クラゲとコウモリ
その頃から、母親はパートを始めたようで、それで帰宅してから食事を作っていたのでは間に合わないということだったのだ。
綾香は、それまでの封建的なルールにウンザリはしていたが、急に好き勝手にと言われると、どこか不安な気がしていた。
あれほど、好き勝手できることを望んでいたのに、いざできるようになると、どこか躊躇があったのだ。
だが、それも最初だけのことで、一人でゆっくりできる時間ができたことは嬉しかった。表で食事と言っても、いつも一人で、
「今日は何を食べよう」
と思うのが、あれだけ楽しみだったはずなのに、すぐに億劫になってきた。
そもそも、飽きっぽいのだから、それも考えたら当たり前のことだったはずである。
そうやって、綾香の家庭は壊れて行った。いや、その歪はもっと前からあったのであって、壊れかけていると感じたその時は手遅れで、修復不可能な状態だったようだ、分かっていたとしても、娘にどうすることもできるはずもなく、すでに、修復不可能なところまできてしまうと、娘の綾香を見る余裕などなかったのである。
これからの自分たち、離婚することは決定事項の中で、娘というのは、家庭の中での、付属品という程度の認識しかなかったようだ。まるで、財産分与の中の一つでしかないような感じだったらしいということは、後になって気づきはしたが、離婚の話で両親が余裕のない時には、気付きもしなかった。
ただ、両親の腹が決まって、それを綾香に話をすると言って、今までにはなかった家族会議成るものが催された時、
「ああ、これで終わったな」
と感じたのは間違いない。
「お父さんとお母さんは、これからそれぞれの道を歩むことに決めたんだが、お前は
どっちと一緒にいたい」
と言われた。
正直、一人で暮らす方がいいというのが本心だったが、まだ高校生、一人で暮らすなどできるはずもなく、どちらかについていくしかなかった。
基本的には、母親なのだろう、少なくとも父親と二人で暮らすなどという選択は、想像もつかなかったからだ。
綾香は父親と言っても、血の繋がりを感じたことはなかった。それは小さい頃のことから思い出しても、いや、思い出すから、余計に血の繋がりを感じないのだ。
父親らしいことをしてもらったという意識はない。小さい頃はおばあちゃんも一緒に住んでいた。お父さんのお母さんに当たる人で、一番血の繋がりを感じられた人で、一番自分を可愛がってくれていた。
「孫は可愛い」
と言われるが、まさにそうだったのだろう。
綾香の面倒をみてくれていたのはおばあちゃんだった。その頃は、まだ家族そろっての食事などというのはなかったのだが、その祖母から離れて、都会でマンション生活をするようになったのは、父親の転勤がきっかけだった。
祖母も最初は一緒にいくのかと思ったが、
「おばあちゃんはついていけないよ」
と言って、どうやら、老人ホームに入ったということだった。
それから祖母とは会ったことがなかったが、いまさら会いたいという気持ちにもなれないのはなぜだろう?
「まさか、あの父親のお母さんだから?」
と感じたからであろうか。
もし、そうだとすれば、どこまでも自分が父親を嫌っているかということの証明のようで、
「それもありなんじゃないか?」
と思えたのだ。
都会のマンションに住むようになってからだった。家族の間での取り決めのようなものができたのは、
「食事は皆で食べる」
こんな昭和の腐ったような取り決め、時代錯誤もいいところではないか。
それを悪いことだと思わずに、中学時代までしたがっていた自分も情けない。
だが、その情けなさは、自分が気付かなかったことにあるのではない、自分が情けないというよりも、封建的な父親に逆らえない母親が情けなかったのだ。少しでも抗ってくれれば、少しは母親らしいと思えたのに、小学生の頃など、綾香が何かしでかせば、
「お父さんに叱ってもらうわ」
という言い方をしていた。
高校生であれば、
「あんたに自分の意志はないのか?」
と言えるのだろうが、小学生くらいでは、母親に対してそんなことが言えるわけもない。
いうだけの根拠が自分にないのを分かっているからだ。
とにかく、家は父親の専制君主だった。父親のいうことは絶対で、そして母親はそんな父親に絶対服従だった。何が嫌と言って、その絶対服従を母親は綾香に強いるのだ。だから、
「お父さんとお母さん、どっちが好き?」
と訊かれたら、
「お母さんの方が嫌い」
という答え方しかできないだろう。
どちらも嫌いだということが大前提になり、そこからの思考にしかならない。だから、そういう回答になるのだった。実際に誰かにその回答をしたことはなかったが、訊かれれば間違いなく、そう答えていただろう。
それなのに、
「どちらと一緒にいたい?」
という質問は違っている。
「どちらとなら一緒にいることができる?」
と訊かれているのだ。
父親ではないのはまず大前提なのだが、では母親だったら我慢できるか? というのが、考え方の基本だった。どちらと一緒にいたいなどという発想とは程遠いこの思いは、
「やはり、子供を自分たちの所有物としてしか考えていない証拠なんだわ」
としか思えない。
「下手をすると、娘に選ばせたということは、話し合いの結果、二人とも子供を引き取るのが嫌で、結局結論が出なかったということで、子供に丸投げしたというだけのことではないのか?」
と思ったが、結果としては、それに間違いはないようだ。
結局綾香は、頭の中で必死に減算法を駆使することで、母親と住むことを選択する以外にはなかった。
「こんな選択、二度としたくないわ」
と感じた綾香だった。
悪魔の応酬
どうやら、養育費を貰わないという条件で、綾香の大学の学費を父親が払うという条件が成立していたようで、綾香は晴れて大学に入学できた。元々成績はよかったので、どこかの大学に入学はできるだろうということだった。何とか地元では一流大学と言われているところに合格できたので、それはよかったと思っている。私立であるが、そんなことは気にする必要もない。何しろ、学費はあの父親が払うのだ。私立だろうがなんだろうが、払わせればいいのだ。
大学に入ると、それなりに友達もできる。そして友達との会話の中で、
「ウソでしょう? 今までそんな生活をしていたの?」
という言葉を何度聞いたことだろう。
綾香が、
「これは、どこの家庭にもあることで、普通のことなのだ」
と思っていたことを普通に言うと、
「えっ? 何言っているの?」
と言われるので、自分の育った家庭がそうだったのだということを普通にいうと、
「ウソでしょう? ウケるんですけど」
などと言われて、半分呆れられているというか、嘲笑われているという状態だった。
「それが、一般家庭で皆していることだなんて、本気で思っていたとしたら、あなた、時代錯誤もいいところよ」
と言われた。