小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

蘇生の成功術

INDEX|4ページ/26ページ|

次のページ前のページ
 

「開発してはいけないもの:
 と考えられるものが現れた。
 戦争における兵器の場合には、明らかに見た目と、その実践においての効果で、開発してはいけなかったということが証明されているのだが、今の時代において、開発してはいけないものの代表として考えられるものは、
「今はまだ開発されているわけではなく、開発途上であり、その途中で、倫理的、あるいは論理的に考えて、開発が不可能ではないか?」
 と言われているものではないだろうか。
 それは、論理的に考えていくと、途中で矛盾や倫理的なところで、実際に開発してしまうと、人間に害を及ぼしたり、使うことで、世界を崩壊させてしまうかも知れないという科学的な論理が働くものだった。
 それも、一つではなく、二つだった。
 一つは、
「タイムマシンの研究」
 であり、もう一つは、
「ロボット開発」
 だということになっている。
 タイムマシンの開発には、開発のために論理的な発想の段階で、論理的な矛盾が生じてくるのだ。それを解決するために考えれば考えるほど、その矛盾が大きくなり、それによって、
「人類を破滅どころか、宇宙全体を崩壊させるとまで言われたパラドックスを指摘されている」
 と言われているのだ。
 パラドックスというのは逆説という意味で、どちらから見ても矛盾が発生し、何からせん階段のようになっているように考えられるのだ。
 パラドックスの一番典型的な例として、
「過去に戻って、歴史を変える」
 ということにある。
 よく言われるのは、
「親殺しのパラドックス」
 と言われるもので、過去に戻って、自分の親を殺すという発想から来ている。
 自分が生まれる前の親を殺すということであるが、何も殺すまでもなく、両親が出会うことがないようにしてしまえば、自分が生まれてくるということはない。
 もっといえば、ほんの少しでも歴史に関わるだけで、それ以降の歴史はすべてが狂ってしまう。次の瞬間には、まわりの数人が影響を受け、瞬間をいくつか超えるだけで、世の中すべてが変わってしまっているということも、理論的には可能であった。
 これがよく言われている、
「過去に戻って、過去の歴史を変えてしまうと、元の世界に戻ってきた時、自分が旅立った世界は存在していない」
 ということになる。
 昔の科学者の中には、
「タイムマシンを開発し、過去に行って歴史を変えてしまうと、その瞬間に、ビックバンが起こって、宇宙全体が吹っ飛ぶ」
 などと言っている人がいた。
 ただ、科学者の間において、アインシュタインの相対性理論というものを正しいと考えた時、
「未来に行くことは理論上可能であるが、過去に行くことは、机上の空論に過ぎない」
 と言われているようだ。
 時間というのは、高速で進むことで、普通に地球上にいるスピードと比べて、遅くなるという考えからいくと、高速で進むロケットで地球を発射し、戻ってくると、一年で地上ではどれだけの時間が経っているかということで、タイムマシンというよりも、
「未来に到達することができる」
 ということが理論的には可能だということである。
 ただ、その乗り物にどれだけ人間が耐えられるか、さらに、戻ってきた世界からは、二度といた世界に戻ることはできないなどという問題がいろいろあり、未来に地球に戻ってきたはいいが、肝心の地球がなくなっていたなどという最悪のケースがないわけではないだろう。
 未来に行くことは可能だとしても、これはあくまでも理論上ということであり、今の科学力では、達成までにはまだ、スタートラインにも立っていないと言ってもいいだろう。
 開発するには、人間にとって何らかのメリットがあり、それがデメリットよりも、はるかに低くなければ、開発の意味はないということを考えれば、
「タイムマシンというのは、開発してはいけないものだ」
 と言えるのではないだろうか。
 もう一つの開発してはいけないものとして考えられているものでは、
「ロボット開発」
 というものがある。
 これは、理論的に無理があるタイムマシンと違い、まず前提となる部分を解決しなければいけないということで、タイムマシンに匹敵するくらいの、
「開発してはいけないもの」
 ということではないだろうか。
 そして、こちらは、理論的な問題に入る前に、倫理的な問題が大きく立ちふさがっていると言ってもいいだろう。
 ロボット開発において、大きな問題としてざっくりと言えば、二つの問題があると言えよう。
 一つは、
「フレーム問題」
 と言われるもので、もう一つは、
「フランケンシュタイン症候群」
 と呼ばれるものである。
 フレーム問題の方は、倫理的というよりも、理論的な問題と言えるかも知れないが、フランケンシュタイン症候群にも当てはまることだが、ロボットに必要な人工知能の問題となってくるのだった。
 人間がロボットに何かの命令をした場合、ロボットに限らずであるが、目的達成のための、ロジックを組み立てようとするだろう。その時にロボットは、次の瞬間に広がる無数の可能性の中から、正しい判断で選ぶべき行動を把握して、選択できるのだろうか? という問題である。
 目的達成のために少なくともいくつかは、選択が必要である。その瞬間がもし、一つの瞬間だけだったとしても、その時に行動する動きは一つではない。前に進んで何をを取っている場合に、最初に踏み出す足はどちらかであるかとか、目的物を手に取る時は、どちらの手なのか、あるいは両手なのか、など、目的に対しても一つではないのだ。
 しかし、人工知能は果たして、目的に対しての行動をちゃんと把握することができるのだろうか。つまりは、無数に存在している可能性の中から、
「これが目的達成のために関わってくる問題だ」
 と把握できるのかということだ、
 無数にある可能性なのだから、無数に考えてしまう。
「他にも可能性があるはずだ」
 と考えてしまうと、最初から一歩も動けなくなってしまうはずなのだ。
 それを克服するために、それぞれの行動をフレームのように、枠に当て嵌めて考えればいいという理屈になるのだが、元々無限な可能性なのだから、当て嵌めるためのフレームも無限に存在していることになるだろう。
 考えてみれば、無限からは、何で割ったとしても、回答は無限でしかないのだ。ゼロに何を掛けてもゼロになるという理屈と同じである。
 そうなると、フレームを作るという考えは一歩進んだのかも知れないが、これも解決するまでには無限のステップを踏まなければいけないということになる。
 これが、ロボット開発における、
「フレーム問題」
 というものだ。
 だが、もし、これが解決できるとすれば、それはやはり人間にしかないのではないかと思う。その証拠に人間は、その時々で、無限の可能性がある中から、無意識に的確な回答を求めることができているではないか。
 どうしてそれができるのかは謎でしかないが、それができるのだから、開発ができないとは言い切れないだろう。一縷の望みがあるとすれば、
「開発者が人間だ」
 ということになるであろう。
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次