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蘇生の成功術

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 河合教授はそのことが分かっているのか、ノートに書いていることも、普通であれば分かりずらい書き方をしている。自分にしか分からないはずの言い回しが随所にあり、まるで虫に食われた古文書を解読しているかのようだった。
「そもそも俺は科学者であって、考古学者ではない」
 と思いながら、何とか解読しようと試みた。
 河合教授の性格を思い出そうとするのだが、なかなか思い出せるものでもない。そして当然、本人に聞きに行くなどもってのほかで、自分の科学者としてのプライドが許すはずもない。
 そういう意味も込めて、山沖教授に預けたのだろう。
 河合教授が山沖教授を買っていたのは事実だった。自分の研究者としての後継者だと思っていたが、実際にそうなった。運営に関しては苦手ではあるが、コミュ力などは研究室一であり、河合教授が知っている研究者の中でも、一、二を争うような感じであった。
「解読するのも難しいですよね。私も手伝いましょうか?」
 と言われたが、
「いや、ここは私だけで解読して、企画を立てることにしよう。研究員である君がここで関わってしまうと、話がややこしくなる。あくまでも、初動では、企画と開発は別でなければいけない」
 と、山沖教授は言った。
 これは、河合教授からの受け売りでもあって、さらに、自分の経験からも同じことを感じていて、あくまでも研究員は研究員としての立場をしっかりしている方が、研究に力が入る。なぜなら、ら、全体を知ってしまっていると、自分の部分を勝手に想像してしまい、もし勘違いでもしていたのであれば、そこから修正は難しいからである。下手をすれば、復帰ができないくらいのスランプに落ち込んでしまい、そのまま研究者としての寿命が終わってしまう可能性だって無きにしも非ずであった。
 研究員は、山沖教授に諭されて、渋々であるが、企画参画を諦めたのだった。
 山沖教授は、河合教授のノートを見て、最初に感じたのは、
「字が汚い」
 ということであった。
 これは前述のように、字を汚くすることで、暗号のようにしようという意思の表れだ。
 本来なら、暗号であることを悟れば、それ以降、何もしないかも知れないという実に甘い考えもあったが、あくまでも、最初から信じていないことだった。
 冷凍保存という考えは、SF小説などではよくあった。今やろうと完下手いる。
「不治の病の克服」
 という発想も今に始まったことではなく、過去にあったことであるというのは、事実である。
 しかも、この話は、山沖教授がまだ研究室では若手研究員だった頃、河合室長が食事に誘ってくれた時にしてくれたことがあった。あの頃はまだ山沖教授も、一介の研究員だったこともあって、教授の話を、半分、真面目に聞きながら、半分は夢物語のように訊いていた。
 それは、時系列とともに、最初は夢物語であったのだが、そのうちに真面目に聞こえるようになってきたからであって、それが、教授の劇場的な話し方に魅了されたからだったに違いない。
 最初は大人の冷静さを持って話していた教授を、
「さすがに、室長だけのことはある」
 と思っていた山沖だったが、次第に話をしている教授が自分の話の酔ってきたのか、まるで子供のように、まくし立てるような話し方になった。
 もちろん子供のようにと感じたのは、最初がさすがと思わせたからで、話は理路整然としていて、どちらかというと、早く相手に伝えてしまわないと、自分が話していて分からなくなってしまうほど、話がつながっているということだったのかも知れないと、山沖は感じたほどだった。
 だが、劇場型の話をする人間は、その傾向があるようで、相手を納得させる言い方は、これが一番効果的ではあるが、一つ間違えると、説得力はなくなってしまい、その後何を言っても、言い訳をしているとしか思えないと感じさせるに違いなかった。
 山沖は、その時、まだ若かったこともあり、さらに現場の責任者としての自覚も出てきたことで、教授がこの話をしてくれたのだと、意気に感じていたのは間違いないと思う。それを山沖自身が、
「自分は教授から認められている」
 という思いが、慢心になっているくらいの自信家であったことは、今でも感じていることだった。
「研究員というのは、自分を信じることから始まるんだよ」
 と、よく教授が言っていたが、それが自分の性格にマッチしていると、山沖は感じていたことだろう。
 山沖という男は、どちらかというと、ポジティブな方であった。何でもいいように解釈するところもあり、それが自分の中で、研究員としての活動に役立っていると思っている。そういう意味でも、
「研究者という仕事は天職なのかも知れないな」
 と感じていて、しかもそれを教授も認めてくれていると思うと、慢心しない方がおかしいかも知れない。
 もっとも、慢心というのが悪いのであれば、教授も山沖に対して、そこまでおだてたり、二人で呑みに行くなど、言い方は悪いが贔屓してくれることもないだろう。
 教授とすれば、後継者を育てるという意味で、
「目を掛けている」
 という意識なのかも知れないが、受けている方とすれば、
「贔屓してもらっている」
 という感情になっていたのだ。
 贔屓というと、不公平という言葉をどうしても連想してしまうが、それは、贔屓目という言葉のイメージが悪いだけで、決して贔屓することもされることも悪いとは思わない。
「おだてられて力を発揮するという人がいるが、それは本当のその人の力ではないのではないか?」
 という人もいるが、
「いやいや、おだてられて力を発揮するという人がいれば、それはそれでいいことではないか。人が人の力を引き出すということは、引き出す人も、引き出される人も、それだけ先に進んでいるんだから、それを認めないということは、まるで昭和の根性論や精神論、いわゆるスポーツ根性ものと呼ばれるマンガが流行った時代のようで、時代遅れではないかと思うんだよね」
 と、山沖は常々考えていた。
 この考え一つを取っても、自分がポジティブな人間だということを自覚しているのだと思っているのだった。
 研究者は慎重であるべきであるが、研究の進め方で、どこが力の入れどころなのかということを無意識に感じることができる人が、ある意味、ポジティブな思考を持ち合わせた人間なのではないかと思うのだった。
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次