恐怖症の研究
そんな政治的な話を知って門松が話しかけてきたのかと思ったが、様子を見ている限り、どうも違うようだった。
「ところで、里村研究室に所属している小林研究員というのは、以前、教授のところにいたんですよね?」
と言われて、川村教授はドキッとした。
「ええ、所属していましたよ」
となるべく平静を装って答えたつもりだったが、どこまで門松が信じてくれるであろうか?
確かに、最初に里村研究室と、川村研究室のことを中心に調べていると、小林研究員のことはわりかしはやめに分かるというものだが、問題はそれをどう解釈するかであった。
さすがに、川村教授の本性がバレるようなそんな起爆剤になるとは思えないが、さすがに何もないだろうと、スルーする人はいないだろう。何と言っても、相手は百戦錬磨の海千山千の週刊誌の記者なのだから。
「この間、その小林研究員にインタビューを試みたんですがね」
と言われて、さすがに教授もギョッとした。
その様子を分からなかったのか、門松記者は話し始める。
「その時に言っていたんですが、今度の研究は自分が考えているというんですよ。任せてくれたのは、里村教授らしいです。君なら、あの川村研究室にいたんだから、川村教授の考えそうなことが分かるだろうと言われたらしいんです」
というので、
「それで、彼は二つ返事で引き受けたんですか?」
と聞くと、
「ええ、でも、少し悩んだというのです。下手をすれば同じ発想の発明になるんじゃないかと思うからっていうんですよ。だから、さっき私が言ったのは、小林研究員のこの話を訊いて感じたことだったんです。だから、二つの研究所が本当に同じ路線で研究をしているというのは、根拠のないことだったわけです。だから、今回は直接、川村教授にお伺いしようと思ってやってきたんですよ」
というではないか。
「なるほど、小林研究員がそういうんであれば、そうなんじゃないですか? 我々は、我々で気持ちを一つにして研究に没頭するつもりです、だから、里村教授は勘違いしていますよ。私のこの研究がいくら一緒にいたとはいえ、そう簡単に一研究員に分かるなんてことありえないですからね。もし、そうなら、これは情けない話ですよ、一介の研究員に教授である人間がその研究を看破されるなど、あってはならないことですよね」
と、川村教授は言った。
ここまで言っておくと、きっと、門松記者は、
「なるほど、川村教授ほど、研究に没頭するだけの人が、敵対していた人物に、そうやすやすと研究の内容を盗まれるようなことはないだろう」
と考えるに違いないと思った。
実際に、門松記者はそう思っているようである。
川村教授は、そうやって、自分の研究が向こうに取られそうになっているのを、こちらではわかっておらず、もし、似たような研究であっても、盗作のようなことはしていないということを示したいのだろう。
そうなると、責任は、向こう側にあることになる。研究を小林に任せたことで、その責任は大学と、里村教授にあることになる。そして、小林研究員にも、その嫌疑が向けられるが、責任は教授と大学にあるとなれば、一研究員に責任はないことになる。
それが川村教授の作成なのかも知れない。
本当の目的がどこにあるのか分からないが、最近川村教授が、政治家の連中を煙たがっているようなところがあった。
厚生労働省と文部科学賞の重鎮との関係。このあたりを煙たがっているようだ。
もちろん、そんなことを表に出すわけにはいかない。表に出せば、大きな社会問題になるだろう。
こうなれば、研究の盗作問題だけではなく、
「政治とカネ」
ということでの、政治家によるズブズブの関係。
私利私欲にもまれながら、大きくなっていくバブルのような実態のない組織は、いつどこで弾けるか分からない。
ただ、弾けてしまうと、そこで毒ガスが一気に噴出してしまうことになるだろう。
そうなると、解毒剤が必要になるが、それが今回開発しようとしているものであるとすれば、これが本当の狙いではないかと思われなくもなかった。
研究の盗作問題は、ある意味フェイクニュースではなかったのだろうか?
これを流したのは小林研究員であり、このあたりのことは、川村教授も計算済みだったはずだ。
小林研究員に対しては、ある程度の洗脳ができていた。そのうえで、パフォーマンスとして、彼が川村研究室で教授にたてつくことでやめなければならなくなり、そして、道義的に許される範囲の行動として、それを必然と見せるためのパフォーマンスを行いながら、里村研究室へ移籍した、
里村研究室では、違和感なく小林研究員を受け入れた。里村教授はそれでも最初は小林を全面的に信用していたわけではない。
「本当に、彼を信用していいのだろうか?」
という思いがあったのは、里村教授にも、川村教授の本性のようなものが半分見えていたからだ。
それは里村教授が鋭い目を持っているからというよりも、自分と似ているところから紐解いていくと、おのずと見えてくるものが、里村教授にはあったからだ。
「川村教授という男は、裏表がある」
ということまでは分かっていたが、あの落ち着きと、あまり喜怒哀楽を顔に出す人間ではないことから、その内容までは想像もつかなかった。
だが、やはり研究者としての血が引き寄せる感覚を持っているのか、里村教授には川村教授の考えで、どこか分かるところがあるようだった。
そういう意味で、小林研究員を受け入れた理由の一つに、
「小林研究員を見ていると、おのずと川村教授の性格を垣間見ることができるのではないか?」
ということであった。
それだけ里村教授は川村教授を意識していているのだ。その根拠は、やはり、
「埋めることのできない川村教授との研究者としての実力」
だったのかも知れない。
川村教授のような真の研究者としての実績もなく、纏める力と宣伝能力の強さから、室長になったのであって、研究の成果によるものではないということに対して、憤りを感じずにはいられなかった里村教授は、その無念と理不尽さを、川村教授への嫉妬心で埋めるしかなかったのだ。
そんな里村教授の立場や考え方は、自分の研究室の研究員にも分かっていることだろう。分かっていてそれを認めさせようとしない里村教授に忖度して、研究員はある意味、研究に没頭できない環境にあった。
「教授の嫉妬心を煽りたくない」
という気持ちもあって、
「自分の方が成果を挙げると、教さとむら授の立場がないではないか」
という考えに結び付く。
だから、小林研究員のような優秀な人材を自ら受け入れるとはまさか思っていなかった他の研究員には、意外過ぎるくらい意外な、小林研究員の移籍だった。
それは電撃的であったと言ってもいい。
小林研究員の遺跡は、他の研究員にとってはありがたかった。教授のこの態度は、自分たちが教授に勝る研究発表をしてもかまわないということに思えたからだ。
「これで心置きなく、研究に没頭できる」
と思ったからだ。
これまで抑制されてきた欲求と、小林研究員には負けたくないという思いから、里村研究室の雰囲気は一変した。