着地点での記憶の行方
特にドラマの急な降板ともなれば、その理由を世間に説明しなければいけないし、嫌悪金の問題なのが発生すれば、世間が騒ぎ出す前にどこかで公表する必要がある。それだけ社会的には大きな問題になるのだ。
だが、一般市民には、そんなことは関係ない。不倫が原因で離婚したとしても、いちいち会社に離婚理由を説明しなければいけないわけでもなく、会社には給料の扶養者の問題から、離婚の報告をしなければいけないだけだ。それも、会社に対する扶養家族の増減申請書を一枚提出するだけで済むのだ。もちろん、自治体に申請も必要だし、会社に対して戸籍謄本の添付が必要になるかも知れないが、それもあくまで形式的なことをするだけのことである。
ただ、ここ数年の伝染病禍では、家族関係スラ、簡単に破壊してしまうほどの有事となっている。本当に厄介で住みにくい時代になったものだった。
家庭内での濃厚接触という理由にして、旦那が奥さんを抱かなくなった。それは、単純に、
「猛攻接触が怖いから」
という理由の人もたくさんいるのは間違いないが、中には、
「いい加減、同じ相手ばかりでは飽きてしまっていたんだ。濃厚接触という理由で、セックスをしないという理由もありだよな」
と考えている人も多かった。
その中に、最近では、前述の議員のように、
「セックスとは、何かを頑張ったご褒美に貰う楽しい儀式だ」
という思いが強くなっていて、それだけに、ただ愛情もない興奮も感じないセックスが余計に苦痛だと考える人も増えてきていた。
その理由は、この伝染病禍において、正当な理由として暗黙の了解になってきた。
最初こそ、
「家庭内での感染はあまりない」
と言われていたが、ウイルスが変異を重ねていく中で、
「家庭内と言っても、安心できるものではない。家庭内でも、ソーシャルディスタンスを保ち、食事中であってもマスクの着用。さらには、濃厚接触をなるべく控える」
というように、マニュアルが変わってきたのだ。
ただ、それも、ワクチンが皆に摂取するための、自粛期間のようなものだったのだが、それが次第に当たり前になってくると、その生活を元に戻すのが大変であることに、専門家も気付かなかった。
家族間ではギクシャクし始め、お互いがお互いを信用できなくなるくらいになってきていた。
会話などもなく、食事もそのうちに、同じ家に同じ時間にいても、別々の時間に摂るのが当たり前の家庭も増えてきた。
「家の中でも癒しなんか、どこにもない」
というわけである、
だが、この伝染病禍になる前であっても、このような状況は垣間見えていた。
家にいても、誰とも話さない人間が一人でもいれば、家庭はギクシャクしてくるというもので、皆がそれぞれ勝手なことをし始める。食事すら一緒にしなくなっていた。
それが当たり前という過程も結構あったのだ。
そういう意味で、
「こんな世の中になったから、急に家庭問題が社会問題として騒がれるようになったというわけではない」
ということなのだが、そのことを分かっていた人も結構いただろう。
実際に自分の家がそんな家庭だったら、分からない方がどうかしているというものなのだが、それを、世間体を気にして、誰もまわりに言わなかったことで、誰も問題にしなかっただけだ。
マスコミも分かっていたのだろうが、さすがに、この問題がデリケートであることが分かっていたので、最初にその記事を書くことは控えていた。
もし、最初に言い出して、これが悪い意味での社会問題を引き起こしてしまえば、悪いのはこの話題を広げたマスコミということになる。
記事を最初に掲載した出版社がやり玉に挙げられ、記事を書いた記者だけではなく、出版社の責任となって、下手をすれば、出版社が潰れてしまうということも当然のごとく考えられる。
そのため、誰もその記事を書こうとはしあいのだ。
「触れてはいけない事案」
として、アンタッチャブルな世界の出来事のようになっているものを、この有事にわざわざ引っ張り出すようなことをするはずがない、
さすがに、平時であれば、騒ぎ立てることがなければ、問題になることもなかった。だが、この伝染病禍が、誰も触ることをしなかったハチの巣をつつくことになってしまった。
一度、地盤がずれてしまうと、そこからはまるで虫歯のように、何かの治療を施さないと、痛みをとることはできない。
しかし、一度ひずんでしまったものは元に戻すことはできない。いかに、歪を大きくしないかということが問題であり、これ以上問題を大きくしてはいけなかった。そのためには黙っておく方がいいのか、ある程度のところで歯止めを利かさなければいけないのか、その治療法はデリケートであるのだが、放っておくわけにもいかない。
開けてはいけない、「パンドラの匣」を開けてしまうことになるのだ。その匣から出てきたものは果たして何だったのだろう?
謎の男の登場
前述の議員が言っていた、
「セックスはご褒美のようなもの」
という発想が広まるようになると、その意見に対して賛否両論が渦巻くようになってきた。
「セックスは神聖なものであり、ご褒美などという感覚は性の営みという人類の存在意義にも抵触することを冒涜しているようなものだ」
ということで、批判的な意見もあれば、
「いや、逆に規律正しい考え方になって、性犯罪に対しての抑止的な考え方になる」
という肯定的なものもあった。
しかし、この論争は結構歌劇になったわりには、論争のピークを過ぎると、誰も気にしなくなった。そのこともあって、県議会での意見としては、
「この問題を無難に解決するには、何か仮想敵のようなものを作って、そこを犠牲にすることで、収拾にこぎつけよう」
という考えが生まれた。
その仮想敵として選ばれたのが、風俗だったのだ。
「風俗営業というのは、今までであれば必要だったのかも知れないが、意見が真っ二つに割れたまま、世間も急に話題にしなくなってことで、ここいらで話題時代を収束させないと、このままいけば、永遠に取り残される案件として、社会問題にくすぶり続けることになる。ここをうまく収めるための仮想敵のような存在として風俗営業に犠牲になってもらおうということで、今後の法改正は、風俗営業に的を絞ることにしましょう」
ということになった。
さすがに、国立には容認できることではない。
「それは、風俗を一方的に悪にしてしまって、責任をすべて風俗に押し付けるという考えは危険だと思います」
と国立は言った。
「しかし、何かを犠牲にしなければいけないわけですからね」
という他の議員に対して、国立議員の言い分としては、
「皆さんお忘れですか? この伝染病禍において、最初の緊急事態宣言下において、パチンコ業界が、どういう目に遭ったのかということを」
と、力説した。
最初に緊急事態宣言というのは、ロックダウンほどではないが、現行法での日本における最大の対策であった。
その頃は、その伝染病がどのようなものなのか正体も分からず、しかし、実際に感染者が多く、亡くなる人も少なくなかったことで、皆が一律に恐れていた。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次