蘇生の成功術
「今の自分が若手になれば、どういう感覚になるだろう?」
と考えると無意識のうちに、発想を思い浮かべているのを感じた。
しかし若手だから、若手なりに遠慮してしまい、上を見ようとはしなくなる。そのせいで、上下関係がぎこちなくなり、上が気を遣わなければいけないという最初の発想に至るのだろう。
それが分かってくると、若手と企画者の間にある結界は、
「超えてはいけないもの」
というわけではなく、
「遠慮というものを排除するための、シールドだ」
と考えるようになったのだ。
小説と神様
匂いが蘇生、あるいは、冷凍保存に関係しているとして、どちらに関係しているというのだろう・ そしてそれがどんな匂いなのか、ヒントらしきものは何もなかった。そんな中、考えられるのは、このノートが書かれた時の、研究室のまわりの環境がどのようなものだったのかということを再現してみることだった。
河合教授だって、何もないところから思いついたわけでもあるまい。まわりの環境に何かのヒントがあったに違いない。そして、そのヒントが隠されているものがもう一つあるとすれば、山沖が以前に読んだSF小説、ここにもヒントがあるのではないかと感じたのだ。
山沖が見たのはテレビドラマであったが、原作は小説だった。その小説を買ってきて、再度読んでみたのだが、あの小説は恋愛小説でもあったのだ、
未来からやってきた青年がいて、ふとしたことでニアミスをしてしまったのだが、主人公の女の子がその青年を見て恋をするというものであるが、その青年は実は自分の子孫であり、自分存在が消えかかっていることから、
「過去のどこかで、自分が生まれないという問題が生じているんだ」
と考えたことで、本来なら過去へのタイムトラベルが禁止されているのに過去に行って、その原因を確かめようということだったのだ。
当然、過去を変えてはいけないということで、別の次元の人間に自分の姿が見えないようなシールドを被っての過去へのタイムトラベルだったが、降り立った時代に微妙な差があったことで、ぶつかってしまったのだった。
実は、未来で記憶されていた過去が微妙にずれていたことで、未来が変わったのだが、そのニアミスのおかげで未来は元に戻ったのだ。これこそ不幸中の幸いだったのだが、ぶつかった瞬間、今度は過去を変えてしまった。
これで歴史は元に戻って、もう消えないはずなのだが、元の世界に戻ると、自分以外がまったく違う世界になっていた。ニアミスがすべてを狂わせたのだ、
主人公はもう一度過去に戻り、自分の先祖の主人公の女性が自分に恋をしたことを知り、それが間違いだったと思った。そこで考えたのは、彼女に自分のことを忘れるということで未来が元に戻ると考えたのだ。そして、自分の記憶だけを消すために、未来から、自分の記憶だけを消すことができるという匂い袋を持ってきた。
そして、彼女にその匂い袋を渡して、自分の記憶を消させたのだが、その時の切ないシチュエーションが話題となり、この本がベストセラーになったのを思い出した。
二人は悲しい別れを経験したことで、無事に自分が生まれることになるのだが、そのおかげというか、そのせいで、青年は未来に戻ることができなくなった。
タイムマシンの存在がなくなってしまったことで、未来に戻れなくなった彼は、この時代で記憶を消してしまった自分の先祖を見ながら生きていくことになるのだが、いつの間にか、彼の存在は既定のことであり、その時代に存在している人間だということになっていた。
親もちゃんと存在し、友達もいた、その中に自分の先祖の女の子もいたのだが、彼女が二度と自分に恋をすることはなかった。
彼女に嗅がせた匂いの効果だけは、しっかりと残っていたのだ。
ラストは、いまいち辻褄が合っていないかのような話であったが、そもそも、タイムトラベルものは、ラストの辻褄が合わないことを、オチとするものなので、それはそれで正解だった。そしてあとがきの中で、作者はこのように書いていた。
「この話はフィクションです。しかし、ありえないことではないという思いを抱いて書いています、書きながらアイデアがどんどん下りてきたのです。まるで私にこの話を書く宿命があるかのようにである」
架空の話ではあるが、この話は自分が経験したのか、あるいは経験中であるのかというような書き方だった。その話の中で出てきた匂いというのが、ラベンダーの香りだった。小説の中では匂い袋だったが、この作家の他の小説でも、匂い袋が出てきて、そこで感じた匂いがラベンダーだったのだが、その話はタイムトラベル系の話ではなく、死んだ人がよみがえるという、
「死者降臨」
の話であり、匂い袋が匂っている間だけ、自分がどうしても、もう一度会いたいと思う人間と生活をすることができるというものだ。
この小説を読んだ時、この匂い袋が切ないもので、最後の別れが最初の別れよりも数倍辛いもので、
「本当に使ってよかったのか?」
と感じさせた。
そう思うと目的の小説も同じことで、元の世界に戻れなくなったことよりも、自分も先祖に恋をして、先祖だけに思いを断ち切らせて自分はずっと苦しむという地獄の苦痛を味わうことになる切ない小説なのだった。
匂い袋の匂いを嗅ぐというのは、科学者から見れば実にバカバカしい話であるが、中学、高校生向けの恋愛小説だと思って読めば、実に切ないお話であった、
当時は、マンガというよりもまだ小説の方が映像作品になることが多かった。今でこそまるでマンガのような話に思えても、当時は小説として、十分なお話であった。
そういう意味で、この手の小説は多かった。そう、今でいうライトノベルや、ケイタイ小説のような話だと言ってもいいだろう、
文庫本のカバーは、少女漫画を思わせるような絵が描かれていて、それらの本が、本棚の一つくらいを占領していたりした。
その傾向は結構続いていて、実は今でもそうかも知れない。本屋の傾向も昔とは随分様変わりしたものだった。
特に、文庫本のコーナーは叙実だった。
昔あれば、有名作家の小説が、本棚の一列すべてを占領するくらいに並んでいた。特にミステリー系の売れっ子作家というと、いつのまにこんなに書いたというのか、文庫本で百冊以上を刊行していたからだ。本屋のレイアウトにもよるが、作家淳の出版社準などであれば、余裕で本棚の一列分を占領するなど当たり前のことで、そんな作家が十人近くいたりすると、大手本屋の文庫本コーナーだけで、小さな本屋一軒分の広さが必要だった李したものだ。
しかし今はどうであろう。一世を風靡した売れっ子作家の本、本棚の一列を余裕で占拠していたはずなのに、今では数冊が並んでいればいいところである。
中には百冊以上あり、テレビ化や映画化などされた本を数々発表し、その作家の名前を冠した文学賞まであるほどのレジェンド的な作家であるにも関わらず、一度それらの本を全部絶版にして、その三分の一ほどをセレクトして再度新刊として発行するということまでしたくらいだ。