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クラゲとコウモリ

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 だから、異性というものが意識されたのであって、思春期において、初めて意識した異性というものがどういうものだったのかを思い出していた。
「男の子って、ニキビがあったり、すぐに裸になりたがったりと、気持ち悪いくせに、自分を見せつけたいという女には分からない感情がある」
 と考えていた。
 女の子であれば、恥ずかしいと思うものは絶対に見せないようにする。それが同性であっても同じで、いや、同性だからこそ、見せたくないと思うのかも知れない。
 男性に比べて女性は、同性、異性に対しての意識よりも、自分と、それ以外の他人という考えが強いのではないだろうか。だからこそ、嫉妬心が男性よりも強いと言われるのだろうし、異性という意識よりも、気になる相手を独占したいという意識が強く、その目的のためには、まわりの人を平気で裏切るとまで考える人が多いのではないかと勘変えていた。
 この考えは究極の勘違いだとは思っているが、どこから間違っているのかが分からない。だから、本当に間違っているのかどうかも分からない。そんなあいりだから、まわりに気配を見せたくないと思っているのだろう。ひょっとすると、あいりほど、自分と他人の距離を遠くに感じ、結界を張り巡らせていると思っている人もいないのではないだろうか。
 あいりは、前述の考え方の中で、
「自分の後ろから見られる」
 という思いがあった。
 それは、自分が透けて見えるからで、
「ただ、透けて見えるだけではなく、それは告白しようとした時だけであった」
 と思っていた。
 そんな思いを皆が知っているからなのか、なぜか、高校の頃から、まわりから、
「くらげ」
 と言われるようになった。
 くらげというと、軟体動物で人を刺すというイメージが強い。くらげは、身体がゼラチン質で、透明である。多くのくらげは、身体が傘のようになっていて、その下の中心部に口があるいう形状をしている。
 またくらげの特徴としては、遊泳能力は備わっているが、絶えず泳いでいられるわけではない、漂っている場合も多いという。くらげは淡水または、海水中で生息しているというが、水流のある海で生息するものがほとんどであろう。前述のように、実際に自分で泳ぐことをしないので、水流がないところでは、沈んでしまう。それを防ぐのに、浮き上がるようにして遊泳を行い、ある程度までは昇ってくるが、また、沈もうとするという。これを繰り返しているうちに死に至るということで、くらげによって、泳ぐことを続けるのは、寿命を縮めているのと同じことになるのであろう。
 刺すのは毒であり、その毒を使って獲物を捕らえるのだという。つまり、毒を使って刺すのは、身を守るためなどではなく、
「食するための獲物を捕らえる」
 という目的のためである。
 くらげは食用になったり、遺伝子学の研究として利用されたりもするが、その一方、人間を刺すなどという意味での被害を与えるものとしても、問題があったりする。またそれ以外の問題としては、大量発生ということが時々起きているという、工場や発電所などの取水口を塞いでしまうなどという被害がおきているが、その原因と言われるものが、一種の人災だとも言われている。水質汚染などの自然破壊であったり、魚の乱獲によるものであったりがその原因とされている。これこそ、大きな社会問題の一つだと言えるのではないだろうか?
 だが、なかなか人間にはあまり印象のあるものではない。どちらかというと、あまり関わりたくないものの一つだろう。同じ刺すにしても、ハチのように、蜜を与えてくれるわけでもない。一部食用として用いられることもあるが、なかなか市民には馴染みのあるものでもない。それを思うと、
「クラゲちゃん」
 などというあだ名をつけられるのは、あまりありがたくないと思っていた。
 だが、かといって、否定するだけの思いもなかった。
 心の中で、自分があまり世の中に好まれていないということを分かっているだけに、くらげというあだ名は自分らしいとも感じていたからだ。
 そもそも、あだ名というのは、基本的にあまりいいイメージでつけられている人は少ないだろう。
 リスペクトされているというよりも、ディスられていると言った方がいい。あだ名はその人への皮肉から生まれたものだと言ってもいいだろう。
 だが、よく考えてみれば、このあだ名を最初につけたのは他人ではない。自分だったのだ。
 まわりから、
「あなたは後ろから見られているようで、その時、見ている方は透けて見えるんだよ」
 と言われて、
「何、それ。それじゃあまるで私がクラゲみたいじゃない」
 と言ったのがきっかけだった。
「それそれ、クラゲでいいんじゃない。あなたのあだ名」
 と言われたのだ。
 すっかり忘れてしまっていたが、本人はまさかあだ名になるとは思っていなかったのだろう。
 だが、すっかり忘れてしまっているということは、逆にいえば、思い出したくもないということ。それは、最初から自分のあだ名を、クラゲにしてほしいという意識があってのことだったのではないだろうか。それを認めたくないという思いから、思い出したくないと感じているのだろう。
 そう思うと、
「クラゲってあだ名。そんなに嫌でもないわ。かわいいじゃない」
 と感じたあいりだった、

              チンピラ風の男

 綾香があいりに近づくことになったのは、綾香があいりの特徴に気付いたからだ。
 特徴というのは、
「変わった人」
 とまわりから言われる人を、あいりが引き付ける何かを持っているということで、これは他の誰にも気づかれなかったことであり、逆にそれが不思議だったのだが、本当に誰にも気づかれないことから、それが当たり前のことのようになっていた。
 そのことから、綾香の方が、珍しい人という扱いになったのだが、何しろ、あいりの性格を分かっている人が誰もいないのだから、あいりに対して綾香が変わった人だということを分かるのは、あいり本人しかいないというのも当たり前のことであろう。
 そんなあいりを見て綾香は、最初は、
「何か新興宗教みたいだ」
 と思った。
 誰にも分からないように、変わった人と呼ばれる人を引き付けるのだから、何かの洗脳なのではないかと思うのも無理もないことだった。
 だが、この新興宗教という発想は、あいりにもあった。自分が人を引き付けることで、教祖にでもなったような気がしていたのだ。
 そもそも、あいりは新興宗教を悪いことだとは思っていない。今の世の中が理不尽なことが多く、何が正しくて何が正しくないのかなど、分からない。
 ただ、それは過去からずっと息づいているものであり、分からないからこそ、宗教が流行って、人が信仰することになる。信仰したものが、人を集め、お金を集める。当時の政権であったり、権力者がそこに目を付けないわけはないだろう。
 それぞれの国や地域で、別々の宗教が生まれていて、信じられるようになると、国家の体制が宗教によって左右されるようになると、流派が違うことで、人民が分裂することになる。そうなると、国家が分裂するのも同じことで、君主にとっては、許されることではない。自分たちの存亡にかかわってくるからだ。
作品名:クラゲとコウモリ 作家名:森本晃次