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恐怖症の研究

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年六月時点のものです。それ以降は未来のお話なので、これは未来に向けたフィクションです。

             偶然を必然に変える

 F大学の川村科学研究室で、ある研究がなされていた。元々、彼らの研究は、
「心理学と、科学の融合」
 というものをテーマに行っていたのだ。
 だが、それほど大きな大学でもなく、私学の二流大学ということもあり、よほどの何かの成果がなければ、文部科学省からの支援が打ち切られることになっていた。
 以前、二十年前にこの研究室で、ある発明がなされたことで、文部科学省からの認可を得て、資金が調達できるようになり、一時は研究室廃部という危機もあったが、何とか乗り越えることができた。
 しかし、それ以降、発明らしい発明もなく、混とんとした時期が過ぎていくだけだったので、さすがに文部科学省からも、
「そろそろ何かの成果が得られないと、こちらからも、出資が難しくなりますね」
 ということで釘を刺されてしまった。
 川村教授は、二十年前の開発の歳には携わっており、その時のことを、研究員によく飲み会などで話して聞かせた。
 だが、場所が飲み会ということもあり、しかも、何度も同じことを繰り返して言われると、最初の頃のような感動などない。
「もはや、訊く耳を持たない」
 と言ってもいいくらいで、
「また始まったか」
 と皆、溜息をつきながら、苦痛な時間を過ごしていた。
 そのせいもあってか、どうも研究に熱が入らない。
 皆、志を持って入ってきたはずなのに、一応、文部科学省からの支援金があることで、発明が完成しなくても、給料はもらえる。自分の好きな研究に没頭することにかけては、皆研究者として、それなりの集中力を持っていることだろう。
 だが、今の彼らはぬるま湯に浸かってしまい、研究が完成しなくても、研究に没頭さえしていれば、よかったので、
「楽というわけではないが、これほど楽しい仕事はないだろう」
 と思っていたのだ。
 ただ、やりがいという意味ではなかっただろう。何しろ成果が表に出ないのだから、人からちやほやされることも、達成感もない。ただの自己満足だけで終わってしまっていたのだが、皆それでいいという空気が充満していたのだ。
 そんなところでの、文部科学省から大学を通じての最後通牒にも近い内容、聖典の霹靂だと言っても過言ではない。
 かといって、このぬるま湯体制はいかんともしがたい。教授もどうしていいのか悩んでいたが、そんな時、教授がプライベートで懇意にしている呑み屋に立ち寄った時、一人の男性が声を掛けてきた。
「F大学の川村教授ですよね?」
 というその人は、年齢からすれば、三十歳後半くらいであろうか。
 研究所員とすれば、中堅クラスであり、一番脂がのった時期のはずなのに、どうもやる気が失せてしまった連中に対して、最後通牒を突きつけられても、何もできないということを、何も言えずに、何もできない彼らを思い出して、思わず、唇を噛んでしまいそうになる自分にビックリした川村教授だった。
 今年で、五十歳になる川村教授は、まだ黒髪がフサフサしていて、髪の毛や表情を見る限りでは、老化の感覚はないのだが、実際に、腰の痛みがあったり、時々、足が急に痛み出したり、胃の具合が悪かったりと、それらの症状が日常化しているものもあれば、定期的に襲ってくるものもある。
「完全に老化してしまったんじゃないか?」
 と会見とは裏腹なので、まわりは元気だと思ってくれる現象に、複雑な思いを抱いていた。
「ええm川村ですが、何か?」
 と、川村教授は訝しそうに、その人の顔を覗き込んだ。
 前述のように、初対面の人を見た時、皆研究者のイメージに置き換えて見てしまうというのは、あまりにも極端であるが、それほど、他の人を知らないということもある。プライベートでは、誰かと話すこともなく、家に帰っても一人である。今までに恋愛は何度かあったが、一度も結婚したことがなく、典型的な引きこもり研究者のイメージであった。
 だが、研究家としては、それなりの成果もあった。
 かつての文部科学省からの支援金が貰えるようになった発明の時には研究員の主任として第一線での責任者として活躍し、研究家としての充実を迎えるようになると、小規模であったが、コンスタントに発明を重ねていく、それによって、研究所も少しずつ大きくなってきて、今では、川村研究室として、確立されたのである。
「私はこういうものです」
 と言って一枚の名刺を出してくると、そこに書かれていたのは、
「東海出版社」
 という出版社の、
「門松源治」
 と書かれていた。
「あの、私に何か取材したいということですか?」
 と教授は少し身構えた。
「あ、いや、そういうことでは」
 と言って、少しうろたえた門松記者を見て、
「取材ということでしたら、大学の方を通してください」
 と、言った。
 これは正論であり、川村研究室の室長としての取材であるとしても、科学者としての取材であるとしても、そこはけじめという意味でも、大学を通す必要があるだろう。
「ああ、いえ、別に取材というわけではないんですよ。名刺を出しちゃったのがまずかったかな? プライベートでのお近づきという意味だったんですけどね。この間の教授の記者会見の歳、私もあそこにいたので、教授のことは知っていたんですよ。あの時はですね。プレス席の前の方にいたんですが、何か、ひな壇との距離を感じた気がしたんですよ。現場にいるのに、何か、テレビ画面で見ているかのような感覚ですね。おかしな言い方をすると、距離を感じたというんでしょうか? 教授の顔が小さく感じられたんですよ」
 というと、
「テレビ画面を見ている感覚と、今言われましたよね? その感覚が距離を感じさせたんじゃないでしょうか? テレビ画面であれば、ズームになっているはずなので、実際には近くに見えるものだと思うんです。感覚とカメラワークによる見え方の違いが錯覚を引き起こしたのではないでしょうか?」
 と、川村教授は、いかにも教授というイメージで話をした。
 それにしても、普段から研究員としか話をせず、しかも、研究員とも研究以外のことでしか話さないという、余計なことは絶対に言わないはずの川村教授にしてはおかしな感覚だったに違いない。
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次