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恐怖症の研究

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 だが、この二つはまったく考え方の違うものなので、相乗効果は認められないだろう。そうなると、どちらかの感情の強い方が勝るのだろうが、教授の考えとすれば、プライドが勝るだろうと思っていた。
「ここで、ままごとのようなごっこはいらない」
 と思っていた。
 お花畑の発想では、研究が進まないことも分かっていて、最初の高所恐怖症や暗所恐怖症の研究も、思ったよりも進まなかったのは、和気あいあいとした雰囲気での研究が、スピードを鈍らせたと思っていた。
 この研究室の存続が掛かっているのだから、もう少し必死になってほしかったのだが、下手にせっついても、期待した効果が得られないというのももっともなことだろうと思ったからだ。
 そういう意味で、今回の研究室のやり方は、画期的な気がした。人が増えれば増えるほど和気あいあいとなる。少数精鋭という意味でも必死になるだろうと思ったのと、二つの班に分けて、それを競わせることで、研究者としてのプライドに火をつけることもできると思ったのだ。
 だが、問題となるのは、どういう理由で二つの班に分けるかということだった。
 その理由付けとして、まったく違う方式のものを、競わせるだけの理由で納得させるかということであったが、やはり、研究員の性格を考えると、
「固まっている方針の中で、いかに自分の開発方針を発揮することに長けているか」
 という人の人数と、
「最初の企画段階から、自分の実力を発揮するタイプ」
 という人の人数が拮抗しているのを分かっていたからだ、
 今までは、企画段階のほとんとを教授が一人で決めてきた。研究員がまだそこまでの実力に欠けていると思ったからであったが、
「このままでは後進が育たない」
 という危惧もあったことから、今回思い切って抜擢しようと考えたのだった。
 そのおかげなのか、思っていたよりも皆の成長は著しいようで、企画を立てる方も、結構早い段階で、方針が固まっていた。
 しかも、教授が考えたとしても、結果的には同じ考えに至ると思えることであり、それが教授としての、自分の成長でもあると思うのだった。
 第一班の方も、今までやってきたことを分かっているだけに、見えているものは決まっている。少数精鋭ということで、意志の疎通もばっちりで、人数が半分になったからと言って、スピードが倍かかるということはなかった。
 むしろ、人数の多い時とほとんど変わらないくらいの進捗ぶりで、川村教授もビックリしているほどであった。
「これは、想像を絶するほどの成果かも知れない」
 と思ったが、やり方に間違いがなかったということで、自分も自信を持つことができたかも知れない。
 まったく口出しをするということはなかったが。。ほとんどは自主性に任せていた。しかしそれでも、
「何か質問や意見があれば、いくらでも言っていいからね。ただし、お互いの班を超えて研究に関して話をする時は、必ず私を通してくださいね」
 という、関所のようなものを設け、そこの責任者として、自分が君臨することで、室長としての面目を保とうと思ったのだった。
 ただ、これは内部でのことでだけで、まわりからは、皆協力して研究していると思っているだろう。別に隠す必要はないのかも知れないが、余計な雑音を聞かせたくない。いや、一番聞きたくないのは、教授本人であった。
 元々、暗所恐怖症と、高所恐怖症というのは、
「その状態に入った時に先立って恐怖を感じること」
 であったはずだ、
 ということは、第二班としては、その理論を覆さなければいけなかったのだが、メンバーの発想としては、
「恐怖というものを頭から外すことはできない」
 という感情から成り立っていた。
 なぜなら基本的にこの研究は、様々な恐怖症に対して共通の総合感冒薬的なものの開発だったはずだ。だから恐怖というものを取り除いてしまうと、最初からの共通点の発想を変えてしまうに違いない。
 それを思うと、研究員が目指すものは、安易に変えてはいけないということになり、恐怖というものから浮かんでくる発想という意味で、ある程度範囲やパターンが絞られることになる。
「これってフレーム化のようなものだよね」
 と誰かがいうと、
「でも、その方が的は絞れていいんじゃないかな?」
「だけど、それだと第二班の意味がなくなってくるんじゃない?」
「いやいや、そうじゃないさ。闇雲にすべてを否定して更地の状態から組み立てていくというのも一つの発想なんだけど、ここではそうではなく、理論的にいかに特効薬を見つけられるかという方法論をリセットするという意味なんじゃないかな? すべてを一度否定してしまうと、そこから組み立てる発想は、まったく違う方向しか向いていないことになると思うんだ。皆が一つの方向を見ていたとしても、その中で一人くらいは、違った発想をしているものでしょう? だから、その人はきっと頭の中が否定から入っているんじゃないかと思うんだ。つまりは減算法というのかな? 我々の中にもそれぞれの考え方があるわけだから、加算法と減算法のそれぞれのいいところを切り取って研究するというのが一番いい気がするんだ」
 と、第二班の中で一番ポジティブな考え方をする研究員だった。
 彼は常々、
「自分は教授とは違った考えなんだろうな?」
 と思っていた。
 教授はどちらかというと減算法だと思っていた。
「最初に自分の理論を思いついて、それをまわりの研究員に研究させて、不必要場部分を切り取らせて、そして、最終的に分解された部分を組み立てることには長けている人なんだ」
 と思っていた。
 だから、それまで自分は教授と一緒に研究していて、ついていってはいたが、いつついていけなくなるか分からないとも感じていた。
 以前、研究室にいた小林研究員という人の話は聞いたことがあった。
 一緒に研究室にいたという時期はなかったが、
「小林さんという人がどのような人なのか分からないが、教授の減算法的な考え方についていけなかったのではないか。そういう意味でここを飛び出す勇気があったのは、拾ってくれるところがたまたまあったというのもあるだろうが、勇気を出すだけのプライドが、その人にはあり、かなり行動力と、野心を持った人なのだろうな?」
 と考えていた。
 一度、小林研究員と一緒に呑んでみたいという思いがあったが、その思いが実現することになろうとは思ってもいなかった。
 もっとも、その思いが本当に通じたのかどうかは分からないが、偶然なのか質善なのか運命なのか、考えるだけ無駄な気がした。それほど二人の出会いは衝撃的だったと言ってもいい。
 彼は名前を沢口研究員という。
 彼は中学時代から、心理学に興味を持っていて、
「将来、心理学専攻の学部に入り、大学院まで行って、将来は心理学研究ができるようになればいい」
 という青写真を描いていた。
 高校時代というと、将来の夢や希望はおろか、やっと思春期に突入した川村教授とはまったく違っていた。
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次