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クラゲとコウモリ

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 と感じたほどだった。
 綾香は自分で自分のことを、楽天的だとも思っていなかったが、
「品行方正でも天真爛漫でもない自分が好かれているはずない」
 と思っていた。
 それは、まず間違ってはいないだろう。嫌われているとまでは思っていなかったが、好かれてはいないと思っていた。どちらかというと、存在の薄いタイプで、その他大勢の中にいるだけの人間だと感じていて、それでいいんだと思っていたのだ。
 別に人から好かれたいとは思わない。
 小学生の頃から、
「人に好かれる女の子でいないといけないわよ」
 と、母親に言われていたが、好かれることのどこがいいのか、まったく分からなかったのだ。
「人から好かれるって何なのよ」
 と感じていて、
「好きになった友達がどこまで自分のためになるというの?」
 と、打算的なことまで考えていたのだった。
 小学生時代の綾香は、絶えず、母親から好かれる女の子でないといけないという観念を持っていた。
 自分のまわりにいる人に対して無意識に優先順位をつけていて、その一番がダントツで母親だったのだ。
 父親や先生、クラスメイトは、横一線であり、ただ、自分のそばにいるというくらいだった。肉親である父親だって、顔を合わせるのは夜のちょっとした時間か、朝の朝食の時間くらいである。
 綾香は朝の時間が嫌いだった。目覚めがあまりよくないというのもあったのだが、目覚めてからの、朝の喧騒とした時間を味わうのが嫌だった。
「おはよう」
 と口にしただけで、誰も何も話そうとはしない。
 母親は、黙々と朝食の準備や平行して洗濯もしているようだった。そのせいで、洗濯機のなる音が嫌いだった。それは朝の時間に限らず、他の時間も同じことで、それだけ嫌だったのだ。
 誰も話をしないので、ちょっとした音でもやたらときになっていた。それも嫌だったのだ。
 特に洗濯機の音は結構聞こえてきて、綾香の気持ちを忖度するなどありえない、まったく遠慮のない音は、節操がないように思えていた。
 それは、そのまま朝の喧騒とした雰囲気に飲み込まれていき、そもそも、わざとらしさすら感じるほどだった。これほど肩身の狭い思いをどうしてしなければいけないのか、悩ましかった。
 さらに何が嫌だったと言って、朝食がワンパターンで嫌だった。メニューは毎日和食。ごはんに味噌汁の定番、おかずは、卵焼きだったり、焼き鮭だったりが主流だった。
 さすがに味噌汁の具は毎日変えてくれていたが、汁の味に変化はない。飽きない方が不思議なくらいだ。
 みそ汁の具で好きなのは、玉ねぎとジャガイモの味噌汁であった。これだけは飽きがこなかったが、それ以外の、わかめと豆腐であったり、厚揚げと豆腐、などは嫌いではなかったが、好きにはなれなかった。
 中には、どうにも嫌いだったのが、ナスの味噌汁で、これは、焼きナスが起因していた。うちで焼きナスというと、他の家庭でも同じなのかも知れないが、酢醤油にかつおぶしというのが定番だった。
 母親も父親も、酢の入った料理は嫌いではないようで、特に母親は酢が好きだったようだ。
 しかし、綾香は酢が完全に嫌だった。あの臭いがまず嫌で、
「食べながら酸っぱいものを口にした時に、思わず咳が止まらなくなるほどの息苦しさを、なぜおいしくもないのに我慢しなければいけないというのか?」
 と思っていた。
 そんな思いをしなければいけないのは、拷問だと思っているので、酢を使うものは基本的に嫌いだった。
 特に、餃子を食べる時などは、餃子の独特な匂いと、あの酢をたっぷりと入れた自家製のたれの匂いが混ざった時、
「まるで毒薬のようだ」
 とまで思ってしまって、本来の餃子の味が分からなかった。
 だから、中学生まで、餃子は嫌いだったのだが、高校に入って友達と言った中華料理屋さんで、餃子を頼んだ時、
「私はいいわ」
 と言ったが、
「ここの餃子はおいしいのよ。騙されたと思って食べてみればいいわ」
 と言われて、注文したが、その時酢は自分で勝手に入れればいいことが分かると、酢を入れずに初めて餃子を食べたのだった。
「おいしい。餃子ってこんなにおいしかったんだ」
 と言って感動すると、
「食べたことがなかったわけではないでしょう?」
 と言われて、違うことをいうと、
「それは、あなたの勝手な思い込みよ。これで今まで嫌いなものが一つ克服できたでしょう? 他にもあるんじゃないかしら?」
 と言われて、それからしばらくしてから、嫌いなものにチャレンジしてみると、意外と食べれたものも結構あった。
 朝毎日食べさせられて、ウンザリとしていたものも、一時期食べずに、しばらく経って食べてみると、おいしく食べられたものも少なくなかった。思い出してみれば、そういう料理は結構あるというもので、朝食の時間は、後から思い出すのも嫌になっていたのだ。
 大学に入ると、朝食は摂らなくなった。
「別に食べたくなければ食べなきゃいいんだよ」
 と友達は言っていた。
 中学時代までは、家族そろって朝食を摂るのが当たり前で、毎日飽きもせずに、ごはんと味噌汁。もううんざりだった。
 しかし、修学旅行で出た朝食も同じご飯に味噌汁、そこに、タマゴであったり、焼き鮭があった、見た瞬間ウンザリだったが、実際に食べてみると、
「これ、おいしい」
 と、思わず声に出して言ったくらいだった。
 こんなにも場所が違えば美味しく感じるものなのだろうか? いや、おいしいと思ったのはたぶん味付けの違いと何よりも、食べさせられているという感覚のないことだろう。
 同じ朝の喧騒と下雰囲気なのだが、家族団らんなどという言葉とは程遠い、まったく会話のないただの義務だけで食べていた朝食とは違い、修学旅行という解放された環境が、同じ朝食でも明らかな違いを感じさせるのだった。
 それを知った時、自分の家庭がどれほど封建的な家庭なのかということを思い知った気がした。朝の食卓だけではなく、小学三年生くらいまでは、夕食ですら、
「お父さんが帰ってきて、皆で食べるのよ」
 ということで、一応、八時までは待たされたものだ。
 七時を過ぎる時は、先に風呂を済ませて、父親の帰宅を待つ。それが当たり前のことであり、どこの家でも同じなのだと思い込まされていた。
 別に、
「他の家も皆そうなのよ」
 と言われたという意識はなかったので勝手に思い込んでいたのだが、従順な子供にそう思い込ませるのだから、その罪は決して軽いものではないだろう。
 実際に、
「これって、昭和の時代の家族のことじゃない。時代遅れも甚だしいわ」
 と、知るのは、両親が離婚してからのことだった。
 それまで、父親の意向に素直にしたがっていた母親が、綾香が高校生になった頃からまったく変わってきた。基本的にそれまでの家族のルールがまったく守られなくなり、家族は好き勝手なことを始めたのだ。
 まず、父親の帰りが遅くなり、
「夕飯をみんなで」
 という儀式がなくなった。
 それにともなって、母親も帰りがまちまちだったりするので、夕飯は重い思いで好き勝手にやっていた。
 最初の頃は、
「綾香、今日は表でご飯食べてきなさい。お母さんも遅いから」
 と言って、お金を貰っていた。
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次