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高値の女王様

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 そんなひなたの性格を、高校時代に付き合っていた先生は知っていたのかも知れない。
 先生はひなたのことを横から見るわけではない、先生と生徒という立場もあるので、必ず上から見ていたはずなのだ。
 それは上から目線というわけではなく、どちらかというと保護者という感覚に近いものだった。
 上から見れば見るほど、彼女の性格は叙実に分かるもので、それでも、好きになられたという負い目のようなものがあるので、先生は深く考えないようにした。だから、先生もひなたの身体に溺れたのだし、悪い方に考えた自分を否定したいと思うのだった。
 先生は、ひなたのことを、
「この子は、何か反省することがあっても、その時には殊勝なことを言って反省しているように見えるが、実は、深く考えていないんだ。すぐに都合の悪いことは忘れてしまうんだ」
 と感じていた。
 だから、自分で何かの努力をしようとはしない。その分、人と反発することはない。反発しても負けることが分かっているからだ。
 もちろん、ひなたはそんなことを自分で知る由もない。ただ、まわりからは時々言われている。
「あなたは何かをすればすぐに謝って、恐縮するけど、それはその時だけのことで、すぐに忘れてしまうんでしょう?」
 と言われても、言い返すことはできなかった。
 それは、自分で分かっているからではない、分からないから、どう言い返せばいいのかが分からないのだ。それを人は、また、
「その時だけの殊勝な態度だ」
 と受け取るのだろう。
 しかし、実際にひなたはそんな感情ではない。言われていることの意味が分かっていないのだ。
 要するに、
「そんな簡単なことも分かっていないのか?」
 と思われるレベルの話であった。
 底辺に近いところで考えが前を向いていないのだから、平行線が交わるわけもない。それだけ、レベルというところで、まったく違う線を見ているのだから、話が通じるわけもなく。まわりからも、まともな角度で見られるわけもなかった。
 ただ、大学生になってから、
「あなたはその場限りの反省しかしない人だ」
 と言われると、少しショックに感じるようになっていった、
 高校時代までは、そう言われてドキッとしないわけではなかったが、それでいいという思いがあったからなのか、ひなたには、余計なことを感じないという思いが条件反射のように繋がっていたのだ。
「その場限りの反省」
 と言われてしまうと、言い返すのは難しい。
 何を言っても、言い訳にしかならないからだ。そういう意味では、その場限りの反省という言葉は実に都合がいいのかも知れない。本当にそうなのかどうかは、誰が言いきれるというのだろう。
 反省をするというのは、それまでの態度から正反対の態度を取ることである。追及を逃れるには、反省しているということを見せるしかないのだが、それを相手が分かってくれなければ、反省したことにはならないだろう。
 しかも、反省している態度を、その場限りと言われてしまうと、他にどのような態度を取っていいのか分からない。どのような態度を取ろうとも、結局は、その場限りと判断され、すべてを言い訳という形で片づけられてしまう。苛めの理論と言ってもいいだろう。
 昔の苛めは、
「苛められる人間には、苛められるだけの理由があった。しかし、今の苛めには節操がない。むしゃくしゃしたから苛めたいという理由で苛められたのではたまったものではない」
 と言われる。
「○○のくせに」
 と、昔からの人気漫画で、主人公のいじめられっ子が、苛めっ子から苛められる理由としてよく言われることであるが、まさにその理屈である。
 本人だって、好きで苛めっ子の嫌いなタイプになっているわけではない。もし性格が違えば、その子からは苛められないかも知れないが、他に自分をターゲットにするやつも現れないとも限らない。頭を出せば、いつハンマーが飛んでくるか分からない、もぐらたたきのようではないか。
 世の中にはこのような理不尽なことが山ほどあるだろう。だから、
「その場限りの反省」
 と言われたとしても、それは、苛めの理由として成り立っているのかどうか分からないが、そう言っておけば、大義名分になりそうで、それが怖いのだ。
 相手が理不尽な苛めをしているということが分かっていれば、自分への擁護も出てくるだろう。そうでなければ、
「その場限りの反省」
 という理由が苛めの大義名分になってしまえば、苛めをすることの理由の幅が広がってしまう。
 世間一般で、その場限りの反省を苛めの理由としてしまうと、いずれは自分が苛められた時に、
「どうして自分をターゲットにするのか?」
 と聞いた時、
「お前の反省は、その場限りなんだよ」
 と言われて、初めて自分がしでかしてしまったことの罪の重さに気づくだろう。
 都合よく使おうと思っている連中からマインドコントロールされてしまったかのようで、いつの間にか自分にブーメランとして立ちふさがってくるのであろうことを、想像できるはずもないに違いない。
 しかし、だからと言って、いつもいつも反省ばかりしているわけにもいかない。反省をすれば、必ずそこから何かが見えてくるもので、むしろその場限りの反省の方が、前向きだということを、どうして誰も気付かないのだろう。
 あたかも、その場限りということが悪いことだという先入観を植え付けてしまった方が勝ちだという、明らかに先手必勝ということになるのだろう。
 反省をすることは悪いことではない。そこから何かが得られれば、反省をした甲斐があるというものだ。
 だから、問題なのは、すぐに反省したということを忘れてしまうことであった。その場限りだと言われて、それを信じてしまうのが、そもそもの間違いなのだ。
「俺の反省はその場限りではない」
 と言えればいいのだろうが、それこそ言い訳でしかない。
 それが言えるだけの自分に自信が持てればそれでいいのだが、なかなか人間、いきなり指摘されてしまうと、そうも単純にはいかないものだ。
「その場限りの反省」
 その言葉がトラウマになってしまったことで、なかなか自分は、そうではないと自信を持って言えることもできなくなってしまった。本当に、マインドコントロールというのは恐ろしいものである。
 そんなその場限りの反省と言われ続けていると、今度はその感覚すらマヒしてくる。自分が言われているのに、他人が言われているような感覚になってしまうことで、次第にそう言われることを我慢できるようになってくるのだった。
 そのうちに、少々のことでも気にならないようになり、自分にいわれていることだとは思わなくなることで、反省をしなくなってきた。
 その場限りでも反省をしている分にはまだよかったのに、そんな態度はまわりにも分かるようで、
「怒ってるのに、何をヘラヘラしているのよ」
 と言って相手をさらに怒らせることもあったが、
「何言ってるのよ。あなたたちが、私はその場限りの反省しかしないっていうから、じゃあ、反省なんかしなきゃいいんだって思うようになるわよ」
 というと、相手は何も言えなくなる。
 そして、そのままその人は友達ではなくなっていくのだった。
作品名:高値の女王様 作家名:森本晃次