女性であった。
バラなどのように、真っ赤でとげがあれば、美しさの裏に、怪しい妖艶さを醸し出しているようであるが、高嶺の花に関しては、手を伸ばしても届かないとことにあるから高嶺の花なのであって、最初から意識することすら意味のないことではないだろうか。
しかし、人によっては、そんな高嶺の花に対して無謀にも挑んでいく人間もいて、それは万が一の場合を考えてなのか、声を掛けることすら、ありえないということであろう。
だが、上には上がいるというもので、同じクラスには、さらに注目される女の子がいた。彼女の場合は、実に活発的で、彼氏がいなかったことはないと言われるほどなのだが、相手が複数だったことも珍しくはない。絶えず三人くらいの彼氏がいたようで、それぞれに使い分けていたということだから、ひなたが、
「高嶺の花」
だというのであれば、彼女の方は、
「赤いバラにふさわしい、女王様」
と言ったところであろうか。
ただ、絶えず男を侍らせているようなハーレム状態というわけではなく、うまく使い分けているという分には、実にあざといと言ってもいいだろう。
もちろん、男たちは自分以外にも男がいることはよく分かっている。しかも、相手は高校生というわけではなく、大学生であったり、チンピラ風の相手であったりと、彼女の付き合う相手のスペックは最低な男が多かった。
単純に、
「ハーレム状態を味わいたいだけだ」
ということではないかと言われていて、実際にすぐにそのメッキは剥がれてしまったようだが、一時期は明らかに学校の中でも群を抜いて目立つ存在だった。
そういう意味では、
「一世を風靡した」
と言ってもいいだろう。
実際にそういう人はどこにでも一人はいるもので、まるで、マラソンのペースメーカーであるかのように、スタートダッシュだけでどこまで行けるかというだけで、一種の目立ちたがり屋に見えたのは、どちらに対して失礼なことだったのだろうか?
ひなたは、最初からそんな女を相手にすることはなかった。そもそも、
「自分はレースにも参加しているわけではない」
と思っているからで、レースの意味スラ分かっていないと言ってもいいだろう。
明らかに高嶺の花を地で言っているというわけで、クラスメイトからは一目置かれていた。
ひなたには、同級生に、女王様として一時期だけ君臨していた彼女がいたので、自分は、そんな女にはなりたくないという思いが強く、どこか品位を持った、そして、まわりを見下すくらいの目線で男性を見るくらいになっていた。
にわか女王様ではなく、ひなたの方が本当の女王様のように見えたことから、クラスメイトから、
「高嶺の女王様」
と言われるようになっていた。
知らない人が聴けば、いかにも気が強いだけの、男性を見下す女なのだろうかと思われるが、その時に感じるのは、
「品格など二の次だ」
と思われているということだろう。
しかし、ひなたはそんな女ではなく、女王様というよりも、王妃と言った方が的確ではないかと思われたのだ。
ひなたは女子高でよかったと思っている。男女共学だと、きっとちやほやされることは分かっていたからだ。男子に限らず、まわりから注目を受けたり、人と絡むのは嫌いだった。それは、自分が嫉妬深い女であるということを分かっていたからだ。
嫉妬というのは男に対して抱くだけのものではない。
自分以外の人がちやほやされたり、何かで表彰されるというのを見るに堪えないと思うほど、嫉妬心を抱くと言ってもいいだろう。他の人であれば、
「自分に関係のないことで表彰されるんだから、自分のことのように喜ばしいとは思えないの?」
という人がいるが、その気持ちが分からなかった。
「ええ、分からないわ。どうして、皆他人のことなのに、自分のことのように喜べるの? だって恨めしいだけじゃないの?」
と、こういう嫉妬に関しての話になると、ひなたは黙ってはおけないタイプだったのだ。
「他人のことだから、祝福できるんじゃないの?」
という。
「どうしてなのか分からない」
と、言い合うがここから先は水掛け論にしかならないので、論議するだけ無駄であった。
自分がそう思うということを主張しているのだから、どちらも正しいし、どちらも間違っていないのだ。それを論議として争うのは、お門違いというものではないだろうか。
このあたりの考えが、普通の人と違っていることで、これまで、
「高嶺の女王様」
としての株が少し下がって、酷い言い方をする人の中には、
「高値の女王様だ」
と言われるようになった。
まるで、高級SMクラブに勤めている女王様のようではないか。
そんな女王様として君臨しているひなただったが、成績はそれほど優秀だったわけでもなく、大学は中級クラスの地元私立大学の文学部に進学した。マンモス大学として有名で、その文学部を第一志望にしていて、普通に現役で合格できたのだから、
「高値の女王様」
と言われている佇まいというか、外見以外は、普通の平均的な女の子だと言っても過言ではない。
「二十歳過ぎればただの人」
という言葉があるが、まさにそんなイメージを漂わせているのは、大学に入ると、いろいろなところからたくさんの人が集まってくる。平均的でしかないひなたは、次第に目立つこともなくなり、
「高値の女王様」
などと言われていたことは、まるで今は昔であるかのように、まわりに埋もれていき、良くも悪くも目立つことはなくなっていた。
高値の女王様
不倫というものがどういうものなのか、結婚するまでは、知らなかった西垣夫妻のツあである、ひなた。
彼女は、高校時代まではずっと女子高で、どちらかというと耳年魔であったが、実際に彼氏がいたことはなかった。スリムで清楚な感じがするひなただったが、それが気の強さを感じさせるのか、男子が気軽に声を掛けるというタイプではなかった。クラスの中で、彼女のことを、
