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蘇生の成功術

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 マンガの映像化から始まり、その実写化が試みられるようになると、現在のように、ほとんどのドラマの原作が、連載漫画だったりするという現象になってきた。
 きっと、印刷物が減ってきたことにより、小説などの活字よりも、マンガのようにビジュアルで訴えるものが見やすいというのもあるが、今の若者は、
「二次元や二次元半、二。五次元」
 などという言葉があるくらいで、二次元半などというのは、
「平面の広がり」
 と解釈されているようだ。
 それだけ時間が経ってしまったということであろうが、山沖の若かりし頃は、そんな発想があるわけもなく、そもそも、テレビの時間帯も今とはかなり違っている。
 何しろ、テレビ離れをしていることで、今では、有料放送が主流になっている。ネットやスマホで映像が見れるようになって、叙実になってきていることだろう。
「お金を払って好きな番組を見る」
 そうすれば、民法で見たくもない番組ばかりが並んでいるゴールデンの時間、好きな放送が見れるのだから、いいことである。その番組が配信している番組であれば、何でも見れるのだから、お金を払ってでも見たい人もいるだろう。全体的にテレビ離れしているだけに、有料放送局も必死であろう。
 とにかく会員数を増やすことが大切であり。パソコンやスマホで見ている人にとっては、ありがたいのではないだろうか。
 本が、電子書籍になり、テレビが有料放送の配信になってきている昨今。時代の流れは本当に早いと言えるだろう。そういう意味で、ずっと、
「開発できないもの」
 があるという研究の世界は時間が止まっているのではないかと思われても仕方がないだろう。
 山沖教授のように、河合教授の提唱した、
「冷凍保存という考え方」
 が、いかにタイムマシンに変わるものとして実用化できるかということが、大きな問題だと言えるだろう。

             宗教による問題点

 研究員と話をしたことで、自分の方で冷凍保存についての初動は、すべて任されることになった。しかし、その責任は重大で、プレッシャーも結構かかってくる。さすがに文部科学省にも、厚生労働省にも、まだ冷凍保存の話はしていなかった。
 なぜなら、この研究は最初に、
「冷凍保存のやり方」
 を研究するというよりも、先に、
「一度死んだ人間を生き返らせる」
 という、蘇生の方法から研究しなければいけなかった。
 なぜなら、冷凍保存をする場合、一歩間違えれば、その人を殺してしまうことになるのだから、全世界の住民や国家を求めさせるためには、まず、死んだ人間を生き返らせるだけの理論がないと難しかった
 考えてみれば、本当であれば、こちらの方が研究は難しいだろうが、研究が完成し、臨床試験などで実証させるには、こちらの方が明らかに簡単なことだった。
 だが、この時、研究室の人たちは、気付いていないことが多かった。保険のつもりの発表が世間を二分するような騒動を引き起こすことになろうとは、それは、研究員の研究員たるレベルの限界なのかも知れない。
 研究員にはそれぞれに目的や理想がある、しかし、それが必ずしも正しいというわけではない。それに、国民を納得させられればそれでいいというものでもない。世の中には派閥もあれば、多数の考え方もある、戦争になる原因のほとんどが宗教がらみという本末転倒な世の中なので、一筋縄ではいかないことも多いだろう。それを思うと、果たして世界の成り立ちから科学者は考えないといけないということを、なかなか理解していない。
 科学者と政治家は仲が良くないものだが、どちらもそれなりに理想があり、それぞれに自分たちが優秀だと思っていることで、厄介なことになってしまうのだろう、
 それを思うと、科学者にしても、政治家にしても、モラルや倫理というものがどれほど国民から軽視していると見られているのかを知らないだろう。
 自分たちで争っていることなど、国民から見ればまるで子供の喧嘩でしかない。予算確保などのシビアな問題であっても、国民に見えてこない分、すべてがグレーなのだった。
 政府は、あくまでも国民を見ている。しかし、それは国民の生活を守るという目的もさることながら、優先順位としては、
「自分たちの政権が生き残ることができることを最優先とする」
 ということであった。
 それが例えば人類のためであるとした場合であっても、そのために予算を膨大に使い、別の方面でしこりを残してしまうと、そのために、政府が批判されてしまう。
 いくら、
「これは、将来的に国民の皆さんのためになるんですよ」
 と訴えても、国民は現状しか見ないので、誰も政府を擁護しようとはしない。
 つまりは、国民が納得できることを言わないと、政府は、
「また国民を騙している」
 としてしか見ないのだ。
 そもそも、かつての政府がそういう政治を行ってきたつけが今も残っているためであるのだが、実際に政権のトップにいる連中が、特権階級の中にいることで世間を理解することができず、カネの亡者になってしまったことで、下手をすれば、政権維持だけに突出し、独裁政権を目指しているのかも知れない。
 現状の日本という民主主義国家では、さすがに独裁政権を樹立することは難しいだろう。
 どこかの、
「将軍様」
 の国であったり、
「自分たちがいまだに民族が一つだと言って、他に同じ民族の国家を認めようとしない」
 というどこかの国とは違うのだ。
 ただ、最近の日本は民主主義国家にあるまじき政治を行っているようだ。
 いや、これが民主主義国家の限界なのか、まるで共産主義が台頭してきた時代背景に似ているような気もする。
 さすがに世界では、昔のような帝国主義や、職員血政策を行っている国もないので、世界大戦という愚かなことはないだろう。ある意味それが、
「核の抑止力」
 と言えるのかも知れないが、それも実に皮肉なことである。
 そんな時代を彷彿させる今は、何が正しいのか、分からなくなってきている洋は気がする。
 科学者の方のモラルも、最近は低下してきているような気もする。それは、前述の世界的パンデミックの際の日本政府の中で、
「新型感染症対策委員会」
 というものが国家で発足し。そこでは、政府の各大臣や、医療の立場からの、感染症専門家の人たちや、経済面におけるエキスパートなどが集まった分科会があるのだが、主導は政府側にあるのは仕方がないにしても、
「対策は、分科会の中での専門家の意見を踏まえたうえで、対策を首相が決定する」
 ということになっているのだが、実際には、政府高官と、分科会の専門家では意見が折り合っていないようで、あれだけ、
「専門家の意見をきいたうえで」
 と言っていたくせに、専門家が政府の意向と違う意見を出しても、それは表に出ずに、黙殺されそうになっていた。
 しかし、それが、マスゴミにバレてしまい、ひょっとすると、分科会側の内部リークカモ知れないのだが、それが報道されると、一気に政府へのバッシングが起こった。
 国民は政府を信用せず、そのために、政府がいくら宣言を出しても、そこには拘束力がないことから、従わない人がいっぱい出てきて、パンデミックを引き起こす。
作品名:蘇生の成功術 作家名:森本晃次