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クラゲとコウモリ

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 という思いであった。
 友達なんかいらないというところまで捻くれているわけではないところが、
「友達がいなくても寂しくない」
 と思うところであろうか。
 実際に、大学に入っても、いまさら部活をしようとは思わない。友達を適当に作って、バイトをして、勉強は適当に……というのが、自分の大学生活だと思っていた。
 だが、考えてみれば、一生懸命に勉強して入った大学だ。やりたいこともないわけではなかったはずなのに、その気持ちはどこに行ってしまったのだろう? やはり大学キャンパスというところは、それまで閉鎖的な性格を爆発的に開放してくれただけに、一度呑まれてしまうと、なかなか抜けることができない。
 人間関係も、一番勉強できるいい機会のはずなのだが、どうも友達をたくさん作ってしまうと、その友達との関係がいつの間にか、相手に気を遣うということを重要に考えるようになり、自分はいつもまわりの誰かに従順であることが一番いいと思うようになってしまった。
 その方がまわりからのウケは確かにいい。気を遣っていると相手も敬意を表してくれるので、気分もいい。
 しかし、右にも左にも流されてしまう自分を見失ってしまっていることに気づかないのだ。
 下手をすると、好き勝手に利用されて、そこから先が見えてこない状況に追い込まれ、人の言葉にだけ流されて、自分の意志がどこにいったのかすら、見失ってしまわないかというところまで来てしまうのだ。
 そのうちに、まわりから置いて行かれてしまう。二階におだてられて昇ったはいいが、皆昇ってくると思っていると、梯子を外され。そのまま一人置き去りにされていまった感覚である。
 しかも悪いことに、自分が置き去りにされてしまったことを分かっていながら、ヘラヘラしていると誰かが助けに来てくれると思って、自分の置かれた立場にいつまで経っても気付かないというところに追い込まれてしまうということだった。
 そんな状態になって、やっと分かっても遅いのだ。
 以前、読んだミステリーで、ある男が地下室の秘密の部屋の奥に追い込まれて、相手を信用している状態で、さらに泥酔していたこともあって、目の前でその人がレンガを組み立てている間、ヘラヘラ笑って、
「悪い冗談、よせよ」
 と言っているが、最後まで組み立てられ、真っ暗になると、男はもう笑っていない。自分の状況を分かってしまい、永遠に出ることのできない暗闇の中で生き埋め同然に息絶えるしかないのだ。
 それを見た時に感じた恐ろしさに似ているような気がした。
 その男が殺されるだけの殺意を殺害者に与えてしまったのは、分からなくもないが、
「何もそこまで」
 という感じであった。
 殺すのであれば、一思いに殺せばいいものを、何もそこまでして相手を苦しめて苦しみぬく必要があるのかと思ったが、それほど人間というのは、怒りも極限に達すると、やることが恐ろしいと思うと、
「一番怖いのは幽霊などではなく、人間の持っている本性なのではないだろうか?」
 と思わせる映画だった。
 元々、その原作があったので、小説の方も読んでみた。同じ内容が文章でも書かれていて。読んでみたが、さすがに映像には適わないと最初そう感じたが、
「逆だったらどうだったのだろう?」
 とも思った。
 そう思って。もう一度、最初から本を読み返してみた。
 最初に本を読んでいれば、その場面をきっと想像するに違いない。文章なので、いかにその場面を想像させるかというのが、作者のテクニックなのだが、十分にその効果はあるようだ。
 映像を後で見れば、映像を最初に見た時ほどインパクトはないが、読書時の想像とどれほど違うのかということが分かるようで、想像の違いがどれほどのものかによって。恐怖の度合いも違ってくるのだろうが、自分の想像とあまり違わなかったのは、自分の中にもそんな残虐性があるのではないかと思うと、逆に怖くなった。
 まさかとは思うが、そのあたりを考えた上での映像化だったとすれば、素晴らしい。確かにシチュエーションからすれば、どのように映像化しても、少なからずの恐怖を与えることができるのは間違いない。そして。原作と同じ恐怖が視聴者にも伝わることも分かるだろう。
 そんな映像がたまに夢に出てくるようになった。目が覚めてから呼吸が荒くなっているのを感じる。よほど、生き埋めというシチュエーションが怖かったのかと思ったが、よく考えるとそうではない。
 あの話の中で何が一番恐ろしいのかというと、自分が生き埋めにされるのを、目の前で見せつけられながら、
「まさか、本気で自分を殺そうとしているわけはない」
 とでも思ったのか、事がすべて済むまで、茶番だと思って被害者が笑ってるところだった。
 最後には断末魔の表情になり、二度と出ることのできない場所に身を投じてしまったことでの恐怖から、一度だけ叫び声を挙げるが、それ以上は何も言えなくなってしまったということだ。
 それを見た時、
「何と、不気味なのだ?」
 という思いと、さらに、
「気持ち悪い」
 と感じたことだ。
 気持ち悪いというのは、表情もそうだが、自分が加害者に対して行った背信行為が、
「ひょっとすると、殺されるかも知れないほどのことをしたのかも知れない」
 と分かっていて、それでも泥酔しているからといって、恐怖に対して感情がマヒしていることを表に出しているからだった。
 そもそも、この男が泥酔してしまったのも、加害者が被害者に、
「まあ、どんどん飲め。さあ無礼講だ」
 などと言って、その気にさせたのも原因の一つだが、何よりも、被害者が恐怖を感じていたことで、その恐怖を少しでも和らげようと、虚勢を張ってみた感情から、ついつい飲みすぎた結果ではないだろうか。
 恐ろしいことに、加害者の方もそのことを分かっていた。心理的に相手を追い詰めるということに成功していたと言ってもいい。
「俺が悪いんだ」
 という意識はあったはずで、ひょっとすると、殺されても仕方がないとまで感じていたのかも知れない。
 そう思うと、泥酔してしまったことも、相手がレンガを積み重ねていくその理由が泥酔している中で、何となく分かっていたと考えられるかも知れない。泥酔していなければ、すぐに相手に飛びつき、取っ組み合ってでも殺されるのを防ごうとするだろう。
 下手をすれば、返り討ちにして殺してしまうかも知れない。相手はそのことを考えもしなかったのだろうか。
 いや、相手が泥酔してしまった時点で、
「この計画は成功する」
 と考えたに違いない。
 何しろ、加害者の方は、酒を飲んでいるふりをして、一切口にしていなかったのだ。泥酔状態の相手にいくら何でもシラフの自分が負けるはずはない。ましてや殺されることもないだろうし、よしんば、生き埋め作戦が失敗したとしても、殺しておいて、壁に塗り込んでしまえば、この家が廃墟にでもなって、取り壊されなければ発見されることはない。
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次