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蘇生の成功術

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「人間は死んでも魂は残り、いずれ別の人間になって生き返る」
 という考えがあるからではないだろうか。
 この世では、人が死ぬと確かに、あの世に行って、また生き返るという考えがあるようだが、しかしその人間とはこの世ではどちらかが死ねば、会うことはもうできないのだ。そう思うから、近しい人が死ぬことを必死になって止めるし、延命を考える。
 それは植物状態になればどうであろう、それでも、親族なら、
「生きていてほしい」
 と思うのだろうか?
 確かに宗教における戒律で、
「人を殺めてはいけない」
 ということで、人を殺したり、生きている人間の命を断つことは許されないのだが、別の考え方として、寿命として、実質的に死を迎えている人まで生かそうというのは、宗教的に本当に正しいことなのだろうか?
「人間は生き返るのだから、ここで死んでいるはずの人間を変に引っ張るのが本当にいいことなのか?」
 という考えが、どうしてもっと表に出てこないのだろう?
 何よりも生きている人間が、治る見込みもない人間を、
「まだ完全に死んでいない」
 というだけの理由で生き延びらせるというのは、本当に正しいのかどうか、提起する人がいないのは、どこかでその声が消されているからなのかも知れない。
 普通なら表に出てきてもいいはずの意見が出てこないのは、その声が広まらないような、何かの秘密結社が暗躍しているからではないか。
 当然彼らには何かの目的があるのではないだろうか。
 安全装置を付けることで、高額の医療費を家族からむしり取ろうとする、秘密結社がいて、政府と結びついているなどということになれば、大きな問題だ。
 だが、何かの大きな力が存在しているとして、それが表に出ないともなると、政府くらい大きな存在がないとできないことだろう。
 どんなに批判されても政府の政治家を辞めたくないという輩は、これらのたくさんあるであろう、
「目に見えない利権の数々」
 によってもたらされる巨万の富を逃すことができなくなっているからではないだろうか?
 もちろん、究極の想像であるが、ここまで前政権が、あれだけ真っ黒な状態で、いくら他になり手がいない消去法で首相になったからと言って、歴代一位の内閣長寿記録を更新したというのは、しがみつくだけの理由があったからに違いない。
 しかも、政府には自分が表に出ることはなく、影のフィクサーが存在している。その人間はひょっとすると、首相などよりも甘い汁をたくさん吸っているのかも知れない。しかも表に出ているわけではないので、責任をとることもない。それだけ長く君臨できて、甘い汁を吸えるというものだ。
 そんなことを想像しながら、今までの政府の政策や存在していることの不思議さを考えてみると、ピタリと当て嵌まる部分が多いのだから、実に不思議な状況だ。
 宗教と政府がズブズブの関係ということになると、国民は騙されないようにしないといけない。
 今から四半世紀前に東京で起こった、集団毒ガス事件を覚えているであろうか。若い人は知らないだろうという時代に入ってきた。風化させてはいけない事件であることなのだが、さすがに二十年以上経てば、
「歴史の一ページ」
 というイメージしかなくなってしまう。
 そう、
「かの戦争があったことと同じくらいの昔の話」
 として考えてしまうとなると、宗教団体の本当の恐ろしさまで、皆忘れてしまうことになり、またしても、埋もれていた宗教団体が息を吹き返すことになるかも知れない。
 そういう意味では、今行っている研究も、宗教団体を意識しながら、やつらを刺激しないようにしなければいけないという考えもあって、山沖教授は、密かな研究を選んだのであった。
「河合教授の時代とは違うんだ」
 河合教授の時代は、まさに宗教団体というだけで、誰もが敏感になった時代。
 宗教の恐ろしさは、今の世代の皆に分かるのだろうか、甚だ疑問であった。
 山沖教授の研究は、少し引っかかるものがあった。どうしても、河合教授がまるで暗号のような書き方をしているので、一つ間違えると違った形での解釈になってしまう。
 そういえば、宗教という意味からでもあるが、以前世紀末の時、
「世界は滅びる」
 という話があったのを覚えている人は結構いるだろう。
 いわゆる、
「ノストラダムスの大予言」
 と言われるものだが、
「一九九九、七の月、空から恐怖の大王が降ってくる」
 というものであったが、それを昔の人が解釈して、
「この時に地球が滅びる」
 と言われていたのだ。
「ノアの箱舟伝説」
 にあったように、一度人類は絶滅し、選ばれた二年だけが生き残って新しい世界を作るというものなのかも知れないが、自分たちが死んだ後はどうでも、自分が死んでしまうことが問題だったのだ。
 ノストラダムスというのは、下手に予言などをすると、魔女狩りが行われていた歴史がある世界で、もし的中でもすれば、変に怪しまれ、処刑されかねないと思ったのだろう。予言と思しき内容を、四行詩に纏めて、暗号のようにしていた。それを知った人が彼の死後、それを見て、その内容から解釈し、実際に当たっていそうなことにこじつける形で、彼を予言者に祭り上げたのだ。
 実際にそれ以降の歴史上で起こった事件や事故を、四行詩に当て嵌めると、当たっているように見えるものがたくさんあることから、ノストラダムスを大予見者として、崇めることになった。
 だが、歴史の数ある事件の中にあくまでも、歴史学者がこじつけたものなので、本当にノストラダムスの予言なのかどうか分からない。検証しようにも本人は死んでしまっているので、できっこないのだ。
 まさか、恐山のいたこのように、降霊させることで、予言を聞くなどということを真面目にやった人はいないとは思うが、ありえないことではない。
 さらに、世界大戦や原爆まで予測したというのだから、信じる人が多くても当然といえば当然だ。
 だが、全部が全部当たっているわけではない。勝手にこじつけたものが外れることもあるだろう。
 肝心の地球滅亡と言われた世紀末で世界が滅びなかったことで、彼の予言が色あせたのかどうか、ハッキリとは分からない。だが、冷静に考えれば外れることもあるのだろうから、ノストラダムスの威厳は衰えたとは思えない。
 そもそも、世紀末というと、もう一つリアルな問題があった。
「西暦二千年問題」
 というのがあったのを、覚えている人も多いだろう。
 コンピュータが開発されて、コンピュータが持っている日付が、六ケタしかないということだった。月と日は、二けたなので問題ないのだが、実際には西暦は四ケタであり、二けたのままでいけば、九九の次には、〇〇が来るということで、比較をすると、二〇〇〇年よりも、一九九九年の方が大きいということになってしまうというのが二千年問題だった。
 頭に一九か二〇かのどちらからをつける必要があり、しかも、日付を使っているプログラムすべてが対象になるということで、世紀末が終わるまでに解決しておかなければいけない問題だとして、大きな騒動だったのだ。
 もし、これが解決できなければ、
「預金が日付が変わった瞬間にゼロになってしまう」
 だとか、
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次