着地点での記憶の行方
確かに、彼は一部の有形者から、絶大な人気があり、若手の中では行動的で、誠実でクリーンな議員ということではあるが、実際に彼が議員として、何か大きな成果を挙げたわけではないので、そこまでの話題性は、その時点での彼にはなかったのだ。
そのおかげで、仕事を終えた彼は、あまり同僚と飲みに行ったりすることもなく、日頃のお香を節約し、そして、月に一度くらいの割合で、風俗に行っていた。
もちろん、自分が議員であることは誰にも行っていない。思潮や県知事のような知名度が高く、さらにはテレビなどで露出度が高ければ、中には分かる人もいるだろうが、一介のただの県議会議員の一人である。顔を知っている人がいるとは思えなかった。
彼は、県議会議員になる前から、風俗通いは趣味であり、馴染みのお店ができるまで、何軒も通ったものだった。この県では風俗街は一定地区に固まっていて、しかも、ソープともなると、その街の一角にあたる、
「一丁目」
と呼ばれる地区、つまりは、
「新地」
と呼ばれる場所でしか、開業してはいけないという県の条例があるのを知らない人がほとんどであろう、
県議会議員になる前からそのことは知っていたほど、国立はソープ通だったと言えるだろう。
彼が県議会議員になってから、少しして、世界が一変してしまった。それまでは、行動が法律違反でなければ、ある程度縛られることはなかったのに、例の伝染病禍によって、マスク着用、複数人での会食、イベントの中止などという社会生活における変化もあれば、それによって、政府による行動制限の自粛レベルでの、
「お願い」
などから、自由な行動ができなくなった。
そのせいもあってか、風俗にも通うことができなくなった。さすがに県議会議員という自粛をお願いしている立場の人間が、濃厚接触に当たる場所に通って、もし伝染病に罹ったとなると、これは大問題である。
そこから、クラスターなどが起これば、議会の停止は余儀なくされ、自らは議員辞職に追い込まれることだろう。
そうなっては、何のために心機一転して県議会議員になったのかということを考えると、伝染病に罹るというのは、実に本末転倒なことであった。
少なくとも、ワクチンが皆に摂取されて、完全なる収束が望めるようにならなければ、一番行ってはいけない場所になってしまったのだ。
県議会議員として、伝染病禍の間の活動は、結構目立ったものだった。その間に県では条例がいくつか作られたり、改正されたりと、伝染病禍における法律でいう特措法のようなものの整備が勧められたのだ。
その間、風俗に行けないことで、ストレスも正直溜まっていたこともあり、条例の改正に携わっている間も、どうしても頭の中では風俗のことが離れなかったりした。
伝染病禍において、改正される条例の中には、風俗営業に関連するものもあり、それが伝染病禍における営業自粛要請ができるということで、飲食店や、居酒屋などとは少しレベルの違う制定が必要になる。
もちろん、
「どこからが、濃厚接触になるのか?」
というところが一番の焦点であったが、このあたりは、医学の専門家の話が必要だったりするので、当時医療ひっ迫も懸念されていたこともあり、条例改正に医療関係者を一人と言えども介入させることはできなかった。
そのため、これらの条例改正は、ある程度禍が収束してからでないとできないということは、暗黙の了解でもあった。
国立議員としては、
「なるべく早めに審議して、条例を通したいという事案ではあった」
と感じていたのだ。
そのうちに、彼が危惧していた婦女暴行事件が実際に増えてきた。それも犯人の多くは、伝染病禍で仕事を失ったり、いわゆる家庭不和により家庭を失ったりした人が精神的に病んでしまったことで起こす事件が多かったのだ。
そんな中で、一人の議員が、トンチンカンなことを言い出した。
「最近の、この婦女暴行に関係する事件の原因は、モラルの低下にあります。実際に若い連中がセックスをできないことで、精神的なストレスが身体に影響し、むやみやたらに女性を襲うという無法地帯に入ってきています。そういう意味でもモラルに反するような社会の敵となるような職業を、少しでも減らしていくことを提案します。そういう意味で、まずは風俗営業を根本からなくしていくようにできるよう、私は提案いたします」
というのだ。
もちろん、最初は議員の中からも、その提案に疑問視する声が多かった。
「それは、少し考えが偏っているんじゃないですか? 風俗営業がすべて悪いというのは少し違うと思うんですが」
という意見に対しては、
「確かにすべてが悪いと言っているわけではありません。ただ、性行為にしても、恋愛にしても、それ以前に人間としてやるべきことをやったうえで、楽しんだり、相手と気持ちを通わせたりするのが道理だと思うんです。風俗営業で簡単にセックスできる。要するに何も達成することもなく、いや、そもそも目標も何もない人間が、快楽だけを求めるようにセックスを簡単にできるという考えがおかしいというんです」
と声を荒げている。
この話に対しては、最初に違和感を示した人の中にも、賛同しているような人もいた。県議会の議員たちは確かに、大いなる志を持って政治家になった。そして、今後自分の目指すものを、どんどん達成していくという目的に向かって進んでいる。れっきとした目標も達成感を味わうことも分かっている人たちだ。それを前面に押し出されると、これ以上の説得力はないだろう。
そういう意味では、国立議員も、最初に意見を出された時に比べて、この意見を言われると、一理あると感じた。思わず賛成にまわるところだったことに対し、自分でもビックリしているくらいだった。
確かに彼のいうように、セックスというのは、家族計画という意味では大切な営みであるが、それ以上に精神的な支えとして必要なものだと思っている。
しかし、それも、あくまでも自分に目指すものがあって、それを目指しながら、疲れた身体や精神を癒すために行う儀式だとも思っている。
そういう意味では、セックスろいう行為だけに関しては、不倫や浮気というのを全面的に反対する気持ちにはなれない。
確かにまわりに対して変な印象を与えてはいけないという思いから、一応は、
「不倫反対論者」
の一人のように思われるように、振る舞ってきたが、不倫という行為自体には、さほど悪いものだという意識はない。
大体、世間で有名人が不倫をしたということがよくニュースになるが、人によって、その記事に対しての意見では、
「不倫というのは、プライベートなことであって、それを他人がとやかくいうのは別に違うんじゃないか? 放っといてやればいいじゃないか」
というのを見かける、
国立議員も、
「そうだよ、その通りだ。夫婦の間では修羅場になるかも知れないが、それを世間がとやかくいうことは間違っている」
と思っていた。
だが、有名人による不倫がバレたことで、その人がドラマやCM契約をしている相手から、契約解除であったりされると、世間には知らせないわけにはいかない情報になるのだ。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次