恐怖症の研究
「実はですね。こちらが極秘裏に調査したことで気になることがあったんですが、T大学の里村研究室で、何やら恐怖を遠くに見えるような研究をしているという話を訊いたんです。その人の話では、これは、川村教授の研究室でも同じような研究をしているということも一緒に聞いたんですが、川村教授は、そのことをご存じでしたか?」
と言われて、
「いいや、初めて聞く話だけど?」
と言った。
確かにT大学の里村研究所というと、自分たちと同じような研究をするグループだということは知っていた。一種のライバル関係であり、かといっていがみ合ってるわけではない。どちらかというと、好敵手ということであり、軍事国家が、絶えず仮想敵を持っていないと、士気が低下してしまうのと同じようなものである。
そういう意味で、川村研究室が、好敵手だと思っているのと同じように、里村研究室も同じだと思っていたのだが、その考えが甘かったということであろうか?
門松記者の言葉は、にわかには信じがたいが、世間ではよくあることではないか、そもそも同じことを研究しているからといって、別に悪いわけではない。研究内容を盗んでいるとでもいうのであれば、問題であるが、門松記者がわざわざ確認に来たということは、その可能性もあるということであろうが?
ということであれば、彼のニュースソースはどこから来たのであろうか? タレコミでもあったということか、たまたま取材をしているうちにウワサのようなものが聞こえてきたということだろうか。
少なくとも、川村教授としては、そのような話はまったくの寝耳に水であった。根も葉もないウワサだったとしても、どこから出たのかをハッキリさせないと、これからも、余計なウワサに振り回されることになる。それを川村教授は嫌ったのだ。
「それにしても、恐怖を遠くに見えるような研究というのはどういうことなんですか? 言葉が上手く伝わらないんですが」
と、桑村教授は言った。
「私にもいまいち分からないんですよ。だから、教授にお聞きしているというのもあるんですけどね」
と、門松記者は言った。
「恐怖を遠くに見えるような研究」
あきらかに、「てにをは」がおかしい。
「恐怖を」の「を」が「が」であれば、まだ分かるが、そうすると、遠くに見えるという部分が分からなくなってくる、「ような」という曖昧な言葉になっているところから、「が」という言葉を使って、限定的な表現にするのもおかしいからだろう。
そんな言葉の綾を考えているわけではなく、そもそも、恐怖を遠くに見るという発想が独特なのである。
確かに、恐怖というのは、中枢神経を刺激して、普段ではあり得ないようなことを生き起こすこともある。だから、危険なこともあるだろう。さらに、恐怖というのは、実際に見えるものではない。虚空の存在であるとすれば、錯覚がもたらすものであり、錯覚であれば、遠くにあった方が、携わることがないことから、危険を回避できるとも言えるだろう。
そう意味での、
「恐怖を遠ざける」
ということであろうか?
それであれば、恐怖というものが、錯覚であることを証明しなければいけないが、証明もできているということであろうか。それを思うと、里村研究室が研究しているというものがどういうものであるか、気になるところだ。
川村研究室は、研究者のプライドが傷つけられるという危機でもあるが、それよりも、このまま研究が膠着状態になって、何も成果がでなければ、文部科学省からの支援金が打ち切られ、研究室の解散ということもありえるだろう。
何しろ、母体である大学時代は小さいので、大学側に支援を打ち切られたら、研究室を維持できる力があるとは思えない。
それを思うと、とにかく成果を出すことが必要だった。
今は、まだ具体的には形になっている者は何もない、方向性すら定まっているわけではないので、門松記者が探りに来ても、川村教授の口から何かが出てくることはないだろう、
だが、今の彼の話はある意味、川村研究室にとって、運命を左右するものとなる可能性がなきにしもあらずだった。
今、研究室では、方向性が定まっていないがならも、それぞれの研究員が、資料を集め、プレゼンができるくらいまでのところまでまとまっていると言えよう。
プレゼンの中で、実現可能なもの、継続できぞうなもの、まるで今流行りの、SDGSのようなものが見つかれば、それが、自分たちの方向性になるだろう。
先ほどの話の中で、意味がハッキリとは分からないが、意味深な言葉に、何かのヒントが含まれているのではないかと思い、何とか理解しようと考えてみた
だが、これを方向性にすることは悪くない気がした。
ただ、里村研究室がどこまでの具体性を持っていて、どこまで研究が進んでいるのか分からないので、気になるところでもあった。
門松記者が考えているであろう、
「川村研究室と、里村研究室の開発が被っているかも知れない」
という考え方が、まさか、現実のものとならないようにはしないといけない。
一度聞いてしまうと、頭から離れなくなった。特に言葉の「てにおは」がハッキリしていない状態で、曖昧な言葉は、どれだけ広がっていくかが分からないだけに、無限性も感じさせ、それの無限性をどちらが有限にしてしまうか。つまりは、この場合の有限性というのは、具体化という意味で、完成に近いものにできるかということを考えると、川村教授は、ある意味、好敵手からの挑戦状のようなものではないかと思えた。
「どうせ、君たちの頭では我々の発想を理解することなどできまい」
と言って、嘲笑っているかのような光景が浮かんできたのだ。
さらに、里村研究室には、以前、川村研究室にいた研究員がいた。
彼は、里村研究室に引き抜かれた形になっていたが、そもそも、川村教授のやり方に疑問を持っていた。
それだけに、彼はさっさと移籍してしまい、今では、向こうのエースになっているようだ。
「里村教授は、僕の意見をすぐに取り入れてくれる。一拍おいて答えを引きのばす川村教授とは違うのだ」
と、言っていたのだ。
彼は名前を小林研究員と言った。
小林は、今ちょうど、三十歳くらいになっただろうか。普段はあまり話をしないが研究ともなるとストイックになり、没頭し始めると、何かに狂ったかのように必死になる、
「なぜ、そんなに必死になれるのか?」
と聞いたことがあったが、
「僕は、子供の頃から英才教育を受けてきたんです。まわりの楽しいものはすべて遮断されていて、テレビもマンガも見せてもらえなかった。勉強ばかりさせられていたんです。さすがに、最初の頃は嫌でしたよ。息苦しくて、死にたいと思ったくらいです。でも、不思議なことに勉強してると楽しいんですよ、嫌なことを忘れられるような気がしてですね。やらされて嫌な気分になっているはずなのに、おかしいですよね。でも、県境を必死でやっている時が、親の目を盗むというか、気にしなくてもいいので、没頭できるんです。何かに没頭するということが、こんなにも嫌なことを忘れさせてくれるとは知らなかった。皮肉なものですよね」
と言っていたのだ。