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恐怖症の研究

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「私は、元々心理学というものに入り込んだつもりはなかったんですよ。最初は化学が好きで、学生の頃は薬剤や医学の方の勉強をしていたんです。それも、クスリで直せる病気に対して、そのさらなる特効薬を作りたかったという感じですね、外の人は、不治の病を治すまったく新しい薬の開発を考える人が多かったんですが。私は違ったんです。いつになるか分からないけど、一発ですべてをひっくり返せるくらいの大博打のような不治の病の特効薬にするか、現在ある、治療薬を発展させて特効薬にするために、実現可能なことがある程度分かっているだけに、数をこなす必要がある研究のどちらを選択するかというと、意外と後者はあまりいないんです。目指すのはやはり一発屋ですよね。だから、皆そっちを目指していても、実際に研究室とかに入ると、意図していないところに振り分けられることになる。一応適正テストはするんですが、これも一緒の運のようなものですからね。そう思うと、私は最初から望んでいた方への配属だったにも関わらず、そのことが分かってしまったので、何か急に医学、薬剤に対しての興味が薄れていったんです。そこで当然悩みますよね。自分の存在が一体どういうものなのかってね。それで、悩みを解消するために心理学を勉強したんです。すると、それがいつの間にか自分の目指すものと近い気がして、さらに、今まで得た医学、薬学、化学の知識を一緒にすることで、化学全般と心理学の融合という発想になったわけなんです。これが、今の自分のある姿の原点ではないかと思っています」
 と、川村教授は答えた。
「それが、かわむら教授の今の研究の原点なんですね?」
 とつかさが聞くと、
「ええ、その通りですね」
 と、川村教授が答えたが、その言葉には、心なしか力がなかった。
「ところで、次の研究は閉所恐怖症についてになるんでしょうか?」
 とつかさが訊くので、
「ええ、そうですね。まずは、三大恐怖症と言われているものの共通点を見つけたいという気持ちがありますので」
 と教授がいうと、
「私も実は閉所恐怖症なんです」
 とつかさが言った。
「そうなんですね。それは意外です」
 と言われると、
「そうですか? でもですね、私は閉所恐怖症ではあるけど、高所と暗所に関しては恐怖はあまりないんです。皆が怖いと思うところまではさすがに怖いと思いますが、恐怖症と言われるようなことはないんですよ」
 と、つかさがいった。
「それは面白いですね。私の感覚としては、閉所恐怖症の人は、高所か暗所のどちらかに恐怖症を持っている人がほとんどだと思ったんです。でも、最近私の中で、狭いところが怖いという感覚は、私の中のイメージとして、監獄のような部屋に閉じ込められているとして、次第に壁が電動で動くようになっていて、ゆっくりと迫ってくる感覚ですね。このままであれば、壁に押しつぶされてしまうという恐怖、それこそが閉所恐怖症の下になっていることだと思ったんです。でも、これをイメージするとすれば、一つしかないですよね。それは夢を見ることだと思うんです。夢と見るというのは、潜在意識のなせるわざと言われていますが、実際には自分の意識や記憶の中に入っているものなんですよね。だから夢で見たということは、恐怖を煽る何かを夢に見た記憶があるので、それが夢の中での閉所と結びついて、何か自分の意識の中で辻褄を合わせようとしているのが原因なんじゃないかと思うんです。だから、暗所恐怖症か、高所恐怖症が閉所恐怖症には絡んでいると思うんですよ。もっとも、それは本人が自覚しているかどうかということの違いはありますけどね」
 と、川村教授は話した。
「教授のおっしゃることはもっともだと思います。夢に関しては私も他にも恐怖を感じるのがいくつかあって、たまに思い出すのが、吊り橋の上で、前に進んでいいのかどうのかということで悩んでいる夢です。一歩踏み出せば、そこから一気に奈落の底に落ちる怖さを感じるんです」
 とつかさがいうので、
「いや、それが高所恐怖症であり暗所恐怖症なんじゃないかと思うんですよ。それをたまにしか思い出さないのは、思い出すことで、自分が高所、暗所恐怖症であるということが分かってしまうのが怖いという感覚になっているんでしょうね。だから、なるべく思い出したくないという思いになっていて、そういう意味であなたの中にある恐怖症の中で一番難易度の低い閉所が表に出てきているのではないかとも考えられますね」
 と教授がいうのを聞いたつかさは、
「なるほど、そういうことだったんですね。だったら、他の人にも今の私に対してと同じことが言えるんじゃないでしょうか?」
 とつかさがいうと、
「というと?」
「今の発想のように、どれかの恐怖症を持っている人は、すべての恐怖症を大なり小なり持っていて、それを認めたくないという考えから、優先順位をつけて、一番難易度の低いものを自分の恐怖症だとして、表に出しているという考え方ですね」
 とつかさに言われた教授は、目からうろこが落ちた気がした。
「なるほど、たぶん私も同じ考えを持っていたのではないかと今感じました。初めて聞いた話で、意識もしていなかったはずなのに、前にも聞いたことがあったような感じがしたことで、今までに繋がらなかった意識が繋がるかも知れないとも思っています。しかも、この感覚は、私は今初めて感じたのですが。意外と他の人は皆感じていたことではないかと思うんです。専門家としては、実に恥ずかしい限りなんですけどね」
 と、教授は照れ臭そうに微笑んだ。
 それを聞いたつかさは、
「いや、その通りだと思います。私はその感覚をよく感じるんですよ。これは中途半端な立ち位置の人間にしか感じることができないものだと思っているんです」
 と、いうのだった。
 そうやって考えてみると、教授の目標である、
「さまざまに存在する恐怖症の共通点を見つけて、その特効薬を見つける」
 ということが可能ではないかと思えてきた。
 もちろん、実行可能だと思っているから、実行しているのだが、どこかに一抹の不安は付きまとっている。それは、誰にでもあることで、時々分かっているくせに、それを自分にだけしかないことだと思って、どうしても視野が狭くなってしまうことがあるのだ。
 それこそが、
「恐怖心の一種なのではないか?」
 と感じられるのであった。
 目標と目的とでは、言葉は似ているが、ニュアンスが違っている。
 目標と目的という言葉の大きな違いが、
「点と線」
 なのだろうと思っている。
 目的が点で、目標が線ではないだろうか?
 目標は、あくまでも、定めたラインに達することであり、少々横にそれても、定めたことが内容として達成されていれば、それは目標達成と言える。だが、目的は、その点の上にちゃんと着地しなければいけない。そういう意味で、目標よりもシビアなのではないだろうか。目標に対しては達成という言葉があるが、目的という言葉に対しては、達成とは言わない。そういうところの違いが、この二つにはあるのではないかと、川村教授は思っていた。
 そういう意味で川村教授の目指しているものは目標の達成であった。そのために、
「手段を択ばない」
 というところがあった。
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次