クラゲとコウモリ
実は、彼女もまわりからあだ名をつけられていたが、そのことをその彼女は自覚していない。だが、倫太郎は彼女のあだ名を知っていて、彼女から、「くらげ」や「コウモリ」というあだ名の話を訊いた時、
「何とも皮肉なものだな」
と思ったのと同時に、
「俺って、あだ名をつけられやすい女性に、寄ってこられるという性質でもあるのかな?」
と感じた。
本人は、半信半疑だったが、その思いに間違いはないようで、倫太郎は知らないまでも、今まで自分に近づいてきた女性は類に漏れず、皆何かしらのあだ名をつけられた女性ばかりだったのだ。
歪な四角関係
倫太郎は、二人から好かれたことで、今までにない何か、ソワソワした気持ちになっていた。
「こういうのを女性を好きになった感情というのだろうか?」
と感じた。
以前に女性を好きになったことがあったはずなのに、その感覚を忘れてしまっていたのだ。
それまでに好きになった女性は確かにいたはずなのだが、もし、今その人が目の前に現れたら、その時と同じ気持ちになれるであろうか?
考えれば考えるほど、分からない。完全に忘れてしまっているのだから、他の女性に対して、ソワソワした感覚を抱いたからと言って、それが人を好きになったということなのかどうか、分からなかった。
綾香と、あいりとはまったく違ったタイプである。その二人から同時に近寄ってこられたのだ。華やかに見えるのは明らかに綾香の方だった、あざとさのようなものも、嫌いではない。
あいりに関しては、近寄ってきた今までの女性とは、何かが違っているが、何が違うのか分からなかったのだ。
倫太郎がその時一番頻繁に会っていたのは、あいりや綾香と同じクラスの女性だった。
彼女は、自分が倫太郎を独占で来ていることに自己満足を感じていた。恋愛感情があるわけではなく、
「チャラいけど、イケメンと付き合っているということがトレンドになる」
という意識だけで一緒にいたはずなのに、最近では、一緒にいることで、自分が彼に慕われているという感覚になってきた。
「将来の夢は、保育士になること」
と言っているほど、子供が好きで、慕われることが一番嬉しいと思っていたのだ。
それを感じたのは、高校生の頃に、デパートで迷子がいたのを、たまたま一人で買い物をしていた彼女が見つけ、総合案内所に連れて行ったことがあったのだが、その時、それまで泣いていたその男の子が、母親の顔が見えるか見えないかという時、何に気づいたのか分からないが、
「お母さん」
と言って、すぐに反応した時だ。
すぐに泣くのをやめて、笑顔になった。母親が子供の顔を見た時は、それまでその子が泣いていたなどということが分からなかったくらいだ。
それを見た時、子供がすごいとも思ったが、子供にそこまでの感覚にさせるというのは、母親の母性が、そうさせるのだと思うと、感動した。
自分も自分の子供以外にも、同じような思いをさせられればいいと思って、保育士を目指したのだ。
実は、本当は子供が好きだったわけではない。その証拠に、その子が泣いて近づいてきた時も、
「うわぁ、こっちに来ないでくれ」
と思ったほどだった。
厄介なことに巻き込まれるのは嫌だという思いが露骨にあり、その子の前でそんな露骨な表情をしてしまった時、さすがに、
「しまった」
と感じた。
その子は、さらにベソをかいたような表情になったが、それは明らかに、彼女の表情がそうさせたのだろう。
だが、その子はすぐに彼女を慕うようになった。ひょっとすると、ここで彼女に見捨てられてはいけないという、子供ながらの本能から、媚びを打ったのかも知れないが、
「しまった」
という後ろめたさもあったことで、厄介なことを感じるというよりも、その子が自分を慕ってくれていると思ったのは、母性が芽生えたからだったのかも知れない。
子供の手を握ってあげると、子供は手を握り返してくる。まるで、自分がその子になって、母親の手を握り返しているかのような感覚になったからだ。
母親からの愛情をあまり感じたことがなかっただけに、なぜか手を握った時などのような感覚しか、母親には感じなかったのだが、今から思うと、母性を急に感じるようになったのは、あまり母親から直接的な愛情を受けていなかったからではないかと感じたが、それも間違いではなかったような気がする。
彼女は、倫太郎が綾香か、あいりのどちらかを意識していることは分かっていた。
倫太郎と付き合っていることを、なるべくまわりに知られないようにしていたが、それは深い仲で、という意味で、倫太郎が複数の女性と交際をしていることは公然の秘密だったこともあって、彼女としては隠しやすかったのだ。
彼女は、倫太郎の本命は、あいりだと思っていた。まわりのほとんどの人は、あいりと綾香では、綾香の方だろうと思っている。
あいりは、自分のことを好きになる人は、女性であれば、すぐに分かると、倫太郎に話していた、そして、その人が自分のまわりにいることも、仄めかしている、だが、それが誰かということまでは言っていなかったが、倫太郎の彼女は、それが自分だということを悟っていた。
明らかにあいりの彼女を見る目は違っていた。自分を慕っている目だということが分かったのだ。その視線は誰に対しても浴びせるものではなく、真正面から見なければ、その感情は分からない。あいりは他の人には、絶対に正対しようとはしないが、彼女にだけは正対しようとする。まったく態度が違うのだ。
倫太郎に対しても正対しようとしない。それを思うと、倫太郎の性格からすると、自分に近寄ってくる女性が、自分を正対しようとしないなどありえないという感覚が、彼のプライドに火をつけていたのだ。
だが、これは別にあいりが、倫太郎の気を引きたいがためのあざとさではなかった。それをあざといと感じていたのは、綾香だった。
綾香は、お互いに倫太郎を中心に、正対した形で同じ高さの目線にあった。その目線がお互いの感情を高ぶらせ、ライバル以上の意識を感じさせるのだった。
あいりは、倫太郎を中心とした三人の女という構図の中、一人だけが、三人三様で注目を浴びていたのだ。中心でもない人間が、偏ったかのような視線を浴びるというのは、どこか歪な関係を想像させる、この四人には、
「男女関係における四角関係以上の何かが存在しているのだ」
と言わざるおえないのだろう。
この三人からの、三人三様の視線の中で一番強いのは、倫太郎からであった。
綾香に対してとあいりに対しての、どちらに自分の視線が強いかということがハッキリと分かっていないのに、視線を感じているあいりには、痛いほどの倫太郎の視線を感じたが、浴びせている自分に意識がないのは、あいりが、「くらげ」だと言われるゆえんではないだろうか。
透き通って見えるだけに、くらげの身体は中の白い部分に反射して、見ている方は見えているのに、反射の意識はあっても、自分が気にしているという意識はない。まるで路傍の石のようだが、路傍の石は、見えているのに、意識しないという感情であって、倫太郎があいりを見ているのは、逆に、