悠々日和キャンピングカーの旅:⑦能登半島(福井県)
旅の話に戻そう。鯖江からR8を走りながら、道路標識に従い、一乗谷に向かう間、夫はずっと妻に、以上のパラモーターの遠征の話をしていた。その時、一時停止に気が付かず、通過してしまったが、妻に指摘されるも、何事もなく幸いした。話に夢中になっていたことと、今走っている道路が優先道路だと勘違いしていたのか、いずれにせよ、心から反省した次第だった。
九頭竜川(くずりゅうがわ)の支流足羽川(あすわがわ)沿いの山間に広がる東西約500m、南北約3kmの谷の入口の資料館に立ち寄った。そこで、朝倉氏や一乗谷の栄枯盛衰を十分に学ぶことができた。
その“衰”とは、「一乗谷城の戦い」で、織田信長に大敗した朝倉義景は一乗谷を放棄し大野へ逃れ、その翌日、信長の軍勢によって一乗谷には火が放たれ、灰燼に帰した。その後、義景は自刃。辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれた。
そして1967年に発掘が開始され、田んぼの下からそっくり出土した朝倉氏が築いた街並みの跡地に、復元された武家屋敷や職人小屋等から成る町並は大変リアルで、往時を偲ぶには十分過ぎるほど、それらを次から次に見て回った。その街角から今にも織田勢が出現しそうで、その後は“阿鼻叫喚”が待っていたとは、戦国時代の怖さを思った。
暑さに加え、あまりにも熱く見て回ってためか、小休止が必要になり、冷たいコーラが美味かった。
将軍足利義昭をもてなした義景の館の遺跡に向かった。足羽川に沿って歩くと、川の上を吹く風が心地よく、暑さを多少紛らわしてくれた。その先の唐門(からもん)から入ると、館の跡が広がっていた。将軍のために、立派な庭もあったようだ。出来れば、ここには是非、館を再建して欲しいと夫はそう思った。
キャンピングカーに戻り、「永平寺」までコースを確認していると、パラモーターで飛んだ山々のほんの少し先が、この一乗谷だったことを夫は知った。これで、東尋坊までのフライトに、一乗谷上空のフライトも併せて、再度、福井県に遠征することがマストのレベルまでアップしてしまった。
一乗谷からひと山越えると曹洞宗(そうとうしゅう)の仏教寺院、神奈川県の總持寺(そうじじ)と並ぶ大本山「永平寺」にたどり着いた。そこは700年以上の歴史と伝統を受け継ぐ禅の道場で、開山は道元、本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)・弥勒仏(みろくぶつ)・阿弥陀如来(あみだにょらい)の三世仏だ。
最初の龍門から奥は杉の巨木が立ち並び、荘厳且つ涼しい空間が広がっていた。吉祥閣の中でスリッパに履き替え、見学コースの概略説明を聞いた後は、山の斜面に建てられた幾つもの荘厳で風格のある建物を回廊伝いに回りながら拝観、祈願。この旅での御利益に期待したい。
蝉の声が聞こえている今は夏。冬の厳しさ、特に早朝の状況を想像できないが、ここは修行する寺であり、心身には厳しく大変なレベルだろうと、妻と会話した。
参拝後は門前通りを歩き、金色で「禅」と書かれた黒いTシャツを買った。これは孫へのお土産だ。果たして、着てくれるのだろうか。
ちょうど12時。その売店で勧められた蕎麦屋に入った。実に美味しいと妻、蕎麦アレルギーで食べられない夫は鰊(にしん)うどんを食べた。妻は自分の分と土産に、その蕎麦を買った。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑦能登半島(福井県) 作家名:静岡のとみちゃん