蘇生の成功術
そもそも東条英機が首相になったのも、その前の近衛文麿が、政府の会談において、開戦勢力の強さに、自分が立ち向かうことができないことから、政権を投げ出して、逃げたことから始まったのだ。
当時の日本の首相任免権は天皇にあった。天皇が元老などの意見を聞いて決めることになるのだが、東条を強く推したのが、当時の内大臣である、木戸幸一であった。
彼の考えは、
「東条のように天皇の従者のような男は戦争回避の天皇の考えを受け継いでくれるというものと、当時の陸軍の暴走を止めることができるのは、東条しかいない」
という考えからだったという。
そういう意味で、東条英機に対するイメージとは結構違っていたりする。
ではなぜ東条英機が悪者になっているかというと、
「極東国際軍事裁判(東京裁判)において、東条を悪者にすることで、連合国の勝者としてのメンツを保とうということではないだろうか」
と言われている。
それ以降の占領軍の教育方針から、そのような誤った情報で教育を受け、
「何が自由な教育だ」
と言えるのかということであった。
当時の軍部にしても政治家にしても、令和三年時点の政治家に比べれば、どれほど真面目に国家のことを考えていたことだろう。
天皇中心の帝国主義国家だったということで、国民に対して制限もかなりあったりしただろうが、それも教育により、それが正しいと思っていたのだ。
しかし、今の民主主義という考えだって、戦後の占領軍から押し付けられた考えではないか。
そもそも、米英中蘭に対しての戦争も、閣議で、
「大東亜戦争」
という名前になっていたのに、それを占領軍に忖度したマスゴミが、
「太平洋戦争」
という名前にしてしまったのだ。
大東亜戦争という言葉の意味は、
「欧米などの帝国主義による東アジアにおける植民地を、欧米帝国主義から解放するための戦争」
というのが、大義名分だったはずだ。
それを、あくまで、日本を悪者にして自分たちが正義だということを宣伝するために、
「大東亜」
という言葉を排除したかったのだ、
かつて言われていた、
「大東亜共栄圏や、五属共栄」
などという言葉も、言われなくなってしまったではないか。
戦争における勝者というものは、敗者に対しては冷酷なものであることは歴史が証明している、そこまでしないとまた世界大戦が起こるという発想であろうが、第一次大戦が終わってからのベルサイユ体制の崩壊を考えれば、軍事裁判などというのは、第一次大戦における国家に対しての賠償が大きかったために、第二次大戦が起こったことへの教訓から、
「国家を悪者にするのではなく、戦争犯罪人を裁く」
ということで、勝者の理論を正当化しようとしただけのことではないのだろうか。
それまでは、戦争に対して、戦争指導者などとして、個人を裁くことはなく、戦犯などという言葉すら存在していなかったのだ。そういい意味でも本当の戦犯というと、都市への無差別爆撃を続けたり、原子爆弾を投下して、一夜にして大都市が焼け野原になった罪はどうなるというのだ? 実に理不尽ではないか。
今では資料もたくさん公開されているので、ちょっと調べれば、歴史のことは何でも分かる時代なのだ。それをいまさら学校で習った話を鵜呑みにするというのは、歴史を勉強しないように仕向けられているかのように思えて仕方がない。
歴史を少しでもほじくると、いくらでも理不尽で矛盾な話も出てくる。片一方からの押し付けられた理屈では説明できないことがたくさん出てくる。これこそ、歴史の勉強という名のもとに行われた「洗脳」だと言えるのではないだろうか。
そんな時代は今は昔となって、もう八十年近く前のことになってしまっている。ただ、彼らの国を憂うる気持ちには変わりなう、死んでいった彼らが、今の政府や世界を見て、どう思うだろうか?
「俺たちは、こんな日本を作るために、命を捧げたのか?」
と思うに違いない。
令和三年を、昭和初期と比べるというのは、あまりにも次元が違っているのかも知れないが、同じ日本人として、歴史の勉強すらしない連中を見ていると、情けなさがこみあげてくる人は少なからずいるに違いない。
「正しい歴史認識があれば、こんな国家にはなっていないかも知れない」
とも言えるが、逆にいえば、今の政界というのは世襲で成り立っているというのも事実だ。
元首相だって、戦争犯罪人の孫だったりする。歴史は時系列で繋がっているというのも、切り離すことのできない事実でもあるのだ。
ただ、これはあくまでも歴史という、
「時系列」
という生きているかのような時間の動きからの出来事でしかない。
世の中は原因があって結果があるのだというが、果たして、結果というのは、どの時点で出たと言えるのだろうか、今表に出ていることすべてが結果とは限らない。よくテレビなどで、事件があった場合、
「この検証は歴史が答えを出してくれる」
というが、その検証を答えだと言い切れるのは誰になるのだろうか。そのあたりも、永久に続く歴史としては、難しいところなのかも知れない。
かの、二・二六事件も、映画などで見ていると、
「歴史が必ず答えを出してくれる」
という言葉に感銘を受けたものだが、歴史というのは、主義も変われば考え方も変わる、
何が正解なのかなど、誰にも分からないのではないだろうか。
さすがに軍事クーデターのようなものは容認できるものではないのだろうが、特に二・二六事件などに関しては、歴史判断が難しいところである。
ただ、日本人は判官びいきが多いため、反乱軍を贔屓目に見る人たちが多いだろうが、見方によっては、
「陸軍内の派閥争い」
というだけのことだとも言えるのではないか、
だから、何が正解なのか、誰にも分からないと言えるのではないだろうか。正解があるとすれば、
「誰にも分かるはずがない」
という結論が正解だということであろう。
K大学では、そんな歴史研究が大学を挙げておこなわれていた。始まったのは平成の頃からなので、結構長く研究されている。
そんな中で、いきなり飛び込んできた、
「世界的なパンデミック」
が、大学どころか、世界中を混乱させた。
パンデミックなどという言葉が何なのか、それよりも初めてその言葉を聞いた人がほとんどだったに違いない。
言葉は聴いたことがあっても、まさかそんな使い方だったとは思ってもみなかったという言葉もたくさんある。
「ロックダウン」や、
「クラスター」
などという言葉も違う意味で使っていたかも知れないが、今ではロックダウンというと、都市封鎖、クラスターというと、集団感染ということに置き換わってしまった。それほどの大混乱だったのだ。
または、感染防止などで言われる、
「ソーシャルディスタンス」
などという言葉にしてもそうだ、
そういえば最初の頃に、
「専門家は、横文字ばかり並べて、何を言っているのか分からない」
と言われていたのだが、今ではこれらの言葉を知らない人はいないくらいに普及してしまった。
さらには、
「三密」