蘇生の成功術
「決済がすべて無効になる」
という問題の他に、
「核ミサイルの制御が外れて、勝手に発射してしまうのではないか?」
などと言われたのである。
しかし、年が変わってから、言われていたような問題も起きなかったし、ちょっとした問題くらいはあったかも知れないが、世界的に大きな問題はなかった。それもきっと事前に分かっていたこととして、対処できたからであろう。それだけ分かっていることに対応する力は、
「さすが人間」
というところなのであろう。
河合教授のノートを見ていると、いろいろ気になるところがあった。
その一つに、
「匂いが大切だ」
と書かれているところがあった。
これも、河合教授の性格から、額面通りに読んでいいものなのか迷うところであったが、河合教授と一緒にいた頃のことを思い出しながら読んでみると、この匂いというのは、やはり額面通りに読み取っていいような気がした。
そういえば、以前河合教授に進められて読んだ昔のSF小説というのがあった。SFと言っても、そんなに難しい内容のものではなく、タイムスリップ、しかも、時代を跨ぐようなタイムスリップではなく、短い時間での時間を行き来するという話だったのだが、その話では、
「タイムスリップをするという時、花の香りを嗅ぐことで、うっとりとして、匂いに酔っている間に時間をジャンプする」
というものであった。
バラの香りだったか、きんもくせいだったか、ラベンダーだったかは忘れたが、確かに花の香りだったのは覚えているのだ。
「香りには、何かしらの魔力があるというのは、昔から言われていることで、中国では今でも香を焚くというのが主流になっているだろう? 実際に昔は、お香を焚くことで、死者をよみがえらせたり、死者と話ができたりしたという言い伝えが残っているくらい、不思議な力があるものらしいんだ」
と言っていたのを思い出した。
それを思うと、教授が書き残した冷凍保存の話に、匂いというワードが入っていたとしても、いまさら驚くものではなかった。
教授が何の匂いを仄めかしているのかは分からないが、匂いが大きく関係していることは間違いないようだ。決して、教授の作為がそこに含まれているというわけではないと思えた。
しかもその匂いというのが、花の香りなのか、お香のようなものなのかというのも分からない。
とにかく、いくつか試してみる必要があるだろう。
それにもう一つ、この匂いというワードが、
「冷凍保存の際に必要なのか?」
それとも、
「蘇生の時に必要なのか?」
ということもハッキリと分かっていない。
どちらかに絞って研究すべきなのだろうが、もし、その順番を間違えたとすれば、もう一度もう片方でやり直すということは難しいだろう。
それだけ時間と労力、さらには金銭的な余裕がないのだった。
何しろ政府からの予算にも限りがある。特に我々は政府の本来の目的と違うところでの研究なので、予算が少なくなるのは、最初から分かっていたことだった。
しかし誰かがやらなければいけない。それに、この研究は河合教授が途中まで考えていただけに、できるのであれば、河合研究室しかないというのが、政府と山沖教授との共通した考えであった。
山沖教授は、予算を最小限に生かしたいと思っている。余るくらいでできればいいと思っている。そのためには、最初の企画段階が大切だった。
皆に話して意見をもらおうかとも考えたが。しょせんは一研究員の意見である。しかも、意見が割れてしまうと収拾がつかなくなり。最初からしこりのある因縁の開発ということになってしまうだろう。
それを思うと、山沖教授は難しい選択を迫られているということを自覚しているのであった。
山沖教授の頭の中で、
「匂いが絡むのであれば、それは蘇生の時だ」
と考えていた。
研究所では、無縁仏として運ばれた遺体が、数日安置されていた。
ここは、警察から匿名として引き受けた監察医としての仕事も受け入れることがあった。それは身元の分かっている死体ではなく。身元不明であったり、無縁仏として身内がいない人の監察だった。
これは、河合教授の時代に、
「うちがやります」
と進んで教授が名乗り出たことで行うようになった。
他の監察では、なるべく無縁仏を扱いたくないと思っていたからだ。
結界
匂いによる蘇生の問題は次の段階として、まず考えなければいけないことがあった。
それが、倫理とモラルという問題であった。この二つをクリアしない限り、研究自体ができないということになる。研究というものをいかに進めるか、その発想がまずは倫理とモラルの解決にあるのだ。
研究でモラルが確定しているということは大前提だった。
そもそも研究というものは、それまでになかったものを開拓するというものであり、そのためには、人間としてのモラルが犯されるということがない証明がなければ、成立しないものであった。
まずは、
「開発してはいけないものではない」
と思わせなければいけない。
ここでは、実際に目的のものができたと仮定して、それが問題ないかどうかという減算法に終始する。実際の開発は、そこからの加算法になるので、一度リセットする形になるのだが、この大前提は、結構難しいのであった。
これまでの研究でも、この大前提を証明できずに、研究を断念したことがあった。あまりにも断念が早かったので、依頼してきた省庁から、
「どうしてそんなに簡単に諦めつくんですか?」
と言われたのだが、
「これは開発してはいけないものだということに結論が達しましたので」
と言って、理論的なことをプレゼンのような資料に纏めて説明した。
どうしても専門的な話になるので、省庁の担当も難しいと思っているようだが、結局、研究してはいけないものというのは、倫理を証明しようとして考えていると、また同じところに戻ってくることがある。その場合は研究を続けてはいけないという警鐘であり、開発できないものということで証明できる最小で最大の資料であった。
理屈を説明して、また同じところに発想が戻ってくるということは、省庁の担当者にも納得してもらえた。
最初は、なかなかおんなじところに戻ってくるということに実感が湧かない省庁の担当者に説明するのは困難を極めたが、最近では同じところに戻ってくるということが、開発してはいけないものだということを理解したのか、省庁の担当者も納得してくれることが多くなった。
「やっぱり、今回も難しいわけですね」
と、ため息をついていた。
しかし考えようによっては、ある程度まで研究を進めて、
「実は開発してはいけないものでした」
と言われても、省庁としても引き下がれないだろう。
それだけに、最初のうちに、できないことを証明してくれるというのは、省庁の担当者としてもありがたいことだったのだ。
「他の研究室では、このような発想を持っているところはありませんからね。本当にこちらは発想もユニークだけど、スムーズにいくことが論理的に納得する一番の理由になるのだから、こちらの担当になって、実によかったと思っています」