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恐怖症の研究

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 その時、頭の中にいろいろ何かの記憶が走馬灯のように入り組んでいたような気がした。らせん階段が二つ、絡み合っているのが見えた気がしたが、それが何だったのか、そしてその時に何を想像したのかが次第に思い出せてきた。
「そうだ、あれはDNAの模型だった。あれを見たのはどこでだったか? 大学の研究室にもあったような気がした」
 大学の研究室にはいくつもの化学式の模型が置かれていた。確かにその中にはDNAの模型があった。模型はらせん状になったものが二つうまく絡み合っているかのように見える模型だった。
 遺伝子に大きな影響のあるDNAを思い出すというのは、何かのヒントになるような気がした。
 遺伝子というのは、親から祖父母、さらに先祖から脈々と受け継がれてきたものであり、病気やくせなどが伝承されていき、そこには、
「血の繋がり」
 という概念が存在している。
 さらに現代の概念として、
「遺伝子というものは、血の繋がりによって、子孫への受け継がれるものであるだけではなく、人間が自浄しようとする能力や、ケガや病気を自らで直そうとする力も、遺伝子によって紡がれているものではないか」
 と考えられている。
 心理学や医学などの研究に、この遺伝子やDNAの研究が不可欠であるということは周知のはずであったのに、誰の口からも出てくるものでもなかった。
 きっと、誰かが言い出すのだろうという安易な考えを持っているからなのか、それとも、自分が言い出して、その研究を押し付けられるのが辛いと思ったのかのどちらかであろう。確かに遺伝子の研究は、
「入り込んではいけない結界がある」
 というものであるが、入り込もうとする人間を結界がわざと扉を開けて、咥えこむことで誰も気付かない間に処分してしまおうと思っているのかも知れない。
 その悪いことを考えた人間を成敗できるということと、何か想像もつかないような恐ろしい力が働いているのではないかという都市伝説のようなものが蔓延ることで、人間の中のルール、あるいは暗黙の了解として勝手に結界を作ってくれることを願っているのかも知れない。
 人間が自らの手で作った結界は、これ以上強いものはなく、人間が作っただけに、説得力があり、本能的にも近づくだけで、恐怖を感じるようにできているものなのかも知れない。
 遺伝子というのは、想像以上に人間の役に立っている。今まで数々の病気が、
「不治の病」
 として君臨してきたが、その薬が身体に入って効果を示すのも、遺伝子の働きなのではないかと思うからだった。
 今回の研究で気になったことを踏まえていくつかの考えが頭に浮かんでいた。
 まずは前述のように、次の研究テーマを閉所恐怖症ではなく、他の恐怖症から攻めていくことで、第一班との差別化を図ることだった。
「競争意識を持ってはいけない。同じ研究室の仲間だから」
 という感情が強かったのかも知れない。
 そもそも、競わせたのは教授の考えで、切磋琢磨を狙ったという思いがあるのだったら、こっちも差別化という意識を持ってもいいはずだった。
 競争したところで、そこから生まれるものは何もないわけではない。一足す一が三にも四にもなるという発想が現実味を帯びると考えればいいのだ。
 だったら、どうせ差別化を図るのであれば、とことん奇抜にもできるはずだ。第二班は第一班と違って、新たな発想を抱いていいわけだし、考え方を根本から変えてもいいのだ。そういう意味で、教授も第二班を作ったのではないかと思うと、根本の計画を打ち破ったうえで、研究方針の根本も打ち破ることもできるはずだ。
 自分たち第二班は、ある意味保険であり、危険性があることもできるという意味の保険ではないだろうか。
 そう思うと、研究の入り口を違うトンネルから責めるというこの考え方。ある意味教授の目論見に沿っている気がする。
 しかし、これだけでは不自由分だ。奇抜なことを行うための言い訳にしかならなければ、これほど本末転倒なことはない。こちらが失敗に終わっても、第一班の肥やしにでもなれば、それは犬死ではない。それも教授の頭にあることだろう。
 そう思うと、責任という意味では、
「すべてを私は担うから、君たちは好きなようにやりなさい」
 と言われているのであれば、余計に下手なことはできない。
 奇抜な発想は奇抜であるだけの理由をしっかり示さなければ、教授から見捨てられることもあるということだ。
 そういう意味で、この研究がいかに難しいのかということを、示している。だから、発想はでかく、いくべきなのだろう。
「ありきたりな発想などいらない」
 と教授が言っている課のようである。
 そして今の課題に立ち向かう原点の理論として、
「偶然を必然に変える力」
 というものが考えられた。
 そもそも世の中は、二つの相反するもので、形成されていると言っても過言ではないと常々思っていたはずなのに、それを忘れていたようだった。
 昼と夜であったり、長所と短所、そして、偶然と必然である。
 それらは、正反対のものだが、それぞれに影響しあって、この二つを双子星のような二重衛星のようものであり、
「片方が表に出ている時は、片方は隠れている」
 というような関係で、絶えず裏表が定期的に繰り返されているのではないかと思っている。
 長所と短所も、実は繰り返されていて、状況が見えなくなり鬱状態になったりした時、それがハッキリと見えてくるのではないかと、教授は言っていた。また、偶然と必然も同じことで、自分たちの気付かない間に、それが繰り返されているのではないか。そして、それを知っている人以外は、皆そうではないと思っている人であり、それが多数派意見となっているが、暗黙の了解として口にする人がいないだけではないかと思えたのだった。
 それを感じさせたのは、昨日の初村という女性との出会いと、酔った状態の頭が作りだした、
「遺伝子の発想」
 だったのかも知れない。
 この二重らせんの発想が、今後の研究に新しい風を吹き込んでくるような気がした。
「二重らせんという奇抜な発想は、遺伝子工学などとはまったく別の芸術として、建築学などで生かされているというのも、センスのようなものが働く時は、遺伝子がその能力を発揮するからではないか?」
 と考えることができるのだろう。
 そんなことを考えていると、昨日の女性の登場には、やはり必然性が感じられる。
「偶然の後に必然がやってくる」
 という考えから、今が必然の時期なのかも知れないと思うのだった。
 その理由として、もう一つの理論である、
「自分だけが考えていると思っていることは、結構皆が考えていることだったりすることが得てしてあるものだ」
 という考えに至ったことであった。
 この二つがどのように絡み合うのかは、これからの研究によるのだが、方向性はこれで定まった気がした。これまでは、漠然と何かの形が皆それぞれ見えていたようだが、それが、
「二重らせん」
 であったということは、分からなかった。
 さらに遺伝子工学ということになると、関わってくるのは、細菌であったり、ウイルスであったりする、
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次