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高値の女王様

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「同じ場所でも、環境に違いを感じた時、するはずのない匂いを感じるというのは往々にしてあるのではないかと私は思っています。それが人間のどのような感情と作用しているのかは分かりませんが、そういうところから、普段は感じることのないけれども、ひょっとするとその人の才能を目覚めさせるきっかけになっているんじゃないかと思うんだよ。その思いが、最近では強くなってきたんだけど、そのきっかけがこの店の開店だったのではないかと思っているんだよ」
 とマスターは言った。
 マスターとの会話から、ひなたは、デッサンを数枚描いてきて、それをマスターに見てもらおうと思った。最初に描き始めた頃の作品も合わせてになるが、デッサンというのは、やろうと思えば、どこでもできるから、気は楽である。
 しかし、どこか静かなところに行ってみたいという気持ちがあるのも事実だが、なかなか行く機会もない。車があるわけでもないし、誰かが連れて行ってくれるわけではない。
「今度彼氏を作るとすれば、どこかそういうところに連れて行ってくれて、一緒に何か芸術作品をそれぞれで作ることができるような人であれば嬉しいな」
 と感じるようになった。
 マスターは、芸術の師匠として、尊敬に値する人ではあるが、あくまでもそれだけの人であった。正直、だいぶ年上の人は、先生だけでよかったのだ。
 ひなたは、油絵のような凝ったものが描けるわけではない。デッサン中心なので、鉛筆画中心になる、マスターに、そのことを告げると、
「ああ、もちろん、いいとも。作品によっては、油絵よりもデッサンの方がよりリアルに見えるものもあるからね」
 と言ってくれた。
「どういう意味ですか?」
 とひなたがいうと、
「デッサンというのは、君も描いていると分かってくると思うんだけど、光と影のようなものを濃淡で表して、それを少し遠くから見ることで、立体感を味わわせるというのが基本なんだけど、元々、鉛筆は一色だけど、紙は白、つまり、白黒映像を見ているようなものなんだよ。君は白黒映像というのを見たことがあるかい?」
 と言われて、
「以前、一度見たことがあります、高校の時に、映像研究部に所属している友達から見せてもらったんですが、確かにリアルな感じがしましたね」
 と、ひながたいうと、
「そうだろう? カラーになると鮮明ではあるけど、その分、セットなどの仕掛けが見えてしまう。ピアノ線でつるしていたような昔の撮影方法だと、加工しないと、完全にセットだと分かるよね。特撮なんかでも、セットを組み立てて撮影していると、どうしても、背景が絵であるのは分かってしまうよね。昔の映像はそのあたりもありきで見ないと、なかなか理解するのが難しいと思うんだ」
 とマスターは言った。
「白黒だと、そのあたりのごまかしがきくということですか?」
「実際に昔のお粗末な映像では、フイルム自体に傷があったりすれば、そのまま映像に出てくるからね。逆にその方が後になって見ると、却って新鮮だったりするんだよね。これも人間の心理なのかも知れないな」
 と、マスターは言う。
「効果音なんかも、昔だったら違っているかも知れませんね」
 とひなたがいうと、
「そうなんだよ。それは時代劇なんかで私は感じたものだよ。昔の白黒の時代。昭和三十年代などの映像を見たりすると、刃がぶつかり合った時の甲高い音はまったくしないんだ。まるで、木刀で斬り合っているかのような雰囲気に、見ていると白ける気がするんだけど、考えてみれば、役者さんは、あの状態で殺陣を演じているだよね。音もないのに、よくあれだけ迫真の演技ができると思うよね」
 とマスターがいうので、
「でも、あの効果音は結構映像界では、革命だったんじゃないですかね? 本当に刀が重なった音というのは、あんな音が出るんでしょうかね?」
 というと、
「出るんじゃないかな? でも私はあの音よりも、人が刀で斬られるという方が何かすごい気がするんですよ。だって、服の上から刀で斬るわけでしょう? 直接突くのではなく。あれで時代劇のように、何人も相手して、一気に斬れるものなのかって思いますよね。突き刺した方が早いのに」
 とマスターが言ったが、
「それは、まずいでしょう。相手が一人だったらいいけど、たくさんの敵がいれば、突き刺してしまえば、抜くまでの時間に、斬られてしまう可能性がある。突きは、一対一でしかできないですよね」
 とひなたは言った。
「その通りだね。ちなみに、槍などのようなつくことに特化した武器は、槍の先の方に赤い房を巻いていることが多いんだ。それは槍えいと言って、突いた時に相手が流した血が、柄に血が流れてこないようにするための血止めとして使用しているらしいんだよ」
 と、教えてくれた。
「血の臭いって、どんな臭いなんだろう? 実は今までに、何度かいろいろな血の臭いを嗅いだことがあったんですが、その時々で臭いが違ったような気がしたんですよ」
 とひなたがいうと、
「それはそうだろうね。血液の成分は鉄分などが含まれているので、身体の外で出れば、酸化してしまうだろうから、表に出てからの経過時間でも、随分匂いが違ってくるように思えるんだ」
 とマスターは言った。
「それはあるかも知れませんね。ケガをしたりした時の匂いであったり、生理の時の匂いなどは、両極端な意味で、結構匂いがきつかったりします」
 というと、
「自分の身体から出たものの匂いと、他人の身体から出たものでも違ってくるからね。意外と自分の身体から出たものの方がきついような気がするのは気のせいかな?」
 とマスターがいうので、
「そんなことはないと思います。私も同じことを思っていたんですが、話が話だけに、楽しい会話の時にできるものじゃないですからね。マスターが相手だとどうしてできるんだろう?」
 というと、
「それはきっと、相手が年上だという安心感があるのと、ひなたさんの中で、話が合うということを自覚しているからではないですか?」
 とマスターは言った。」
「そうかも知れません。でも、安心感を年上の人に感じるのはいいことですよ。親をイメージする人もいるでしょうし、逆に親から安心感を与えられていない人が、年上に感じるものというと、親に感じたいものを考えるでしょうからね。それはやっぱり安心感なんじゃないでしょうか? どちらにしても、安心感を年上に感じるというのは、当然の感覚なんですよ」
 とマスターは言った。
「それは自然に感じることができているということでしょうか?」
「ええ、その通りです。ひなたさんは、よく理解できていると思いますよ」
 というので、
「マスターはまるで学校の先生みたいですね?」
 と聞いてみると、
「ええ、私は、数年前まで中学校で教師をしていたんです。ちょっとした問題が起こって、責任を取って、辞めることになったんです」
 というではないか。
 マスターに懐かしさを感じたのは、元先生だということだからだろうか。だが、前に付き合っていた先生とはまったく正反対で、先生が肉食系のイメージが強く、簡単にひなたにひっかかったのと比べ、マスターは聖人君子のような人で、人間的に安心感と信頼がおける相手なのだと思うのだった。
作品名:高値の女王様 作家名:森本晃次