蘇生の成功術
と担当者は口々にそういうのだった。
「それにしても、開発してはいけないものがあるというのも厄介なことですよね?」
と、別の担当者がいうと、
「ロボットにしても、タイムマシンとしても、皆ウスウス、開発してはいけないものなのではないか? という考えは、昔からあったと思うんです。でも、すぐに消去法という形で、最初に考えるというのは、誰も思っていなかったと感じるんだ。でも、皆近いところまで考えてはいるんだけど、その先が見えないと言えばいいのか、結界のようなベールg張り巡らされているからなのかも知れないって思うだ」
一瞬考えて、山沖教授は言った。
「開発というものを考えると、最初からしていいものとしてはいけないものとを両方考えるというのは難しい。片方だけからしか見ないでいると、相手に永遠にぶつかることはないと思うんだ。この考え方がなければ、最初の方で、指定医研究なのかどうかを判断することはできないのさ」
というのであった。
今回の蘇生の問題はさらに難しい、生殺与奪の問題に絡んでくるからだった。
「宗教が絡んでくる」
と思っただけでも難しい判断なのに、どこまで考えが行き着くが、自分でもよく分からなかった。
今のところ蘇生させる相手というのは、身元不明者であったり、無縁仏の人間を考えている。もちろん、蘇生させるまで冷凍保存なのか、アルコールのようなものでの、いわゆる標本のような保存なのかは、考える必要のあるところであるが、まずはどちらを生き返らせるかということである。
当然生き返らせるにしても、死体の状態という問題があるが、それぞれ考え方をまとめてみよう。
まず、行方不明者の蘇生であるが、行方不明者という定義は、
「死体となって発見された人の身元を探したが見つからなかった」
ということである。
ということは、前提として、
「死体は、身元を匠永するものを、まったく何も所持していなかった」
ということと、
「死体には本人を特定するものがなかった」
ということである。
そして、今度は死体からではなく、警察の捜査においてであるが、まずは、警察に捜索願が出ている人と照合して、該当者が見つからなかった場合、さらに、管轄において聞き込み捜査などを行っても、見つからなかった場合などである。
もっとも、これは警察がどこまで必死になって探すかということが問題であり、この死体が変死であり、しかも殺害された可能性があれば、殺人事件としての捜査になるので、身元をハッキリとさせる必要があるのだが、事故や自殺の可能性が高い場合は、捜索願の人と照合するくらいのところで、それ以上は捜査しないというのが普通ではないかと思えた。
そもそも、捜索願を出した時だって、警察はそこに事件性が見いだせない場合は、基本的に捜索願を受理はするが、捜査など行わないのが基本だ。ほとんどの人は、捜索願は警察に対しての、命令のようなものだと思っているかも知れないが、さすが公務員、事件性の有無だけで、捜査するしないと決めているのだ。国民の税金で飯を食っているくせに、ひどいものだ。
もっとも、これは行方不明者に限ったことではなく、ストーカー被害の被害届や、相談などに代表されるように、いくら生活安全課に相談したとしても、その人だけのために、動いたりはしない、せめて、帰宅時間近くになれば、警備を増やしてみたり、ケイタイ電話の番号を警察で登録しておいて、その電話からの通報があれば、もし、喋らなかった場合などは、事件だと見て、すぐに駆け付けるという措置を設けてくれるくらいのことである。
あくまでも応急処置のようなもので、だから警察というのは、
「事件が起きなければ、何もしない」
と言われるのだ。
もし、人が殺されたりなどすれば、
「警察は殺されなければ動いてくれない」
という印象すら与えてしまうのである。
そんな警察が行方不明者の捜索をわざわざしてくれるはずもない。だから、事件性のないと思われる変死体が発見された場合は、基本的には、形式的な照合まではするだろうが、それ以上するはずはなかった。
だが、一つ気になるところも残る場合もある。というのは、
「死体が発見されたのに、身元が不明で、さらに捜索願が出ていないということは、身元をわざと分からないようにしているということ、そして行方不明になっても、捜索願を出せない何か理由があるということ」
そこから、被害者が何かの犯罪に絡んでいるという可能性は十分にあると思うのだが、警察はこういう場合に、
「事件性がある」
と判断するのだろうか。
それも、管轄警察のどこかの部署の責任者が判断することなのだろうか?
実に難しいとことであるが、結局はどこかで捜査を打ち切って、それでも分からない場合、身元不明の変死体という形での処理となるだろう。
そんな状態の死体を、蘇生の対象として考える場合、どう考えればいいのか、山沖教授は想像してみた。
基本的には、まず、
「蘇生させてもいいのか?」
という大きな問題を解決するために、いくつかの考えが出てくるということである。
まずは、
「なぜ、捜索願を出せなかったのか?」
という考えがある。
捜索願を出し、さらにそこで見つからなければ、失踪宣告を行う。失踪宣告を行うと、基本的には七年経って、その人が現れなければ、その人は死亡したことになる。これは、刑法上でも、民法上でも同じで、刑法上の問題としては、死亡した人が何かの犯罪を犯していたとしても、被疑者死亡という形で書類送検されることにはなるが、ほとんどの場合は、「被疑者死亡」ということで、不起訴処分となり、裁判には至らない場合が多いということである。
そういう意味で、殺人などの罪を犯した可能性のある人物が、昔であれば十五年、今なら時効がないことから、
「罪を逃れるために、死んだことにする」
というのも、ミステリー小説の中でも見られることではないだろうか。
また、民法上の問題であるが、ここで大きく関わってくる問題とすれば、
「遺産相続などの問題」
が大きいのではないだろうか。
つまり、失踪した人がたくさんの財産を持っていた場合、死亡宣告を受けるまでは、その財産は、不在者財産管理人によって間おられるという。
ちなみに、言葉としてはややこしいのであるが、ここでいう死亡宣告というのは、法律上でいうところの「失踪宣告」と同意語であるので、失踪宣告とは、失踪届を出した日ではなく、失踪届から一定の期間が経過し、死亡と法律上みなされた時のことをいうのである。
つまり、失踪宣告が発せられれば、取り消しがない限り、つまり、本人が現れたりしない限りは、その時点で、財産分配が正式に行われることになる。
失踪宣告を受けた人の中には、最悪殺された人もいるのではないかとも考えた。