小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

蘇生の成功術

INDEX|6ページ/26ページ|

次のページ前のページ
 

 という法律を作る国すらあった。
 だが国際法で明記されているわけでもないし、国連での決定でもない。あくまでも、世界的な科学者を分科会とした研究チームに対して、国連がその研究の成果を認め、
「開発してはいけないと言われているものに変わるもの」
 ということで研究が勧められることになった。
 もちろん、諸国の中には、実際にタイムマシンやロボット研究を続けているところもある。ただ、ロボットもタイムマシンも、世界的に認可が下りるまでには相当な研究結果が出なければ、開発したことにはならないということになった。
 勝手に製造したりすれば、その時点で罪となり、研究者としての名誉も何もかもはく奪され、下手をすれば、有罪となり、服役もあるくらいの厳しさであった。
 それだけ、先人の著わした、
「開発してはならないもの」
 という論文は説得力があったのだ。
 日本でも、国連に遵守していた。
 そもそも日本という国は、国際的には独自で活動することのできない弱い国であり、大国の傘の下にいなければ、平和が守れないという国であるため、他のことに関しても、他の国の傘に入り、半分属国化しているのは、ずっと続いてきたことであったが、最近では、それがさらに明確になっていき、それが日本という国を亡ぼす最初のきっかけであったに違いない。
 戦後の復興は見事であったが、それもタイミングのよさ、立地的な問題。そして、超大国に隷属したようなひ弱な国家が、まるで寄生虫のように生き残ってきた結果であり、それをいまさらどうこういうのは、本当に、
「いまさら」
 であるが、有事の際にその弱さを一気に露呈したのだった。
 河合研究室では、河合教授が引退した時というのが、今から十数年前、密かに研究を行い始めてから、落ち着いてきた頃だっただろうか。
 室長は、当時、五十歳の別の教授が引き受けることになったが、いかにも密かな研究室の室長らしく、あまり表に出ることを嫌い、人と話せるだけのコミュ力が皆無に近い人だった。
 そのため、若い人たちが支えることになったのだが、当時三十歳前半だった山沖氏が、まだ助教授であったが、実質的なリーダーとなって、研究室を支えてきたのだった。
「山沖先生は、室長に比べて、実行力もコミュ力もあるので、研究員のリーダーとしても、スポークスマンとしての、発表なども、実にうまくこなしている。他から見れば、誰が室長なのか分からないくらいなのかも知れないな」
 と、大学教授会でウワサになっていた。
 そういう意味で、山沖助教授が教授になったのは、異例の速さであった。室長はさすがにまだ任せられないということだったが、実質的な室長と言ってもいいだろう。むしろ、他の人に室長を任せておいて、自由に山沖教授が動ける方がいいというのが、大方の意見であった。
「山沖教授はいいよな。責任はすべて室長に取らせればいいんだからな」
 とやっかんでいる他の教授もいたようだが、それ以上に山沖教授の実力派本当にすごいものであった。
 他の研究では第一人者としての地位を不動のものにしており、自他ともに認める、
「時代の風雲児」
 と言ってもいいかも知れない。
 そんな山沖教授は、生まれた時代にも合っていたのか、もう少し遅かったり速かったりすれば、彼の実力は埋もれてしまっていたかも知れない。
 彼と同じ研究に勤めている人たちは、皆そう感じていただろう。
 山沖教授の師匠が河合教授であれば、河合教授を知らない若い研究員は、河合教授がどんな人だったのかと気にしているようだった。

            タイムマシンに変わるもの

 令和三年というと、まだ世界的なパンデミックの最中であり、その後、どのような世の中になっていくのか、まったく想像もつかない時であった。
 とにかく、前年に流行り出した全世界を巻き込んだ伝染病。最初はどこも何も分からなかったので、とにかく、国内封鎖や都市封鎖などで、感染を抑えるしかないということであったが、議論はワクチンの問題となってきた。
 人流をいくら抑えようとも、感染は減るわけではない、一度は感染を抑えることができたとしても、その後にくる。再度の波に持ちこたえられなくなってくるだろう。
 そういえば、ある政治家だったか、コメンテイターだったかが、
「緊急事態宣言など出さずとも、一定の感染はあり得るとして、経済を回せばいい」
 と言っていた人がいた、
 その理由には、
「感染することで、その人には免疫がついて、感染から治った人が免疫を持つことで集団免疫ができて、最終的な感染爆発にはならない」
 と言っていたのを、当時は皆で、
「そんな危険なことができるはずなどない」
 と言って、皆で叩きまくっていたが、考えてみれば、その考えも一理あったのではないかと、令和三年の夏には感じる。
 確かに、徹底的な感染防止策や水際対策を行ったことでパンデミックを抑えることが当初はできていた国があった。
 全世界から、絶賛され、
「あの国を見本にすればいい」
 と言っていたが、変異株が入ってくると、それまで抑えきっていたウイルスが、一気に感染爆発して、想定外の状態になっていた。
 その国は、感染が当初大したこともなかったことで、ワクチン供給の優先順位は低くなっていた。
 そのために、抑えきることができないのだが、考えてみれば、これも、当初にほとんど感染者がいなかったことで、集団免疫はほとんどない状態で、感染爆発をすれば、ワクチンもない状態で、まるで他の国の一年前の状態になってしまったという例もある。だから、最初は笑っていて、皆で叩きまくった話が現実味を帯びてくることもあるのだ。
 これは、お話の終盤でも出てくることであるが、
「時代は時系列とともに流れていて、今まで正しいと思われていたことが、すぐにそれは悪いことだったとして情報が行きかうことになる。何が正しいのか分からなくなってしまうと、いよいよ混乱で何もできなくなってしまうのではないだろうか」
 ということになるだろう。
 そんな時代だったこともあって、医療に関しては研究者にとって敏感であった。
 この伝染病の問題があったために、医療体制はひっ迫し、伝染病患者だけではなく、一般の病気の人がまともに治療を受けられないという事態にもなっていた。
 救急車を呼んでもすぐに来てはくれない。
 来てくれて救急車に乗っても、受け入れ病院がなくて、救急車の中で十何時間という時間を過ごし、死んでしまう人も出てくる。
 本来なら普通に病院に運び、手術をすれば簡単に救えたはずの命である。
 だから、新型伝染病に関してだけの研究ではなく。従来の病気の特効薬であったり、治療薬の開発も予算のうちに盛り込まれた。
 こちらは厚生労働省が中心になって動いているが、こちらの予算も結構なものであった。さすがに命に直接かかわることなので、政府も了承しないと、次回の選挙で負ける可能性がある。政治家にとって、開発うんぬんは問題ではないのだ。いかに自分たちの政権を守れるかというだけしか考えていないからだ。
 それでも、大学病院などでは、いろいろな研究がなされていた。
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次