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恐怖症の研究

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 これには、最初に質問した門松記者も、本人である川村教授もビックリしていた。もっとも、最初に川村教授がハットして我に返った気分になったので、それを見て、後追いの形で、門松記者も気付いたのだろう。
 だが、そのことをなるべく顔に出さないようにしながら、門松記者は、川村教授の言葉に反応して話を続けた。
「なるほど、錯覚というわけですね。確か、教授の研究は錯覚に特化したものだということを伺っています。私のように科学に疎い人間には、なかなかプレス発表で先生が示された学説だったりというのは、なかなか分かりかねるところがあるんですけどね」
 と言って、門松は笑ったが、川村教授としては、
「そんなスタンスの人が取材で訪れるということは、よほど、この会社は、小規模なんじゃないかな?」
 と感じたほどだった。
 記者の数が少なく、記者会見というと、いつも門松が言っていて、それは政治や行政の話題から、文化芸術に至るまでを一人で賄っていれば、得意不得意の分野もあるだろうから、彼のように、よく分からない記者が来ることも往々にしてあった。
 今までも、プレス発表の後の質疑応答で、
「こんなくだらない質問をしてくるのか?」
 と思うほどの質問しかしない記者も少なくはなかった。
 どうしても、政治などの方が記者会見は圧倒的に多いだろうから、少数精鋭でやっている出版社は大変であろう。
 しかし、それでも、もう少し調べてきてほしいと思うのは学者としてのエゴであろうか? いや、正当な気持ちではないかとも感じていた。
 そういう意味ではこの門松記者は、川村教授の研究が、
「錯覚に特化した」
 というところがあるというのを抑えているだけいいのではないだろうか。
 それを思うと、この記者はまだマシなのかも知れないと思ったが、逆にどこか中途半端な気にもなっていた。なるべくなら、あまり関わりたくもないような気はしていたのだ。
「最近、よく芸術的なものの取材が多くてですね、ある芸術家の先生に取材したことがあったんですが、その人の話では、何やらよく怖い目に遭うことがあるらしいんです。その時に何かが閃いたりするという話をしていることがあったんですが、本当にそうなんでしょうかね?」
 と、門松記者は、川村教授の考えを無視する形で話を始めた。
 話の内容としては、よくあることにも感じるのだが、
「まあ、恐怖がその人の中枢神経を刺激して、もう少しで何かを感じるという時の最後の一押しをするということはあるかも知れないですね」
 と川村教授がいうと、
「それは、じゃあ、何かを考えていている人の多くは、その直前まで考えが及んでいるということなんでしょうか? それとも、そういう人が多いのではないかという前提でのお話なのでしょうか?」
 と門松記者は言った。
 彼の聞き方は、二択しかなかったが、本当は他にも選択肢があるのだが、少なくとも川村教授が考えているのは、この二択だったので、門松記者の質問は、あながちでたらめではないということは、川村教授にも分かったのだ。
「うん、そうだね、僕としては、前者の核心に近い方だと思っているんだよ。恐怖であったり、人間の中枢神経を刺激するものって、結構あると思うんだ。人は知らず知らずのうちに、その刺激を受けていて、無意識にできていることだって、それが偶然ではないという人もいるけど、それを刺激を受けることによって、偶然と必然にするのだと考えれば、理屈に合うんじゃないかなって感じるんだよ」
 と、川村教授は言った。
「じゃあ、先生のいつも言われている、錯覚というのも、ひょっとすると、偶然を必然にするための、刺激のようなものだとも言えるのかも知れないですね」
 と、門松記者は言った。
「その通りですね」
 と平然と返した川村教授であったが、実際に門松記者の言ったことに対して、
「的を得た考え方だ」
 と思っていた。
 そして、初対面でいきなり声を掛けてきただけのことはあると思ったが、あまり気さく友思えない相手の話にいつの間にか乗ってしまっている自分も、どうしてしまったのかと思うのだった。
 門松記者の話が、興味深い話なのは分かるが、それにしても、普段とは違った気分になっているのは、酒が入っているからなのかも知れない。
 元々、川村教授は酒が強いわけではない。酒を飲むとすれば、ビールよりも日本酒だった。
 炭酸がいけないのか、ビールなら、コップ一杯でしゃっくりが出るほどきつくなることがあるのに、日本酒だったら、一升の半分以上飲めたりする。馴染みのこの店の焼き鳥屋煮込みであれば、一升を飲んでも、翌日残らないくらいのこともあった。
 この日も日本酒に舌鼓を打ちながら、焼き鳥と煮込みを食べていた。
「最後に来たのはいつ以来だったのだろう?」
 と思い出そうとしても、記憶が定かではないくらい、久しぶりのはずだったのに、まるで昨日の今日のような気がするのは、最近、あまり食欲がなかったのに、今日はお腹が最初から空いていたからではないかと思えたのだ。
 年を取ると胃の具合も老人並みになってしまった。五十歳を超えると、身体のどこかしかに異変を感じるようになり、最初は不安が募ったものだったが、年齢からくるものだと思うと、次第に自分が老化してきたことを思い知ることで、次第に気にもならなくなってきた。
 思い知ると言っても、覚悟を持つというほどの大げさなものではなく、絶えず意識しているというだけで、余計なことを感じなくてもいいと思えるのが、心の落ち着きなのだろうと思っている。この思いは三十代後半くらいから感じられるようになり、
「そうだ、目の前のこの男くらいの頃から、老化を意識するようになったんだよな」
 と思った川村教授だった。
「この間ですね、ある取材に田舎の廃墟に行ってきたんですが、数人のスタッフと一緒にですね。カメラマンや音声、そして、レポーターの女の子と私の、四人だったのですが、その時、カメラマンの男性が霊感が強いらしくて、最初から怖がっていたんです」
 と、急に話を始めた。
 この話が、さっきの恐怖という言葉に繋がってくるのかは分からないが、霊感と聞いただけで、何か胸騒ぎを感じるのだから、それも当然であろう。
「霊感の強い人は結構いるでしょうからね」
 と教授がいうと、
「ええ、そうなんですよ。実際そのカメラマンを連れて廃墟などのスポットに行くのは初めてだったんですが、以前、戦没慰霊碑に取材に行ったことがあったんですが、その時は何もなかったんです。しかも、最初からカメラマンが怖がっているということもなくてですね」
 と門松がいうと、
「でも、それって、急に霊感が強くなったんじゃないですか?」
 と言われて、
「急に霊感が強くなるなんてことあるんですか?」
「急になるということはないと思いますが、霊感が強いということにそれまで気付くことがなくて、ある時急に気付くということはあります。その類だったんじゃないですか?」
 という教授の話だったが、
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次