蘇生の成功術
K大学でも当然のことながら、研究に邁進していた。医学部、薬学部と、それぞれ単独で持っている総合大学なので、別学部との交流も積極的だ。
医学、薬学部関係から、河合研究所にも依頼があったが、彼らは密かな研究も手掛けていたので、ただ、それを公開することができない手前、やんわりと研究を手伝っているという感じであった。
だが、そのうちに、山沖教授が、
「医学、薬学部関係に、全面的に協力するような体勢を取った方がいいかも知れないな」
というようになっていた。
「どうしてですか?」
と研究員が聞くと、
「これからはお互い様だということだよ」
と言って、ほくそ笑んでいたが、その理由を研究員は分からないだけに、教授の笑顔が気持ち悪かった。
そのことは研究員にも少ししてから分かるようになってきた。
その頃から山沖教授は、研究員とは離れて一人で何かを検証しているようだった。研究というところまではいかないが、教授室に閉じこもり、何かの資料をネットで確認しているかと思うと、昔の資料を調べたり、図書館の資料室に引きこもったりという生活が数日続いていた、
その状態が終わったかと思うと、山沖教授は研究員を集めて、会議を行った。
「今後の研究室での方針を少し話しておきたいと思う:
と言って、会議が始まった、
「最近、大学の方が政府からの依頼を受けて、新型伝染病以外の医学の進歩に邁進してもらうように予算が組まれ、大学もその要請にこたえるということを決定したようだが、我々は違った側面から、この要請にこたえたいと思う。ある意味では、この要請に対しての我々の理論を実験してみようという試みである」
と教授がいうと、
「それはどういう意味ですか?」
と聞いた、
山沖教授は新聞記者への記者会見などは実にうまいのだが、自分の研究に没頭することが多い研究所内での会議などでは、興奮が過ぎて、自分の言いたいことを整理できなかったり、あまりにも先を目指しているため、先を示すことが難しくなり、話が支離滅裂になってしまうので、研究員はしばし戸惑ってしまう。
しかし、それもいつものことなので、さすがに最近は研究員も慣れてきた。そのおかげで、誰もが会議での教授に驚くことはなくなり、こうやって話を腰を折ったとしても、それは却って教授の混乱を和らげることになると皆分かっているので、こうやって話を遮ることも少なくないのだ。
今回も同じことのようだが、
「実は、今私が、引きこもっていろいろ研究を続けているのはご存じのことと思うんだが、一番基本的に見ているのは、先代である河合教授が残した研究ノートなんだよ。そこには、実際の研究の詳細というよりも、河合教授が感じた疑問や、考えていたことが列挙されているんだ。それは一つの研究に没頭している時はまったく無意味なないようなんだが、企画という段階で見る分には、大いに参考になる。そういう意味では研究員の君たちにはあまり参考になるものではないのだが、私のように、詳細を詰める前の企画段階では、実に必要なものなんだ。しかも、企画段階では、他の研究や類似の発想などを参考文献から引用してきて、どこまで信憑性があるのかを確かめる必要がある。それが、最近の私だったわけだ」
というのだ。
研究員は何となく分かったが、実際の自分たちの研究に役立つことではないので、半分分かっている程度だった。
さらに教授は、
「その時に、河合教授が残した研究ノートというものがあって、そこには、冷凍保存について書かれていた。それは、人間の冷凍保存という、まるでSF小説か、ホラー小説でも詠んでいるかのような発想なのだが、大真面目に書かれているんだ。その効果というよりも、目的がハッキリしていて、それが大学が依頼されたことに絡んでくるんだ。つまりは、今は不治の病で放っておくと、余命半年くらいの人を、冷凍保存して、不治の病の特効薬が見つかって、その効果が証明された時点で、眠りから覚ませば、その人は助かるのではないかという、それこそSF小説のような話なんだが、あくまでもノートに書かれているのは、その可能性についてというだけなんだ。あくまでも科学者としての好奇心とでもいうのか、冷静に考えれば、そんな簡単なことではないことは、一目瞭然だと言えるのではないかな?」
と、言った。
「確かにそうですよね。もし、何十年後かに生き返ったとしても、その人の戸籍や年齢、家族との生活や、これからどうやって生きていくかなどの現実的なことを何も考えていないわけでしょう?」
と研究員は言った。
「そうなんだ。あくまでも科学者のエゴを書いただけなんだが、それは、逆に開発してはいけないと言われるタイムマシンで、未来に行ったという発想と同じことになるんだよ。ただ、時間を超えたわけではなく、眠っていたということなんだけど、これって、本当にあり得ることなのかどうかだよね。実際に冷凍保存したという過去はないわけだし、果たして人間が冷凍保存に耐えられるかという問題もあるわけだ。何しろ人間ほど、弱い生き物はないわけだからね」
と、教授は言った。
「じゃあ、このノートをどうして今になって出してきたんですか?」
と言われた教授は、
「現在の感染症研究とは別に医療ひっ迫の観点から、これまでの病気をいかに治すかという研究を依頼されているんだが、私は、別の観点から、この問題に取り組もうかと思っているんだ」
と答えた。
「それが、先代の室長が残したノートというわけですか?」
「ああ、そうなんだ。このまま他の人たちと同じように依頼されたことだけをやっていれば、いいというわけでもないような気がしてね。それで、先代のノートを見返していると、ここにある冷凍保存の研究について書かれていることに興味を持ってね」
「でも、教授は今言われたじゃないですか。この内容は好奇心だって」
「ああ、確かにそうなんだけど、これを先代が私に残したのは、いずれこういう時代が来た時に、私にこのノートを使って研究し、それで人類を救えるような研究ができあがればいいというつもりで残したのではないかと思ってね」
と教授は言った。
ただ、これは教授の勘違いであって、先代はそこまで深く考えていたわけではない。この研究を進めることができないので、断念せざる負えないけど、自分で持っていると、どうしても気がかりになるので、身近な人に預けておきたいということで、山沖教授に預けただけのことだった。
河合教授というのは、そんな聖人君子のような人だったわけではなく、自分の手柄はしっかりと自分の手柄にしたいタイプの人で、ある意味、
「科学者らしい」
と言える人であったのだ。
そんなことをつゆほども知らない山沖教授だったが、いずれは自分の研究にしたいということで、あくまでもこのノートは参考にしかしていない。あまりこれを利用してしまうのは、自分の科学者としての精神が許さなかった。そういう意味では、二人の教授は似た者同士だと言ってもいいだろう。