恐怖症の研究
ただ、これは門松記者にも同じことが言えるだけで、初村つかさだけが特別ではないのに、特別だと思いたいのは、自分が初村つかさを意識している証拠と言ってもいいのではないだろうか。
初村つかさという女性は、我々の研究をどこまで把握しているのだろうか? 質問内容はそれなりに的を得ていたものだと思う。少なくともある程度まで勉強してきたのは間違いないだろう。
川村教授の著書もちゃんと読んできたのかも知れない。だが、専門書に近い著書なので、一般の雑誌記者では理解できるとは到底思えない。それを思うと、川村の話を訊きながら、基礎知識を、先輩記者にでもあらかじめ聞いていたくらいであろう。その基礎知識に今日の教授の話を組み合わせてあれだけの質問ができるのだから、
「ひょっとすると、彼女の頭は、科学者向きなのかも知れない」
と思えるほどであった。
その証拠に、あれだけ記者会見場では、質問からの質疑応答を展開できたのに、ここで二人きりになると、挨拶しただけで、後は言葉が何も出てこないではないか。ひょっとすると、今日の質疑応答から、
「自分は、面と向かって二人きりの会話でも、十分に通用する」
と思っていたのかも知れない。
しかし、いざ目の前にすると、何を話していいのか分からずに、何も言えず、ただ時間だけが無為に過ぎていると感じているのではないか。そう思うことで余計にアリ地獄状態に陥ってしまい、抜けられなくなっているのではないかと思えた。
それは、教授も同じだった。
彼女が何かに捕まってしまったことで、自分の両足も彼女に捕まれてしまって、脱出することができない。
彼女を蹴っ飛ばして逃げることも可能だが、それは男としてのプライドが許さない。
「いや、これって男としてのプライドなのか?」
と思うと、それまでの自分に、男としてのプライドなどを感じたことがあったのかと思えた。
あったのかも知れないが、それは感じたというだけで、本当に存在していたのかどうかまでは分からない。
根本的にあるものなのかどうなのかということが根底にあるのに、順序が違っているように思えたのだ。
つかさは、教授の隣に座ってから、教授と同じ日本酒を、少しずつ口に運んでいるだけで、自分の分を二人前で注文した料理に一つも口をつけていなかった。
「一緒にいるだけで、お腹いっぱい」
というと、幸せな気分を感じさせるので、この場合には当てはまることではないと思えた。
さすがに箸が進まない相手に、食事を促すのはいけないことかと思ったが、気持ちとは裏腹に、
「食べてないじゃないか。遠慮はいらないよ」
と目の前の食事を勧めた。
これは、まさか、小学生の男の子が、
「好きな子ほど苛めたくなる」
という心理に似ているのではないかと思えたのだ。
「初村さんがなかなか鋭い質問をしてくるので、私もビックリしましたよ。でも、鋭い質問ではあるんですが、すべて回答しやすい質問だったので助かったと思っています。でも、あれだけの知識、よくありましたね? 心理学か科学関係を専門的に勉強されていたのでしょうか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなことはないですよ。私は先生のお話を訊いて、感じたことを質問しただけです。心理学って、結構難しいし、専門書などはすぐに挫折しそうなことを書いてあると思うんですが。実際に専門家の人と話をしてみると、結構砕けた話をしてくださるんですよ。時に例を出して話してくれるので、逆に他の話よりも分かりやすく感じるくらいです。例になるような話が心理学では結構あるというのも、面白い気がするんですよ。元々難しいから、分かりやすいような話が考案されたのか、それとも、分かりやすい話があって、その理論を逆に科学的に証明しようとしたのが、心理学という学問なのか、どちらなのか分かりませんが、私はどちらでもありの気がするんです。それぞれに説得力がありますよね。だから、どっちもありではないかと思うんです。話によっては前者であり、別の話は後者、っていう感じのですね」
と、つかさは言った。
「なるほど、その考えは面白いですね。私のように、最初に学問として入った人間には、その発想はないですよ。初村さんは、話から心理学を見たんですか?」
と教授に言われて、
「そうですね。そっちの方が確かかも知れないです。最初は確かにそうだったんです。そういう話から、心理学に結び付くものがあるということで、心理学を勉強しようかと思ったんですが、すぐに挫折しました。心理学というのは、他の学問とも密接に繋がっているので、そちらも一緒に勉強するか、基礎知識として最初から持っていなければ、とてもじゃないけど、あの専門書を読みこなすことはできないと思うんです。だから私は心理学を真正面から勉強することはなかったんですが、皆さんはどうなのかって思いました。またそれが間違いで、自分で独自に勉強しようかと思っているのに、他人を意識していれば、結局、心理学に近づいているつもりでも、実際には遠ざかってしまっているということに気づかないのではないかと思えてきたんですよね」
と、つかさは話した。
話の中身はどうしても、言葉を選んで話しているようだったので、分かりにくいところもあるが、川村教授には何となく分かる気がした。
「そういえば、私もそうだったんだよな」
と、呟くように教授は言ったが、ここで教授が、
「そうだんだよな」
と過去形で話をしたことへの違和感が、その時のつかさにあっただろうか。
ただ、つかさが川村教授に興味を持ったのは、
「教授の話す言葉の違和感」
があったからだ。
その違和感がどこから来るのか、それがどういう意味での違和感なのかが分からないだけに、余計に気になる。その気持ちが、発表の際のあの質問の内容であり、今回、ストーカーのごとく、そのわりには密かにではなく、堂々と目の前に現れたことに繋がっているのだろう。