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恐怖症の研究

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 と、門松記者がいうと、
「画像を真正面で見ることで、見えなかった何かが見えたのかも知れないですね。一番見えやすい場所にいるわけだから、錯覚を見たとしても、それを本物だと思い込むのは一番見やすい位置だからですね。それに、彼女はその前に、カメラマンから暗示を掛けられた形になったわけでしょう? それを一蹴して笑い飛ばしたということは、それだけ怖がりで、見たくないものが見えたのかも知れない。だから、彼女の慌てようは怖さから見た錯覚なんじゃないでしょうか?」
 と教授がいうと、
「それは、まるで、幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉と同じだという感じでしょうか?」
 と、ことわざを示して聞いてみると、
「私はそう思いますね。先ほども言ったように、恐怖が中枢神経を刺激することで、偶然と必然に変えてしまった。だから、偶然見えたことが、彼女の中ですべてがつながったように思えて、本当なら、何とか否定したいと思うのに、実際にはすべてが繋がってしまったことで、反論できなくなり、怖さを認めなければいけない自分が怖くなったんじゃないでしょうか?」
 と、教授が理論的に説明してくれた。

             川村教授の正体

「偶然も重なれば必然なのではないかとは思っていましたが、このような形で、恐怖の刺激だけでも、理論的に重なれば、必然となるのではないかということが感じられたような気がします。でも、僕が考えていることが、本当に教授の頭の中で描いていることと同じかどうか分からないんですが、僕は近いものだと思っています。もし、先生が僕の考えていることが見えているとすれば、結構発想としては近いものなんでしょうかね?」
 と門松記者が聞くと、
「そうですね。私はあなたが考えていることが分かるような気がします。でも、それは決して近いからだというわけではなく、話をしてみて、論理的に考えると、離れているような気がするんですよ。その理由はお互いに見えているものが違っているという感覚。違う方向を向いているから見えるものが違うのか、それとも、最初から距離があるから、見えているものが違うのか、それともそのどちらもなのかだとは思います。そのどれでもないとは思えないんです。でお、そのどちらもだった場合、どちらが強いのかと言われると、ひょっとすると、その時々で違うと思うんです。同じシチュエーションの中であっての一瞬一瞬が違っているという意味でですね」
 と、教授は言った。
「なかなか奥深い意見だと思いますね。私のような凡人には理解できないところがあるんですが、やっぱり恐怖が中枢神経に刺激を与えると、見えないものが見えたりするんですかね?」
 と訊かれて、
「そうだと思いますよ。そして、その理屈をその人が分からないから、また恐怖を感じる。恐怖のループが頭の中で形成されるのも、恐怖に撃ち勝とうとする気持ちが、恐怖に対して抗えない免疫を作ってしまうのかも知れません。恐怖に対してのループが鬱状態への入り口を作り、そして、入り口のまわりに免疫を張り巡らせることで、せっかくの鬱への入り口が見えない状態で、気が付けば真っ暗なトンネルに入ってしまっているのかも知れない。そのトンネルは免疫によって保護されているので、恐怖が入ってこない。恐怖を感じさせない不気味さが心の中にあるので、自分で、自分の中に引きこもってしまう。鬱にもいろいろな種類があるけど、このように恐怖心が与えた中枢神経の逃げ場が、自分の中で作ってしまった鬱のトンネルだとも考えられる。だから、他人が、怖がりの人に恐怖を煽るのは鬱への入り口にもなるんですよ。そして何が一番の問題かというと、トンネルの中にいながら、トラウマを育んでしまうということです。こういう時は時間が経てば経つほど傷は深くなります。すぐに手立てを打つ必要があると思うんです。それができないと、長期の鬱状態が約束されたかのようになりますね」
 と教授はいう。
「心理学というのは、本当に恐ろしいものですね?」
 と門松記者がいうと、
「まさしくその通りですね」
 と、教授の声は最初に比べて、二オクターブくらい低く、声で十分に、恐怖を煽っているかのようだった。
 少し会話が途切れたが、一升の半分くらいを飲み干したくらいだっただろうか、教授が口を開いた。
「ところで、門松さん。あなたはそれだけのことで私のところへ来られたんですあ?」
 と訊ねた。
 それを聞いて、苦笑いをした門松記者は、
「ああ、そうでしたね。もっとも、私もこういう話は好きなので、教授と話をしてみたかったんですよ。だからこそ、記者のような仕事をするようになったんですからね」
 と言った。
 なるほど、こういうところでいいわけではないが、話が脱線してしまいそうになるところが、いかにも、何にでも興味を持つ人の特徴なのだと、川村教授は感じた。自分にも似たところがあるので、ちょっと失礼なところがありそうではあるが、どこか憎めないところのある門松記者を憎からずに感じていたのだった。
「でも、あなたの洞察力と考え方には感心しましたよ。私がいつの間にか話に引き込まれて、普段なら研究室の人間としか話さないような話を、まさかここでしようとは思ってもいませんでしたからからね」
 と教授はいった、
 確かに、この店の店主は自分が学者であることは知っているので、そんなにビックリはしていないようだったが、他の店員には話をしたことがなかった。それだけに、教授が難しい話をし始めた時、皆ビックリしている様子を、話しながらでも教授は感じていた。
 ただ、それが、教授の話に臆していたのか、それとも普段話をすることのない教授がいつになく饒舌だったことにビックリしたのかは分からなかったが、確かに皆、何が起こったのかというくらいには感じていたことだろう。
 少しまわりから一目置かれたようで気持ちよかった。
 だが、普段は教授だということで、インタビューにやってくる人や、専門雑誌の取材などで、リポーターが少し遠慮しているかのように感じるのも慣れてきたせいか、今では感動など一切なかった、そういう意味で、久しぶりに感じた承認欲求を満たしてくれそうな思いに、心地よさがあったのだろう。
 この失礼な男も、実際に専門的な話になってくると、完全に、こちらを敬ってくれるかのような雰囲気を感じた。そういう意味での承認欲求も満たしてくれていて、十分満足できるものな気がした。
 だが、この男はまだ肝心なことを言っていない、何が言いたいのか、相手が雑誌記者というのも気になるところだ。
 普通なら、いきなり自分の身分を明かして名刺迄くれるというのであれば、相手が記者であれば、インタビューと思うのも、無理もないことであるが、さすがに彼くらいであれば、大学に許可を得なければいけないことくらいは承知しているはず。
 それなのに、居酒屋で偶然を装って会うというのも、見え透いているようで、相手によっては、怒っても当然の行動であった。
 門松記者は、まわりを憚りながら、小声で教授にしか聞こえない声を耳元に近づけるようにして、
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次