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クラゲとコウモリ

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 この時代は、激動の時代だったということもあり、変格探偵小説の方が強かったのかも知れない。現在読まれている当時の小説というのは、変格探偵小説と呼ばれるものが多いからだ。
 そんな時代から次第にトリックなどを重視した本格派が出てきて、さらには社会派と呼ばれるストーリーや時代背景を重視する作品が生まれ、そのうちに、作家のオリジナル作法が、ジャンルとしての礎を築くことになる。
 それが、トラベルミステリーであったり、ある特定の都市で生まれる事件であったり、するのだが、そのうちに、今度は探偵が、探偵以外の職業の人であったりするという作風が生まれてきたりした。探偵小説から、推理小説、ミステリー小説と続く歴史を見ていると、結構楽しかったりする。
 そういう意味では、自分が好んで読んでいる大正末期から昭和初期というと、オカルト的な都市伝説のようなものが組み込まれていたり、そのわりに、奇抜な発想がある一定のところから先に結界があるかのように、どこか限界を感じさせるのは、帝国主義的な側面から、小説などの検閲が入るからではないかと思われる。
 あの時代はそういう時代だったのだろう。

               自由と寂しさ

 友達がいないと寂しいという感覚は、誰が決めたのだろう? やたらと友達を増やしても、それが自己満足でしかないことに気づくまで、意外と時間が掛からなかった。友達の数がステータスだなとと思っていた時期が懐かしいが、それはやはり、自分だけが取り残された感覚になったからだろうか。
 なぜそんな気持ちになったのかというと、自分の行動に信念がなく、まわりに流されてしまったことから来ているのではないかと思うようになった。闇雲に友達を作りすぎると、反目しあっている友達の間に入ってしまって、身動きが取れなくなってしまう。そうなると、どちらかについて、反対側の人と敵対することになるか、うまく相手の都合に合わせて、立ち振る舞うかのどちらかにしかならないだろう。
 うまく経ち振る舞えればいいが、中途半端な行動をとってしまうと、それぞれに不信感を抱かせることになる。
「日和見主義だ」
 と言われてしまうのだろう。
 イソップ童話に、
「卑怯なコウモリ」
 という話がある、
 獣と鳥が戦争をしていて、コウモリは、獣に会えば、自分は身体に毛が生えているので、獣だといい、鳥に会えば、翼があるので、自分は鳥だと言って、それぞれに都合よく立ち回っていたのだが、戦争が終わって、鳥と獣が和解すると、それまで都合よく立ち回っていたコウモリに対して、鳥も獣も不信感を抱くようになり、そのせいで、相手にされなくなったコウモリは、洞窟のようなジメジメした場所で、人知れず生きていくことを余儀なくされるという話であった。
 要するに、都合よく立ちまわることは、有事であればうまく立ち回ったと言えるかも知れないが、平時になってしまうと、どちらからも疎まがられ、下手をすれば、戦犯として処刑されかねないほどの大罪だということだ。
 綾香は、自分の大学時代をそんな時代だったと思った。
 ある時、友達から、
「綾香は、コウモリだよね」
 と言われて、他の皆も、
「そうだね」
 と賛成していたが、意味を知らなかったのは、本人である綾香だけで、
「そうなの?」
 と、ごまかしたような言い方をしたが、皆は分かっていて、綾香が訝しがっていると思ったのだろう。
 しかし、実際にはそうではなく、綾香は本当に内容を知らずに、どう反応していいのか分からなかっただけだ。このあたりのすれ違いも、綾香が友達を失くす大きな理由の一つだったのだろう。
 実際にその話が広がって、いつのまにか綾香のあだ名が、
「コウモリ」
 になってしまった。
 最初はそんな悪い意味だとは思っていなかったので調べなかったが、さすがに皆から言われるようになると、そのあだ名の真意がどういうことなのかというのを探ってみた。
 さすがに、コウモリに対して、あまりいい印象を持っていない綾香にも、数人にだけなら気にもならなかったが、公式としてのあだ名として認定されたのであれば、気にしないわけにはいかない。それを自分の性格だとして、皆が認識するということだろう。
 今友達でいる人たちはまだしも、これから友達になるかも知れな人が、綾香のことを、
「コウモリというあだ名なんだ」
 と認識して、その時どう思うかと思うと。
「ああ、やっぱり」
 と言って、ほくそ笑んでいるのを思うと、どうにも気持ち悪い気がしたのだ。
 その気持ち悪さが恐怖に繋がることがないことを望んでいる。もし、これが恐怖に繋がるとすれば、前述の小説のように、生き埋めにされた男への加害者の悪魔の微笑みが想像されるからだった。
 さすがにそこまではないにしても、コウモリを調べた時に出てきた、
「卑怯なコウモリ」
 の話を見ると、なるほどと思えてしまう。
 もし、自分が他人であれば、自分のような性格の人を見て、きっとコウモリだと思うに違いないと感じるからだった。
 コウモリというありがたくないあだ名をつけられてから、最初は嫌だったが、慣れてくると、あまり気にならなくなった。それはきっと、
「私の性格が本当にコウモリのような感じだということが分かってきた気がしてきたからだ」
 と思うようになっていた。
 コウモリの顔写真をアップで見た時はさすがに気持ち悪いと思ったが、よく見えると愛らしさもあった。
「コウモリというのは、一見で損をするのかも知れない」
 つまりは、第一印象で判断する人には受け入れられないものだということだ。
 だが、その顔に愛らしさを感じると、第一印象で勝手に気持ち悪いと感じたことを悪かったという思いで、コウモリに入れ込んでしまうかも知れない。自分の気持ちをゆだねるくらいの気持ちであろうか、しかし、仲良くなると、今度は卑怯なコウモリが姿を現すのだが、一度信じてしまった相手は、そのことに気づかない。
 そのため、自分が欺かれているとしても、気付いていないので、コウモリも調子に乗ってしまうと、それが、目に見えない亀裂を生んでいるということに最初に気づくのは誰だろう?
 だが、気付かれないわけもなく、最終的に別れてしまうことになる確率は高いのではないかと思われる。
 ただ、その時、コウモリの方よりも、友達の方が精神的にはきついかも知れない、何か裏切られたような気分になり、相手を強烈に拒否してしまうだろう。コウモリの方は、何が起こったのか分からず、こんな状況に苛立ちは抱いても、相手を恨むまでの意識はないだろう。
 それは、自分が恨むと相手も恨むことになると感じたからだが、それは時すでに遅しだったので、
 相手は、すでにコウモリを恨んでしまっていて、
「こんな人と友達になるなんて、最初に悪かったと思った感覚を返してほしい」
 と思うほどだった。
 綾香は、
「コウモリというのは、一見で嫌われることも多いが、付き合っているうちに自分が憎まれるようになることもあるんだ」
 と感じた。
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次