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クラゲとコウモリ

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 そうなると、反対勢力は弾圧するのも仕方がない。
 弾圧された方は、そちらの勢力で力を持ち、革命やクーデターの機会を狙い、政府も、
「いつ、クーデターを起こされるか分からない」
 ということで、心配で眠ることもできなくなるだろう。
 そこまでくると、追う方が追われる方に比べて、いかに楽であるかということで、いくら今は政権に立っていたとしても、いつ攻撃されるかも分からないという恐怖のために、政治がおろそかになってしまうと、それだけで国家が揺らいでしまう。
 行動を起こさなくても、もし政権が弱体化していれば、あっという間に瓦解してしまうことになりかねない。精神的なプレッシャーというのがどれほど強いかということである。
 しかも、それが宗教団体による団結なのだから、厄介だ。行動を共にしたりして、何よりも団結を重んじてきた団体ほど、団結力を発揮し、無限の力を秘めていると言ってもいいだろう。
 古来より、歴史は、
「戦争の歴史」
 と言われてきた。
 同じ土地に、百年以上の体制が築かれていれば、それは十分な強大国家だと言えるのではないだろうか。
 あの大日本帝国でも、始まりを、中央集権の天皇中心の国家として成立した明治元年だとすれば、約七十五年くらいと言っていいだろう、日本国憲法が成立してからの日本国であっても、約七十年と、やっと大日本帝国に追いつくというくらいで、百年にも満たないのだ、
 それを思えば、百年以上の国家がどれほどの割合で世界に君臨したかというと、結構想像よりも少ないのではないかと思わる。特に欧州のように、国家間が陸続きであれば、特にそうなのではないかと思える。
 そして、国家の興亡の原因は、そのほとんどが戦争である。
 しかも、その戦争の原因として昔は結構宗教戦争が多かった。
「宗教というのは、人を幸せにするためのものなので、戦争の原因になるというのは、本末転倒なのではないか」
 と思われるだろうが、そもそも宗教が人を幸せにするものだと誰が決めたのだ。
 宗教の考え方というのは、
「死んでから極楽に行けるように、この世をいかに生きるか」
 ということであり、この世の人の命を守ることではにあと言えるのではないだろうか。
 だが、そんな発想から、宗教団体の中には、悪徳なことを考えるところも出てくる。
 いや、ひょっとすると、宗教団体も実際には信じていたのかも知れないが、もし、そうなら、何が彼らをそうさせたのか、考えさせられるところがあるというものだ。
 世の中には、
「世界最終説」
 という考え方がある。
 国によってなのか、宗教によってなのか、考え方もいろいろだが、彼らの信じるものによって、世界がいつ終わりとなるかというものを、予言しているのである。
 世界的にはノストラダムスの大予言が有名だが、あれは、ハッキリと滅亡すると書かれているわけではなく、あくまでも、叙事詩の中でボヤかした書かれ方をしているだけで、実際の出来事から、文章を解釈した時に、
「当たっている」
 というのが多いことで有名になっているのだ。
 だから、本当に予言されたものなのかというのは、都市伝説でしかないのだが、実際の宗教では、本当に言い伝えとして残っている。信者であれば、皆信じていることで、
「どうせ、人間は最後には死ぬ」
 と考えれば、どの段階で世界が終わったとしても、不思議ではないのだ。
 むしろ宗教では前述のように、
「死んでから極楽に行けるように、この世をいかに生きるか」
 という考え方が基本になっているのだから、「世界最終説」においても、
「死後の世界を充実させたいのであれば、この世での自分を浄化する必要がある。だから、この世で貯めたお金を、お布施として団体に寄付することをお勧めする」
 というような言い方をして、お布施を募っているのだ。
 冷静に考えれば、詐欺であることは明白ではないだろうか。
 お金をあの世に持っていけるはずもないし、よしんば、持って行けたとしても、そのお金がどうして使えると分かっているのか。
「地獄の沙汰も金次第」
 などという言葉があるが、これは、地獄などということを信じていない人が、たとえ話で言った言葉であり、意味は、
「この世はすべてに金の力がモノを言う」
 ということなのだ。
 どこに地獄という解釈が出てくるというのか、つまりは、あの世というものを信じている宗教があるから、この世の表現に、架空のあの世を表現することで、揶揄しているということなのだ。
 すべての宗教がそうだとは言わないが、胡散臭い宗教というのは、
「世の中の人は、死後の世界のことを諭す材料に使えば、少なからずの人が信じ込むだろう」
 ということを分かっているのだ。
 ということは、やつらほど、あの世の存在を信じていない連中もいないということであろう。
 昔から宗教団体は戦争を起こす。それはこの世での覇権を争ってのことなのだろう。そんな彼らは、死後の世界でいかにこの世での無常を晴らして、幸せに過ごせるかを解いている。
 つまりは、死ぬことを前提にしているのは、戦争などによって死んでしまっても、それは仕方がないことなので、だったら、次の世で幸せになれるようにしたいというのが考えなのだろう。
 あくまでも、死というものが前提になっているのだ。確かに最後には死ぬのだが、自然で寿命を迎える分には、そこまで宗教に頼ることはない。
 だが、その寿命によらない死というのは、病気や戦争などが大きな理由なのだろう。戦争などは、元々宗教戦争が多いのだから、宗教がなければ戦争で死ぬ確率もグッと減ることになる。
 まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
 という理屈の禅問答のようである。
 そんな連中が「世界最終説」を説いたとして、次の世界で幸せになるために、カネを寄付せよというのは、徴収する連中が、
「この世で使う金、この世でしか使えないカネ」
 と徴収しているのだから、そもそもの「世界最終説」がでっちあげであり、ありえないと思っている証拠ではないだろうか。
 そんなあいりと、綾香が知り合うきっかけになったのは、ふとしたことからだった。
 何と二人がほぼ同時に同じ男性を好きになったのである、その男というのは、名前を、坂下倫太郎と言った。
 倫太郎は、見た目にチャラい男であったが、性格も言葉通り、いい加減で、特に女の子に対しては本当に適当だった、
 しかし、チャラい中でも甘いマスクで女を魅了する。さらに何もできないところが女性の母性本能を擽るので、余計に女性にとっては、
「この私がいなければ」
 と思うのだ。
 そのため、彼にとっての生命線は、
「自分にはあなたの他に、付き合っている人はいませんよ」
 と思わせることが大切だった。
 チャラい恰好をしていても、女の子が話しかけても優しく返事を返すが、あくまでも、自分だけを愛していると思わせることが必要だった。この男にはそれができた。この男が付き合う女性は、友達もいないような、引きこもりかと思わせる女性で、純粋な女性がターゲットだった。
 しっかりはしているが、こと交友関係に関してはまったくの素人。そんな女を騙して、お金を出させるというヒモのような男である。
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次