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蘇生の成功術

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 などという、まるで非核三原則のような言葉に、勝手につけた造語で言われるようになり、しかも、これがその年の流行語大賞などと言われるから笑わせる。
「安〇ノマスク」
「黒〇基準」
 などという政府を皮肉った言葉の方がよほどインパクトがあるのにである。
 では令和三年は、さしずめ、
「安心安全」
 という言葉であろうか。
 当時の首相(これが公開される時は首相が変わっている可能性があるので)が出てきたら、必ず一度は口にする言葉だ。
 国民に対してまったく説得力のない、これほどひ弱な首相もいないだろうと思われるほどであり、それこそ、
「東条英機の詰めの垢でも煎じて飲みやがれ」
 という国民の声が聞こえてくるほどであった。
 利権以外に、国家のために何もしていない首相として、その政治生命の終わりが近いのも明らかであろう。
 ほとんどマスゴミの前に出てくることのなかった首相だが、その語録は笑えるものだった。
「別人格」
「仮定の話はできない」
 など、完全に逃げているとしか思えない記者会見で、さらに、気に食わなければ、恫喝してみせる。
 完全に、負け犬の遠吠えを思わせた。
 いくら、
「他に適任者がいない」
 というだけの消去法で首相になったというだけに、いかにも、嫌そうに記者会気をしているのを見ると、国民を舐めているとしか思えない。
 そんな世の中が、ここ十年近く続いているということ自体が、すでに、
「日本は崩壊している」
 と言ってもよいのではないだろうか。
 さて、そんな時代だからこそ、民間では政府を当てにしないということで、密かな研究が進むようになった。
 そういう意味では、史上最低の内閣も、「貢献」していると言ってもいいかも知れないが、本来なら政府が主導してやるものなのに、文部科学省は一体何をやっているというのだろう。
 世の中には、
「開発してはいけない」
 と言われる、ある意味、タブーをされているような研究もあったりする。
 以前であれば、大量虐殺兵器などがその一つで、国際法で禁止されている兵器もたくさんあるだろう。
 毒ガスや核兵器、ナパームやクラスター爆弾など、これらに共通するのは、
「大量無差別」
 に繋がるということだ。
 大量虐殺に無差別は切っても切り離せない言葉でもある。大量に殺戮するには、無差別になってしまうからだ。
 殺害する相手は選ぶことはできない。毒ガスにしても、ガスマスクなどをつけていないと、その近くにいると、死んでしまうのは当たり前のことであり、核兵器もシェルターにでも入っていないと、まともに浴びれば、跡形もなく消えてしまうだろう。
 さらに言えることは、もし、生き残ったとしても、恐ろしい後遺症に見舞われることは分かっている。毒ガスを少しでも浴びれば、皮膚がただれたり、生涯消えない障害が残ってしまうことになる。
 核兵器などは、シェルターで生き延びたとしても、放射能が消えるまで、シェルターから出ることはできない。出てしまうと、二次被爆を起こしてしまい、ヒロシマ、ナガサキのような深刻な「原爆症」に見舞われてしまうからだ。
 何よりも生き残れたとしても、元の世界に戻ることはないだろう。もし地表が残っていたとしても、そこは瓦礫の山であり、放射能による影響がどれほどのものを及ぼすのか、未知数なのだ。
 昆虫や動物などが突然変異を起こし、毒サソリなどが怪獣のようになって蔓延っている世界を想像しただけでも恐ろしいではないか。
 昭和の頃の冷戦時代に、核戦争で世界が滅びるという映画があったので、レンタルで見たことがあったが、壮絶なものだった。
 核兵器の発射ボタンが押されて、サイロからミサイルが飛んでいくシーン、人々が逃げ惑うシーン、さらには、核兵器が飛んでくる寸前に、すべてのエネルギーが消えてしまい、電気は消え、エレベーターは停止し、中は真っ暗、泣き叫ぶ声が聞こえていた。道を走る車のエンジンは切れてしまって、立ち往生。皆これで終わりだと分かっているが車に乗っていた人はたまらず外に脱出し、走り去る。どこを目指すともなしにである。
 ピカッと光ったかと思うと、閃光が煌めき、人間の身体がレントゲンのように骨だけが透けて見え、悲鳴とともに、消え去っていく。まるでアニメを見ているようだ。
 猛烈な爆破音の痕は、爆風が吹き荒れていた。あちこちで火事が起きるが、誰もどうすることもできずに、二発目が飛んできて、他の都市を破壊している。
 地球上には、一五〇〇〇個の核兵器があるといわれる。地球上のすべての都市、さらに全人口三十億の人間を殺傷し、さらに、まだ余る計算になるというほどのものである。もし、そうなれば、地球自体がまともではないだろう。成層圏もなくなり、引力に関係なく、軌道を外れてしまって、どこかの宇宙に飛び出してしまうかも知れない。それだけの核兵器を、人類は所有しているのだ。(ただ、そう言われているだけで、実際にはどうなのか、難しいところではあるが……)
 それを思うと、何と恐ろしいことなのだろうと思う。
 いくら、抑止力のためだったとはいえ、今までそのことに誰も気付かなったというのもすごいことだ。たとえは悪いが、バブル経済が弾けるまで、その危機に誰も気付かずに、業務拡大を推し進めていたのと、どこかが似ているような気がする。
「きっと世の中って、過去の歴史に学んでいるようで、実際には分かっていないのではないか?」
 歴史を好きになれない人がたくさんいるのだから、それも当然のことだろう。

            開発してはいけないもの

 第一次世界大戦において、最初に出てきた大量殺りく兵器として、毒ガスがある。
 これは、本当に無差別であり、何が恐ろしいかというと、
「毒ガスが見えない兵器」
 だということである。
 散布されると、風に乗って、地表を縫うようにして忍び寄ってくる。上空に上がってしまっては意味がないので、基本は空気よりも重たいものである必要がある。元々毒ガスを開発した人は、それ以前に、
「空気中の窒素から、肥料になるアンモニアを取り出す」
 ということに成功し、それによって、全人類の三分の一が餓死してしまうと言われた食糧難から人類を救った人物だった。
「神と悪魔を同時に作った」
 と言ってもいい人だが、彼は毒ガス開発に最後まで後悔はないというころであった。
 毒ガスの場合も、生き残った人間に残る後遺症は、酷いものであった。そういう意味では、毒ガスや核兵器に限らず、戦争がもたらすものは、死ぬまで何らかの形でその人に残るものがあるということではないだろうか。
 第一次世界大戦というのは、いわゆる、「塹壕戦」と言われる、それによって、脚気などの後遺症に悩まされた人も無数にいて、死なずに帰国できた人も、何かしらの後遺症があったのは間違いないだろう。
 それはさらにたくさんの化学兵器が開発された第二次大戦においてもしかりであり、やはり戦争とは、メリットよりもデメリットの方がはるかに大きいと言えるのではないだろうか。
 そんな世界大戦の時代には、たくさんの、
「開発してはいけないもの」
 というものが作られた。
 だが、それ以降は、科学研究において、
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次