「綺麗な女性だ」
として、密かに思っている人は多かっただろうが、声を掛ける勇気をある人は少ない。
いわゆる、
「高嶺の花」
というべきであろうか。
高原の嶺に咲く、一輪の花。目立つには目立つが、色の激しさに目元が狂ってしまいそうで、凝視することができない、そんな女性であった。
バラなどのように、真っ赤でとげがあれば、美しさの裏に、怪しい妖艶さを醸し出しているようであるが、高嶺の花に関しては、手を伸ばしても届かないとことにあるから高嶺の花なのであって、最初から意識することすら意味のないことではないだろうか。
しかし、人によっては、そんな高嶺の花に対して無謀にも挑んでいく人間もいて、それは万が一の場合を考えてなのか、声を掛けることすら、ありえないということであろう。
だが、上には上がいるというもので、同じクラスには、さらに注目される女の子がいた。彼女の場合は、実に活発的で、彼氏がいなかったことはないと言われるほどなのだが、相手が複数だったことも珍しくはない。絶えず三人くらいの彼氏がいたようで、それぞれに使い分けていたということだから、ひなたが、
「高嶺の花」
だというのであれば、彼女の方は、
「赤いバラにふさわしい、女王様」
と言ったところであろうか。
ただ、絶えず男を侍らせているようなハーレム状態というわけではなく、うまく使い分けているという分には、実にあざといと言ってもいいだろう。
もちろん、男たちは自分以外にも男がいることはよく分かっている。しかも、相手は高校生というわけではなく、大学生であったり、チンピラ風の相手であったりと、彼女の付き合う相手のスペックは最低な男が多かった。
単純に、
「ハーレム状態を味わいたいだけだ」
ということではないかと言われていて、実際にすぐにそのメッキは剥がれてしまったようだが、一時期は明らかに学校の中でも群を抜いて目立つ存在だった。
そういう意味では、
「一世を風靡した」
と言ってもいいだろう。
実際にそういう人はどこにでも一人はいるもので、まるで、マラソンのペースメーカーであるかのように、スタートダッシュだけでどこまで行けるかというだけで、一種の目立ちたがり屋に見えたのは、どちらに対して失礼なことだったのだろうか?
ひなたは、最初からそんな女を相手にすることはなかった。そもそも、
「自分はレースにも参加しているわけではない」
と思っているからで、レースの意味スラ分かっていないと言ってもいいだろう。
明らかに高嶺の花を地で言っているというわけで、クラスメイトからは一目置かれていた。
ひなたには、同級生に、女王様として一時期だけ君臨していた彼女がいたので、自分は、そんな女にはなりたくないという思いが強く、どこか品位を持った、そして、まわりを見下すくらいの目線で男性を見るくらいになっていた。
にわか女王様ではなく、ひなたの方が本当の女王様のように見えたことから、クラスメイトから、
「高嶺の女王様」
と言われるようになっていた。
知らない人が聴けば、いかにも気が強いだけの、男性を見下す女なのだろうかと思われるが、その時に感じるのは、
「品格など二の次だ」
と思われているということだろう。
しかし、ひなたはそんな女ではなく、女王様というよりも、王妃と言った方が的確ではないかと思われたのだ。
ひなたは女子高でよかったと思っている。男女共学だと、きっとちやほやされることは分かっていたからだ。男子に限らず、まわりから注目を受けたり、人と絡むのは嫌いだった。それは、自分が嫉妬深い女であるということを分かっていたからだ。
嫉妬というのは男に対して抱くだけのものではない。
自分以外の人がちやほやされたり、何かで表彰されるというのを見るに堪えないと思うほど、嫉妬心を抱くと言ってもいいだろう。他の人であれば、
「自分に関係のないことで表彰されるんだから、自分のことのように喜ばしいとは思えないの?」
という人がいるが、その気持ちが分からなかった。
「ええ、分からないわ。どうして、皆他人のことなのに、自分のことのように喜べるの? だって恨めしいだけじゃないの?」
と、こういう嫉妬に関しての話になると、ひなたは黙ってはおけないタイプだったのだ。
「他人のことだから、祝福できるんじゃないの?」
という。
「どうしてなのか分からない」
と、言い合うがここから先は水掛け論にしかならないので、論議するだけ無駄であった。
自分がそう思うということを主張しているのだから、どちらも正しいし、どちらも間違っていないのだ。それを論議として争うのは、お門違いというものではないだろうか。
このあたりの考えが、普通の人と違っていることで、これまで、
「高嶺の女王様」
としての株が少し下がって、酷い言い方をする人の中には、
「高値の女王様だ」
と言われるようになった。
まるで、高級SMクラブに勤めている女王様のようではないか。
そんな女王様として君臨しているひなただったが、成績はそれほど優秀だったわけでもなく、大学は中級クラスの地元私立大学の文学部に進学した。マンモス大学として有名で、その文学部を第一志望にしていて、普通に現役で合格できたのだから、
「高値の女王様」
と言われている佇まいというか、外見以外は、普通の平均的な女の子だと言っても過言ではない。
「二十歳過ぎればただの人」
という言葉があるが、まさにそんなイメージを漂わせているのは、大学に入ると、いろいろなところからたくさんの人が集まってくる。平均的でしかないひなたは、次第に目立つこともなくなり、
「高値の女王様」
などと言われていたことは、まるで今は昔であるかのように、まわりに埋もれていき、良くも悪くも目立つことはなくなっていた。