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恐怖症の研究

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 だからと言って、川村が好きになった女性と相思相愛になれるというわけではない。そんな彼女たちは却って、
「私は、自分のこの性格が嫌なの」
 と言っていた。
 それだけに、必然的に川村が嫌いだと言っているようなもので、考え方が同じだからと言って、安易に、
「あの人も自分のことを好きに違いない」
 などと思って告白しに行くと、返り討ちにあってしまうことが得てしてあったものだ。
 それでも、川村青年は、懲りることがなかった。何度も告白して、返り討ちにあっているうちに、感覚がマヒしてきたのか、最初の頃のように、フラれてショックだという感覚がなくなっていた。
 川村は、自分で気付いていなかった。フラれることによって、自分の中に、ショックのトラウマができてきていたことを。感覚がマヒしていたのは、自ら結界を作って、トラウマを見て見ぬふりをしようという防御反応の一種だったのではないだろうか。
 自分にそんな感覚があったなどということを、まったく知る由もなかった川村青年の、大学時代の研究の中に、
「失恋とトラウマ」
 というのがあった。
 川村青年の奥底のトラウマが見えている人は、彼の論文を見ることはなかったし、逆に彼の論文を読む、研究成年は、恋愛のことについては、ほとんど分かっていなかっただろう。
 そんな川村青年が高校二年生の、初めて好きになった女性に対して、果敢にもアタックしたのだった。
 思春期を普通に過ごしてきた人にとっては、中学時代に恋愛感情とはどういうものかということをある程度理解できていたのだろうが、川村青年のように、それまでまったく恋愛感情を抱いたことのない、ずぶの素人にとっては、
「埋めることのできない距離」
 に違いなかったであろう。
 しかし、実際に好きになった相手は、自分よりも恋愛に関してはベテランであるという意識があるため、恋愛感情という特殊な環境の中で、余計に焦りが生まれてきて、普段のような計算がまったくできてこなかったこともあって、中学生の初告白よりもさらにお粗末な内容での告白では、好きになってもらうどころか、
「あの人の神経を疑うわ」
 というほどのお粗末な告白だったのだろう。
 それだけ、焦りというのは禁物なのだ。高校時代にはその失敗がどうしてなのか分からず、嫌なことは忘れてしまいたいという意識もあることから、高校時代には、人を好きになることもなかったし、
「自分には恋愛は向かない」
 と思った。
 そもそも、恋愛を、向く向かないという考え方の枠にはめ込むということ自体が間違っていたのではないかと後になって気付くのだが、その頃は考えることすべてが、悪い方に向かっていたのだ。
 それは恋愛感情に限らず、どの感情でも同じことで、感情に関してはすべてが裏目に出ていた。
「じゃあ、何も考えないでいいように、何かに打ち込めばいいんだ」
 ということで、川村青年が撃ち込んだのが勉強だった。
 勉強している時は、余計なことを考えずに済んだのだが、勉強は何も自分に教えてはくれない味気ないものだった。
 しかし、やればやるだけの成果が現れる。これほど分かりやすくて一番打ち込めるものはなかったのだ。
 そして、F大学に入学し、心理学というものに巡り合った。それがあったからなのか、その時になってやっと、自分が恋愛に向く向かないという枠に当て嵌めたような考えがおかしいということに気づき、自分が恋愛をできない一番の理由が何なのかということを考えていると、そこにあるのが、
「恐怖だ」
 ということに気づいたのだった。
 恐怖心と恋愛感情を結び付けるまでにはかなりの時間が掛かった。それこそ紆余曲折を繰り返しながら、自分の中の恋愛感情を封印したその先にトラウマがあり、そのトラウマを研究することで、得られた結論が、これからの研究に役立つと思っていた。
 最初は、考えられる感情を片っ端から書き出して、その中に自分が求める結論があるのかということで考えていこうとした。いわゆる、
「消去法」
 という考え方なのだが、どうも、消去法では見つけることができなかった。
 その理由は、消去法だと、油断していると、それが答えであるとしても、見逃してしまう。一度見逃してしまうと、一度洗い出した考えられる感情のすべてが考えられるまでは、そこに戻ってくることはない。
「おかしいな、もう一度最初からやってみようか」
 と、一度最後まで消去法で考えてしまわないと、途中で戻ることはしないだろう。
 もし、途中で戻ってしまうと、これから見て行かなければいけない部分と頭の中で考えが交錯してしまうのが分かっているので、少なくとも一度違うと思ったものを、再考するというのは、感情の誤認を招いてしまうことになると思うのだった。
 そのために、気が遠くなるような時間と言っても過言ではないほどの時を費やして、やっとたどり着いた、
「恐怖感」
 という感情、それが初老になる頃になってやっと日の目を見ることになってきたのだということだった。
 それが今の研究に繋がっているわけだが、まさか、
「心理学と科学の融合」
 という考え方になろうとは思ってもいなかった。
 しかし、その発想も自分の中にある恋愛感情へのトラウマと、それを無意識に結び付けていたことが研究に結び付いたのだろう。逆にトラウマを意識していて、それを克服しようという、普通の考えに至っていれば、研究に結び付いたということはなかったのかも知れない。
 今回の研究も、三大恐怖症を中心として考えたのだが、実際にはさまざまな恐怖症がある。
 対人恐怖症、赤面恐怖症、広場恐怖症などの相手に関するもの、ボタン恐怖症などのようなものに対するもの。水恐怖症などの、トラウマに結び付きそうな恐怖症と、世の中のあらゆる自分に刺激を与えてきそうなもののリスクとして備わっているもののように感じられるのだった。
 そういう意味では、恐怖症をこの世からなくすというのは無理だと思う。なぜなら科学の発展とともに、それに対しての新たなリスクが生まれてくるからだ。
「伝染病と特効薬のいたちごっこ」
 のように、そのどちらも拭うことのできない、無限ループがあるからだ。
 だが、少しでも恐怖を和らげることのできる、総合感冒薬のように、少々の恐怖に対しては、その薬を使えば応急処置ができるというような、ある程度の恐怖症に効くという特効薬の開発に似たものを開発できるようになることが、今のところの目標だった。
 そのために、大きな三つの恐怖症である、高所恐怖症、暗所恐怖症、閉所恐怖症の研究から始まって、最初は個々の恐怖症の研究を重ねることで、その共通性を見つけることを考えていた。まず、恐怖症をそれぞれのパターンに分けて見たり、原因から結果を導く共通性からの関連性、あるいは、結果から原因を導き出すような関連性などの側面から、パターンを絞り出し、その中での共通点を導くことで、次第に最終的な共通点を見つけることを考えていた。教授はそれを、
「パターンのフレーム化」
 と呼んでいた。
 この表現は、ロボット工学などにおける、
「フレーム問題」
 から、思いついた言葉だった、
作品名:恐怖症の研究 作家名:森本晃次