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クラゲとコウモリ

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「自分が鬱状態になることで、自分がまわりに悪いことをしていたとしても、言い訳になるというおかしな理論を持っていたのだが、絶えず、保険をかけているというだけのことであって、言い訳にはなるが、自分を納得させるわけではない」
 と感じていた。
 だったら、逆に、
「いい方に考えれば考えるほど、いい方に向かっていくのかも知れない」
 とも感じられた。
 それを躁状態というのだろうが、ただ、気になるのは、
「躁状態の後には鬱状態」
 というスパイラルがあるのではないかというものだった。
 スパイラルというのは、らせんという意味のようだが、その言葉を聞いた時に感じたのは、
「バイオリズムのグラフ」
 だった。
 プラス域とマイナス域を繰り返す波目のような線を描く、バイオリズムとは、三つの線である、
「知性、身体、感情」
 の三つが微妙にずれた形で同じカーブを描いて、その中で、三つが重なるところがちょうどその人の絶頂期に当たるというものである。
 バイオリズムのグラフを見た時、らせん状になっている形は、まるで躁鬱症のようなものではないかと思い、同じらせんが二重になっているのを感じた。
 それは、片方が上り専用であり、もう片方が下り専用である。
 しかし、それを考えていくと、必ず上限と下限で接していなければならず、それがバイオリズムの三つの線が重なっているところだと思うと、どちらも、頂点であり、底辺もある意味、頂点だと考えると、鬱であっても、その時に感じたことは、決して忘れてはいけないことだと思えてくるのだ。
 躁鬱症では、鬱に入る時、躁状態に入る時と、それぞれ分かるものだという。
 どっちが分かりやすいのかと考えた時、鬱をトンネルに例えると、躁状態になる時の方が遥かに早く分かるのではないだろうか。
 躁状態が日の光であるとすれば、暗闇に入り込んでくるのは、微妙な光であっても、分かるというものだ。
 だが、鬱状態に入る時というのは、真っ暗な中に突然入っていくもので、気が付けば真っ暗だったということもあり、一歩間違えると、足元が抜けてしまって、奈落の底に落ちてしまうのではないかという恐怖が襲ってくるのだった。
 真っ暗であれば、その場所が狭いのか、高いところなのか分からない。高所も閉所も一緒になっているということから、
「暗所恐怖症は、三大恐怖症の中でも、ある意味で一番怖いものであり、怖くないものなのかも知れない」
 と感じた。
 三つすべてを兼ね備えているということは、逆にいえば、それぞれを三分割したのと同じだと言ってもいいだろう。
 そう考えると、
「怖さが三倍になるかも知れないが、分散されて、三分の一になっているかも知れない」
 と言えるかも知れない。

                「彼女」の正体

 あいりが綾香の存在に気づいてから、
「綾香の近親者が、以前自分の行動範囲内にいて、自分のことを好きになってくれていたのを感じたことがある」
 と思っていた。
 あいりの日頃から言っている、「自論」を展開させた言い方だったが、そもそも、自論自体がよく分かりにくいものだけに、話の内容もいまいち分かりにくかった。特に綾香は一人っ子で、姉妹がいるわけではないので、近親者と言われても、ピンとこなかった。
 確かに従姉妹はいるが、近所に住んでいるわけではなかった。あいりがどこか他の土地にいたことがあるのかと聞いてみたが、
「いいえ、私はこの土地から離れて暮らしたことはないわ」
 と言われた。
 従姉妹も、この近所で暮らしたこともなかったので、あいりの発想は違っていることになる。
 それにしても、あいりは、あまり綾香のことをまだ何も知らないのに、よく自分を好きになってくれた人が、綾香の近親者だと分かったものだ。普通、分かるとすれば、自分を好きになってくれた人が、綾香のことを親近者だというか、逆に綾香が、近親者を指定できるかなのだが、綾香自身が、
「近親者はいない」
 と言っているのだから、後者はないことになる。
 ということは、あいりを好きになったその人が、綾香とあいりが同じ大学で学んでいるということを知っていて、あいりの素性を聞いた時に、綾香の話をしたのだろう。
 それ以外には考えられないが、綾香の知らないところで、そんな話ができあがっていたなどと思うと、気持ち悪い。しかも、自分はその相手が誰なのか知らないのだ。一体誰だというのだろう?
 これはあくまでも、妄想でしかないが、父親がかつて不倫をしていたということであるが、その父親が不倫相手のお腹に子供を宿し、本来であれば、堕胎してもらいたかったのだろうが、相手の女性が頑なに産むことを主張したのではないか。
 その時、
「決して、このことは口外しない。私が一人で育てていく」
 ということを言ったのかも知れない。
 父親が認知しているのかどうかは知らないが、どちらにしても、もしそんな腹違いの姉妹がいたとすれば、かなり精神的にも苦労をしてきたことだろう。少なくとも、
「お父さんは、いないのかい?」
 と言われただけで傷つくくらいである。
 これくらいのことは子供であれば、普通に聞いてくることだ。それに耐えなければいけないくらいなので、もっともっと辛い思いはたくさんしていることだろう。
 親の不倫が原因で、両親の仲がぎこちなくなり、結局離婚したという自分の家庭を、
「不幸な家庭だ」
 と思っていたが、上には上がいるのかも知れないと思うと、
「比較すること自体が難しい」
 と思うようになったのだ。
 自分のような境遇で、人によっては、不幸のどん底というくらいに思っている人もいるかも知れない。小学生の頃に感じた思いだったら、トラウマとして残るかも知れないと思うくらいだ。
 もっとも、あいりが、自分の近親者の話を持ちださなければ、こんな妄想も浮かばなかっただろう。
 あいりの話もどこまで信じられるか怪しいもので、むしろ、
「あいりの妄想なんじゃないか?」
 と思うくらいである。
 妄想だと思う方が自然であるのが本当なのだろうが、綾香の中であいりの言葉を打ち消すことはできないくらいに、信じてしまっていた。
「あいりが、自分を好きになる女性のことはよく分かると言っていたが、あいりにはこの私のことがどのように見えているんだろう?」
 と感じていた。
「あいりは、私があなたを好きだという風に見えているの?」
 と聞くと、
「いいえ、そうじゃないわ。綾香さんが私のことを好きだとは思っていないと感じているわ。でも、私があなたを気になっているの。これは好きだとか欲情するとかいうそういうレベルではないの。そばにいるということだけで気になっているといえばいいのかしら?」
 と、意味深な表現をしていた。
 あいりとは、大学で同じクラスだということも、最近まで意識していないほどであったにも関わらず、あいりの方では綾香を気にしていた。
「あいりのこと、あまり知らなかったんだけど、こうやって話ができるようになると、なんだか懐かしさを感じるのよ。以前から何か知り合いだったような気がするの」
 という思いを思わず、あいりにぶつけてみると、
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次