クラゲとコウモリ
「意識しているのに、見えていない感覚だ」
というものであった。
だから、意識しながら、その意識がどこから来るのかを相手に悟らせないのだった。
逆にあいりの方が意識して見ているのは、倫太郎ではなく、その向こうに見えている、
「倫太郎の彼女」
だったのだ。
あいりは倫太郎の彼女をじっと見ていた。綾香は、あいりが何かを気にしているのは分かっていたが、それが何なのか分からなかった。綾香は倫太郎のことを気にするようになった瞬間、自分の目の前に現れたあいりという女性をライバル視するようになっていたが、あくまでもライバルというよりも、好敵手という感情がふさわしいのかも知れない、
「もし、倫太郎さんがあいりさんを選ぶのであれば、私は素直に引き下がることができる気がする」
と感じていた。
だが、あくまでも同じ時期に気になった相手なので、何もせずに引き下がることはしない。それだけに、あいりのことを、
「相手にとって不足なし」
というくらいに感じ、倫太郎に対してのアピールを忘れないでいた。
まわりから見ていると、
「メデューサの首」
を感じさせるのではないだろうか。
顔と頭の部分は倫太郎であり、その頭から生えているヘビの部分は、自分に寄ってくる女たち。
メデューサの特徴は、
「目を見ると、石になってしまう」
というものである。
その石は、路傍の石をは違っている。それを考えると、
「意識しているのに、見えていない感覚だ」
とあいりに感じたのも、この
「メデューサの首」
という発想から来ているのかも知れない。
しかもメデューサというのは、死んでもその力を失うことはない。首を跳ねられても、目の力で目の前のものを石に変える力があるというのだ。
古代神話において、英雄ペルセウスが、メデューサの首を使って、怪物をやっつけたという伝承が残っているが、それを思い起こさせた。
あいりは、そのことをずっと感じていた。
特に、倫太郎に対してではなく、その彼女に対してであった。
その時、
「必ず自分は行動範囲の中で、ほとんどの異性と会っている。その中で自分のことを好きになってくれる人が分かるようになる。自分から告白してはいけない。相手に必ず告白させる。自分から行けば失敗する。なぜなら自分から行くと、相手に自分の後ろから見られるからだ」
と感じているのを思い出した。
そして、自分がこの感覚から、自他ともに、クラゲとして自分を見ているということも感じていた。
そして、自分のことを本当に好きになってくれた相手というのが、倫太郎の彼女であるということが分かったのだ。
だが、成就するには、自分から告白できないとう感情があった。自分のことを好きになってくれているのを分かっていて、しかも、自分も意識しているのに、自分から行ってはいけないということがどれほど辛いのかということが分かった気がした。
倫太郎を気にするようになったのは、ある意味フェイクであった、倫太郎の後ろにいる彼女を見るために、まずは正面の倫太郎を意識した。それを倫太郎は自分への視線だと思い、今までに感じたことのなかった感情を浴びたのだったが、同じ時に一緒に感じたのが綾香からでもあった、
「まるで示し合わせたようだな。もし、どちらかが示し合わせたとすれば、綾香かな?」
と感じたが、それが間違いであるということに気づかないことから、どちらを自分が好きなのかを決められないという情けない感覚になっていたのだ。
綾香は自分で自分を分からなくなっていた。
今まで、親の不倫で散々な目に遭ってきたこともあって、あまり男性と長続きしたことがなかった。
その理由はいくつかあったが、その中には、
「二股を掛けられたりしているのが分かると、自分から引き下がってしまう」
というのがあったからだ。
さらに、飽きられやすいところがあるという自覚もあることから、男性とは長続きをしないと思っていたのだが、自分が母親と似ていると思った時から、父親の不倫が分かった時、母親の気持ちになってみたりもした。
その時、母親が不倫を父親だけがしていたと言って、離婚したのは分かっていたが、慰謝料も、養育費もなかったことがよく分からなかった。
少なくとも不倫が理由で別れたのであれば、慰謝料の請求は当然の権利であり、養育費までもないということは納得がいかなかった。
自分も母親も、
「男から飽きられやすい」
ということが分かっていたので、何となく母親も不倫をしていたことも分かっていた。
あれは、離婚してからしばらくして、素性も分からない、怪しい男と付き合っていたことがあった。
生活に疲れてのことのようだったが、その男が一度、綾香に襲い掛かってきたことがあった、綾香が必死になって叫び声を挙げたので、何もされずに済んだのだが、その時の男の台詞として、
「ふっ、お前も母ちゃんと同じで、飽きっぽい身体しているんだろうな、一回くらい抱かせてくれてもいいじゃないか。それで終わりにしてやるぜ」
という訳の分からないことを言っていた。
その男はその時、母親と喧嘩して、母親から罵声を浴びせられ、泥酔した状態で戻ってくると、たまたまそこには娘の綾香しかいなかったということである。
男はそれからすぐに母親とは別れたが、何があったのか、母親も勘づいているはずなのに、母親は綾香に何も言おうとしない。
「あの男とは別れた」
という一言だけでもいいのに、それが言えないのは、やはり、綾香に詮索されたくないという思いからであろうか。
もし、自分が母親の立場だったら、そう思うかも知れない、綾香は母親に似ていると自分で思っていた。最初は父親に似ていると思っていたが、二人が離婚して母親と二人になると、実は本当に似ているのは、母親の方だったのだと自覚したのだった。
結構親子で話をするくせに、いつも肝心なことはいわない。それは、綾香も自覚していたことだ。
本当は母親に相談するのが一番手っ取り早いと思うことでも、なかなか相談することができない。
その理由は、
「一言多い」
からだった。
最後の一言を言わなければそれでいいのに、どうしていうのか分からない。これは綾香にもあることだった。
あれは、中学時代だっただろうか。唯一中学時代に、グループを作っていた時期があった。
四人グループだったのだが、結構仲は良かったと思う。その中の一人が、障害を持っていて、子供の頃から身体の一部がマヒしているようで、どうやら、薬害被害者のようだった。
たまに癲癇を起こすこともあり、友達の後の二人はそのことをよく分かっていたようだ。綾香はそのことを知らなかったので、ある日、四人で下校している時、その友達が発作を起こし、痙攣してしまったのだ、
他の二人は冷静に、救急車を呼んだり、彼女の母親や学校の先生に連絡を入れていたようだが、綾香は何が起こったのか分からず、ただ見ているだけだった。
救急車がすぐに到着し、二人のうちの一人が一緒に乗り込んで病院に向かった。もう一人の友達は、救急車でどこの病院に運ぶのかということを連絡するために残ったのだ。