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高値の女王様

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「それは僕もそう思うんですよ。だけど、僕はその言葉をなるべく聞き流すようにしているんです」
「聞き流すことなんかできるの? 結構、厳しい言葉なんじゃないかって思うんだけど、だから私にはできない」
 とひなたが歯ぎしりでもしそうな勢いでそう答えた。
「うん、僕にはできるよ。その場限りという言葉だって、悪い意味で使うことが多いけど、そうではないことだってあるはずだからね」
 と意味深な言い方だが、しょせん中途半端な言い訳にしか聞こえなかった。
 だが、彼の顔を見ていると、どこか自信に溢れているように見えるのは、やはりその目力のせいではないか。押し切られそうなその顔に、説得力があるように感じられ、
「あなたを見ていると、本当にそうなのかも知れないと思うんだけど、でも、私はすぐに我に返ってしまって、我に返ると、自分がその言葉を言われた時のことを思い出して、背筋が寒くなるのを覚えるのよ」
 とひなたは言った。
 その日から、ひなたは、譲二の顔が瞼の裏にちらついてしまい、気が付けば目を閉じていた。
 ひなたは、人の顔を覚えるのが苦手だった。人の顔を覚えようと思えば思うほど、忘れていく。
 忘れていくというよりも、次に見た人の顔が頭の中に残ってしまい、前に見た人の顔を忘れるという構造になっているのだと自分なりに理解していた。
 それなら、どうして他の人は他人の顔を一目見ただけで覚えられるというのか? 自分にとっての、七不思議のひとつのようだった。
 そもそも、七つも自分の中に不思議なことがあるのかとも思ったが、逆に七つでは足りなかったようで、新しい疑問が湧けば、今まで感じていた最初の疑問が次第に消えていく。押し出されると言っても過言ではないだろう。
 ふと考えると、人の顔の意識もそういう構造になっているのだと自分で考えていたのだ。それはきっと勝手な妄想ができることをできないというように錯覚させる感覚、
「そうだ、これこそ、小説を書けないと思い込んでしまう心理と同じなのではないだろうか?」
 と感じた。
 同じ発想が、まるで「わらしべ長者」のように、発想の連鎖反応を起こしているのではないだろうか。
 ひなたは、元々人の顔を覚えるのが苦手だったわけではない。あれは、中学の頃だっただろうか。友達と待ち合わせをしていて、その人とは数回しか会ったことのない人だったが、見間違えてしまうほど、特徴のない顔でもなかった。
 待ち合わせをした時、後ろ向きだったのだが、髪型も見覚えのあるものだったし、実際に待ち合わせた場所にドンピシャでいたのだから、間違いないはずだった。
 そこで、脅かしてやろうという、小さな悪戯を思いついたのだが、後ろからそっと近づき、まるで恋人同士のように、
「だぁれだ?」
 とばかりに、目いっぱいのおちゃめな姿で、その人に抱き着いたのだ。
 その女性は、こちらを向いてビックリしていた。よく見ると、友達とは似ても似つかぬ大学生くらいのお姉さんだった。
「あっ」
 と思ったが当然のごとく、もう遅かった。
 相手の女性は完全に凍り付いて、その場に立ちすくんでいた。その表情を見て、ドキッとしてしまったが、こっちも臆してはダメだと思って、精いっぱいに虚勢を張ったが、しょせんは空元気であり、相手からはさぞかし、酷い顔に見えたことだろう。
 ひなたも、彼女の顔を恐ろしく感じ、その時のことがトラウマになって、人の顔が覚えられなくなった。一度誰かに会うとその顔が頭にこびりついてしまって離れない。逆を言えば、いくら覚えても次に違う人の顔を見ると、またしても頭から離れなくなって、他の顔が入り込む余地がなくなるのだった。
 しかも、頭の中のキャパシティもそんなに広くない。印象付けることが人の顔を覚えることになるという意識が、無条件反射のようにこびりついているので、そこは外せない。そうなると、本当に人の顔が覚えられないのは、残ってしまったトラウマと無条件反射の矛盾した意識から来るものなので、どんなに努力をしても、自分でどうにかなるものではないのだ。
 それは記憶という感覚とは違うものだ。覚えることが、すべて記憶することだというわけではなく、印象付けることが覚えるということだというのを、本当は無条件反射で分かっていたはずなのに、自業自得とはいえ、自分自身でその構造を破壊してしまったのだ。
 そうなってくると、もう二度と自分が人の顔を覚えることができなくなってしまうのだろうか?
 それを思うと、どこまでが自分の思いなのか分からなくなってくる。自分の感情というのは、元来自分に味方をするものなのだが、いくつかのリズム、そう、バイオリズムが噛み合わないと、感情は、自分の思い通りには動いてくれない。それが、ひなたの場合、
「人の顔を覚えること」
 だったのだ。
 ひなたにとって、他にもいくつかの理不尽な思いから、できなくなったこともあるようだが、人の顔を覚えられなくなるほどの大きなものはない。だから、
「私は営業職や、サービス業のように、人の顔を覚えていないとできないような仕事はできないんだわ」
 と感じていた。
 だから、本当なら、大学時代に手に職をつけるか、教職員になるかなどの資格を持っていなければいけないと思っている。
 もっとも、どの仕事につこうとも、人間相手であれば、人の顔を覚えられないというのは致命的なことだろう。
 また、同じ人であっても、その顔がまったく違っていて、すぐには分からないことがある。服装で変わってみたり、髪型や化粧で変わることもあるだろう。それも見分けることができない。人の顔を覚えることができないのだから、それくらいのことは当たり前に違いない。
「ねえ、ひなたは、どうしてそんなに人の顔が覚えられないの?」
 といじわるっぽく聞かれたことがあった。
 その時は、今のような分析を自分でできていない時だったので、何も言えなくなってしまっていた。
「どうしてなんだろう? 次に違う人の顔を見たら、その人の意識が移ってしまって、覚えていた顔が急に消えてしまったという感じなんだと思うわ」
 と、自分が感じている中で、一番無難に思える考えを話した。
 これで一番無難に聞こえるというのだから、ひなたとしても、自分が普段から何を考えているのか、よく分かっていない証拠であろう。
「私が分析などという言葉、どうにも曖昧な答えをする時に、ごまかす方法として使っているのではないだろうか?」
 と感じたのだ。
 譲二は、そんな人の顔を覚えることのできないひなたに対して、
「ひなたちゃんは、人の顔を覚えられなくても、僕がひなたちゃんの代わりに覚えてあげるよ」
 という、おかしな言い回しをした。
 人によってはドン引きする言葉だし、何を考えているか、疑いたくなってくる。何よりも、相手に対して失礼な言い方なのではないかと、当事者のひなたはそう思い、不愉快な気分になった。
「そんな慰めにもならないことを言わないでよ」
 と、さすがに不愉快なので、一応気を遣ったつもりでそういったが、どういっても、皮肉であることには変わりない。
作品名:高値の女王様 作家名:森本晃次