蘇生の成功術
人間の人間としての本能であったり、状況判断ができること、さらに、病気をすると免疫を作ったりする作用であったり、過去から脈々と受け継がれてきた、その人の先祖からの歴史が、青写真として脳裏に浮かんでくる。
「初めて見るもののはずなのに、以前にも見たような気がする」
というデジャブのような感覚なども、ひょっとすると遺伝子が影響しているのかも知れない。
「人間の脳は一割も使っていない。超能力と呼ばれるものは、人間が元々潜在的に持っている力であって、発揮できないものとして脳の中に残っている」
と言われている。
それも、遺伝子として受け継がれているのであれば、遺伝子の力で、その封印されている力を引き起こすことも可能ではないかという研究が行われているのも事実だ。
今回の厚生労働省からの依頼を受けている大学の中には、遺伝子の力に目をつけて、遺伝子を中心に開発を行っているところも少なくないだろう。ただ、問題は遺伝子と一口に言っても、角度によっていろいろな見方ができるというものだ。
皆同じ方向から見ても同じ結果にしか現れないというのが遺伝子の力だろう。遺伝子は自分で学習したり、判断する力があると河合教授は思っていたようだ。その内容が、ノートにも残っていた。今回の研究でカギになるのは、匂いと遺伝子ということになるのかも知れない。
気になる作家の本を読んでいると、本来なら自分の身体に蘇生することが本来の目的なのだが、実際に可能性を探っていくと、実は自分に生まれ変わるよりも、他の身体で蘇生する可能性の方が高いようにも思えてきた。要するに自分に蘇生する方が難しいというのだ。
それに、同じ蘇生するのであれば、自分が死んだ時よりも、もっと若い年齢でなければ意味はない。もっというと、このまま死んで、まったく別の人間として赤ん坊から生まれる方がいいに決まっているのだ。
生まれ変わる時だって、作家の話としては、生まれ変わってから、自分の過去の記憶は残っていないということのようだ。それは他人に生まれ変わる場合でも、自分に生まれ変わる場合においでもである。それならば、誰に生まれ変わっても同じことであり、さらに自分が死んだという意識すらないわけなので、生まれ変わった時には、
「俺は、この肉体で生きてきたんだ」
という思いしかないだろう。
何しろまわりから見ると、
「この人が生き返ったんだ」
としか思えないからだ。
自分の記憶もないわけなので、疑いようがない。蘇生した時、記憶が残っていないのも、
「蘇生したからだ」
という一言で誰も疑うはずもない。
ただ、なぜ自分に生まれ変わることができないかというと、前に生きていた時のことを完全に忘れてしまわなければいけないのに、元の身体に戻ってしまうと、遺伝子の力で、万が一にも過去の記憶が戻らないとも限らない。だから、一度死んでしまってからの組成は、自分の身体であってはいけないという理屈だった。
作家の話から得た結論を元に、河合教授のノートを改めて読んでみると、
「なるほど、そうやって考えると、確かに蘇生する魂は、同じ肉体であってはいけないと書いてあるではないか?」
と思えたのだ。
それは冷凍保存であっても同じことで、別の身体に蘇生させるという意味でも、一度死んだ人間の冷凍保存は理屈にもかなっていることだった。
しかし、そもそも冷凍保存の当初の目的から少し離れていることに、気が付いた。
「不治の病で、余命がハッキリとしている人間を冷凍保存しておいて、不治の病が治る時代になって蘇生させ、そこで病気を治す」
というのがm冷凍保存の目的であったはずだ。
しかし、それはあくまでも、
「冷凍保存には、肉体だけではなく、精神も一緒に保存することが前提である」
ということであった。
冷凍保存の理屈としては、
「まるで眠っているかのように、時間を止める形で冷凍装置に安置する」
というのが、前提ということになる。
だが、教授の理論として、
「最大の問題は、冷凍保存する際にm記憶を含めた魂と一緒に保存できるか?」
ということが問題であった。
教授のノートには、
「遺伝子を独立させることができるかが大きな問題だ」
ということであった。
肉体から遺伝子、それも遺伝子情報のすべてを網羅するものを一緒にして、さらにそれを冷凍保存ができるのか。それはあくまでも、自分の肉体を抑えた冷凍保存装置とは別にである。
つまり、肉体と遺伝子は別々に保存する必要がある。
そしてさらに問題は、一度冷凍保存した肉体に、切り離した遺伝子を、再注入できるかという問題でもある。
冷凍保存と、さらに蘇生という問題で、超難関といえるハードルを、いくつ飛び越さなければいけないというのか、これが果たして、一大学の一研究室だけでできることなのかを考えると、基本的には無理である。
最初は蘇生と、保存のそれぞれから別々に考えていたが、教授ノートを見ると、
「分離して考えることはできない」
という結論を書いているようだった。
それであれば、不可能なことをずっと考えてきて、時間の無駄だったというのか?
いや、そんなことはないような気がする。少なくとも遺伝子に関する研究が大切であることが分かり、遺伝子の研究は続けなければいけないことだということは、これからの研究において、必要なことであることは分かり切っていた。
ある日、衝撃的な報道が入ってきた。これはあまりにも衝撃が強すぎるので、マスコミはもちろん、政府にも報告されていないことだった。それがなぜ河合研究室に情報として入ってきたのか分からなかったが、とにかく、入ったと同時に、
「この話は緘口令が敷かれている」
と言われたのだ。
「実はある筋から入手した話で、どこかの団体がm冷凍保存を考えていて、死んだ人間を生き返らせようと試みたらしいのだが、失敗したというんだ。その失敗がどういう形での失敗なのかまではこちらには分からないが、とにかく、我々と同じ研究をしようとして、その先を行っていたところが失敗したということなんだ」
と、いうことだった。
情報の元となって伝えてくれたのは、研究員の中で、他の研究室がどのような研究をしているのかということを調査している研究員からだった。同じ研究をしているところがあれば、そこの動向も知っておかなければ、もし研究が成功したとして、特許を取ろうと思っても、すでに相手が先に完成させていれば、まったくの無駄である、情報が分かっていれば、断念することもできるので、そのための情報収集は大切なことだった。
その彼が伝えてきたことなので、ある程度の信憑性はあるのかも知れないが、これほどの大きな問題で、さらに隠蔽すら考えなければいけない大問題を、よく取得できたのかということが大きな問題でもあった。
「もしや、わざと表に情報を流したのは、向こうの組織かも知れない」
ということも頭をよぎるほど、大きな問題がいとも簡単に漏れたということである。
「その団体というのは、大学の研究室なのかな? それとも国家の施設? あるいは民間の研究室なのかな?」
と訊いてみると、