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着地点での記憶の行方

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 国が出す宣言に対しても皆がしたがっていて、実際に国が出した宣言が遅いと言われるほどに、先行して民間企業も自主的に休業や時短営業をしていて、市民も、不要不急の外出をしなかったということもあった。
 もっとも、市民が出歩かなくなったことで客が減って、店を開けているだけで赤字が膨れるという店もあって、経営のために自粛していたところもあっただろう。
 そんな中、一日店を閉めることで、死活問題となり、国からの補助ではとても足りない業界がパチンコ屋だった。
「営業しているパチンコ屋がある」
 ということで、それがネットで拡散され、
「ルールを守らない店がある」
 と言われ、誹謗中傷の的になるというパターンもあったが、それよりも、
「開いている店があるなら、俺たちも行こう」
 とばかりに、開店している店に客が集中して、何のための自粛なのか分からなくなったことがあった。
 しかし、実際にはパチンコ屋ではクラスターなど起こっておらず、しかも業界全体での自粛に従った率を見れば、ほとんどの店が従っていたのだ。それなのに、まるですべてのパチンコ店が、
「悪である」
 という誹謗中傷が広がり、沈静化するまでは、社会問題となったほどだった。
 冷静になれば、なぜパチンコ屋が攻撃されたのか、理由は分かっても納得できるものではなかった。それなのに、皆が騒いだのは、マスゴミによる煽りと、パチンコ屋のギャンブル性と、昔のブラックなところが攻撃される理由となったのだろう。何かを仮想敵にしないと、有事の際の団結力を必要とする自体には対応することができないという問題であった。
 一人の悪いことをする人間がいるだけで、まわりにいる人まで皆悪人だと思われるのは、あるいみ。「あるある」と言ってもいいだろう。パチンコ店にしてもそうだし、何か決まったことを破る人がいれば、それは同じことである。
 路上喫煙などもそうだ。
 路上喫煙は、今の段階では法律的に禁止されているわけではないが、県などの条例で、禁止になっている地区が存在するのも事実で、一人咥えタバコなどをしている人がいれば、普通に見て、
「喫煙者皆、路上喫煙しているんじゃないか?」
 と、そんなわけはないのに、そう思えてくるのも無理もないことであろう。
 だから、本当に文句が言いたいのは、喫煙者であり、
「公園や路上で喫煙している連中に対して、不満を持っている人はたくさんいるだろうが、本当は一番文句がいいたいのは、ちゃんとルールを守って吸っている俺たちなんだけどな」
 と、言いたいのだろう。
 意外とそういう心理を分かっていない人が多く、
「特に路上喫煙している連中には、喫煙者皆が、自分たちの味方だ」
 などと思っている連中が大いに違いない。
 まったくのお門違いの考え方である。ルールを破る連中がいるから、真面目にルールを守っている者までもが、禁煙車から白い目で見られる。これほど嫌なものはないだろう。
 パチンコ店なども、そうではなかったか。
 自粛をお願いしていて、営業しているパチンコ屋が誹謗中傷を浴びせられて、一番理不尽に感じていたのは、真面目に要請を受け入れて、営業を自粛していたパチンコ店ではなかっただろうか?
 いくら自分たちは守っていたと言っても、自粛が解除になって、営業を再開できるようになっても、
「あの時にパチンコ店は世間から攻撃された」
 ということで、この時をいい機会にして、パチンコ遊戯をやめようと思った人も結構いたかも知れない。
 しかも、あの時、開いている店を目指して、客が殺到しているのを見ると、それは、殺到する客が、自粛願いを無視して開けていた店と同じで、パチンコファンは、その時に自粛していたお店と同じ立場でもあった。
 客とすれば、自分たち迄、あの時に開いている店に群がった心無い客と同じだと思われるのを嫌っていたに違いない。
 実際に、たった短い期間だけの自粛なのに、それも守れなくて、わざわざ開店前に列を作り、しかも、マスゴミに対してインタビューに応じているのを見ると、
「あんな情けない連中と同じだとは思われたくない」
 という気持ちが強くなっていった。
 緊急事態宣言が解除されて、晴れて開店できるようになっても、かつてのような集客が望めるわけもなかった。
 これは、他の飲食店などにも言えることで、政府の対策も最悪だったこともあり、経済や普段の生活は、ゆっくりとした坂を、着実に地獄に向かって歩いて行っているのであった。
 ただ、仮想敵になりやすいものは、社会の中でたくさん存在している。一歩間違えると、自分たちが仮想敵にされなけないだろう。だから、いくら社会が疲弊してきて、それを少しでも耐えようとして、安易に仮想敵を求めたりすると、何かあった時には、すべて仮想敵を作って、そこに世間の目を向けておいて、逃げ出すという体制が出来上がってしまいそうな世の中になっていた。
 それを常套手段に使っているのが政府なのだから、辞退がよくなるわけもない。
 しかも都合の悪いことからはすべて逃げ出し、何かをしようとすれば、説明責任が求められるのに、責任を果たすこともなく、下手をすれば、毎回同じことを言って話の論点を他に逸らそうとして、結局、政府は国民から信頼を失う一方になってしまっていた。
 本来であれば、有事の時には、政権政府の支持率は上がるのが普通である。こういう時こそ、現政権と二人三脚で事態を乗り越えようという心理が働くからである。
 しかし、日本は政権支持が右肩下がりでどんどん落ち込んで行って、危機的状況になったまま、ずっとそのままということが多い。その一番の理由は、他に誰がなっても一緒だということが国民の頭にあるからで、それが責任政党だというのだから情けない。
 しかも、対抗野党がそれに輪をかけて酷い。
「批判だけして、策をまったく出さない」
 という、そんな腐った連中ばかりであった。
 一つの何かをターゲットにして、そこに集中砲火をするというのは、政策的に方針を示す。悪く言えば、
「やってます感」
 を出すにはちょうどいいのだ。
 そのターゲットにされたのが、この時の風俗であった。
 もちろん、条例なので、下手をすれば知らない人が多いということもあり、利用する人だけしか知らないことになってしまうだけに、大っぴらに禁止もできないのだが、今回の伝染病禍において、県議会がちゃんと政策を打っているということが分かればよかった。
 下手をすれば、中身はそれほど問題ではなく、市民が納得できればそれでよかった。
 しかし、風俗営業に携わっている人たちはどうであろうか?
 いきなり悪者にされてしまって、
「以前のパチンコ屋と同じではないか?」
 とばかりに県議会に講義を申し出たが、了承されるはずもない。
 今回の法律は、店の規模によって、キャストの数を制限するというもので、いわゆる、
「架空出勤をなくす」
 という意味もあった。
 これは客側からすればありがたいかも知れない。店が出勤するかどうか分からない女の登録しておいて、客に店に対して感心を持たせておいて、さらに露骨な店では、本当は出勤もしないキャストをあたかも出勤するように見せておき、客に予約をさせ、その日になって、
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次