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着地点での記憶の行方

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 そういう理由が元で離婚している人が多く、離婚理由の中には、もちろん、相手や自分に離婚するだけの実質的な理由がある場合が一番多く、浮気や不倫などがその代表例であろう。
 さらに性格の不一致という、実に都合のいい表現で、理由をごまかす場合もあるが、子供を持ったことで、夫婦間がぎこちなくなってしまったという夫婦もたくさんいる。
 その中には、子供の世話をするのが母親の役目だとして、育児を奥さんに押し付けている男性がまだまだ多いのも事実だ。社会背景もあるのだろうが、まだ、この問題にどこまで社会が対応できているのか、正直疑問である。
 ただ、子供ができたことで、性生活が狂ってきた家庭もあるだろう。何と言っても、それまで夫婦二人、男女が寄り添って生きてきた中に、いくら自分たちの子供とはいえ、一人増えるというのは、性生活という意味では大きな問題だ。ここから先は理屈ではない。身体と精神のバランスが求められるもので、どちらかがよければいいというものでもない。
 また、結婚してすぐに別れるという夫婦もいる。これは思い込みが生んだ悲劇ということもあるだろう。
「この人なら、一生添い遂げられる相手だ」
 と思って結婚したはずなのに、結婚生活を始めると、最初にいきなり、
「あれ? こんなはずでは」
 と思ったとすれば、それはかなり強烈な印象を残すことになる。最初に崩れてしまった相手に対しての印象は、時期が浅ければ浅いほど、拭うことは難しくなる。明らかに自分が思い込んでいたということが判明するからだ。
 結婚してしまったのだから、もう後戻りできないという思いがプレッシャーになり、余計に相手を見る目を鈍らせてしまう。最初のショックが大きければ大きいほどそうなのだろう。
「だったら、早い方がいい」
 と言って、別れてしまう。
「成田離婚」
 などという言葉が流行ったが、まさにその通りであろう。
 性格の不一致以外に、肉体的な思い込みが別れを進行させることもある。結婚するまでというのは、
「毎日でも、セックスができれば幸せだろうな」
 と思って結婚すると、今度は毎日でもできる環境になったことで、自分が、もう他を選ぶことができなくなったことを初めて痛感する。
 その思いが、結婚してしまったことに対しての後悔になり、自分の性欲を見誤っていたことに初めて気づき、その時、
「結婚する相手と、交際相手は違う」
 と言われていることを痛感することになるのだ。
 その考えが、今の世の中での、風俗を支えていると言ってもいいかも知れない。
 昔は風俗というと、
「童貞を失う記念に行くか、モテない男が疑似恋愛のために、身体の快感を求めていく場所」
 ということになっていた。
 今も、それには違いないが、結婚してすぐから、奥さんに対してのセックスに、
「飽き」
 というものを抱いてしまったことで、離婚する代わりに、浮気であったり、不倫をするという人が増えたことも、社会問題となっていた。
 だが、浮気にしても、不倫にしても、果たして何がいいというのだろう?
 家庭を破壊し、修羅場となり、慰謝料の問題から、さらには社会的な立場のある人間であれば、今のようにSNSの普及した時代、どんな誹謗中傷が飛び交い、下手をすると、あることないことを書き立てられ、離婚するということだけで済まされなくなってしまうことも得てしてあるだろう。
 社会的信用を失うと、仕事も失い、その後の信頼回復には、どれほどの時間と労力が必要か。
 信頼を失うのはあっという間だが、信頼を取り戻すのには、その数倍の時間と労力が必要なのだ。それを考えると、迂闊に不倫などできないはずなのに、決してなくなることはない。むしろ、増えていると言ってもいいだろう。
 不倫をしたことのない人間には分からないが、不倫には、どこまでの感情が含まれるのだろう? 正直、表で大っぴらに歩ける間柄ではないことは確かである。二人の世界に入りこんでお互いに心に傷持つものとして、傷を舐めあっているだけだとすれば、不倫の価値というのはどこにあるというのか、
 癒しなどを求めているのだとすれば、
「風俗という疑似恋愛ではいけないのか?」
 ということも考えられる。
「お金で繋がっている疑似恋愛なんて、虚しいだけだ」
 という人もいるかも知れないが、では不倫というのはどうなのだろう?
 少なくとも、不倫というのは、どちらかが配偶者を持っている場合である。昔であれば、
「姦通罪」
 などという名前で法律上禁止だったのだが、今はそんな法律が存在する国は、ほとんどないはずだ。
 法律上問題なければいいのかということになるが、不倫で離婚問題が発生すれば、不法行為などという理由での慰謝料などが発生するのだ、少なくとも民法上では、
「法律上の問題」
 ということになる。
 しかし、風俗での疑似恋愛に関しては、売春でもなければ、不義を働いたことにもならない。もちろん、不貞ではないのだから、離婚の理由にもならない。
 もっとも、旦那が風俗に通い詰めてしまっていて、生活費を家に入れないなどという、結婚生活に支障をきたす場合は別であるが、少なくとも風俗営業法をキチンと守っているお店を利用していることは、何ら問題ではない。
 むしろ、風俗は法律で認められた市民権を持っている商売であり、そこに違法性は考えられない。市民権を持った商売が人間の性をお金で売るというのだ。他のサービス業と何が違うというのだろうか?
 それを考えると、逆に風俗は、犯罪抑制にも役立っているという意味で、絶対的に世の中には必要なものである。それは、誰もが分かり切っていることであり、ギャンブルのように、一歩間違えれば、犯罪に傾いてしまうかも知れない業種でも、法律で守られているのであるし、不倫で揉めることを思えば、風俗は悪いことではない。
 もっとも、配偶者が、
「どこまでを不倫と考えるか?」
 ということであるが、少なくとも風俗を不倫と同じ次元で考えるということはないだろう。
「不倫は社会道義的に許されないかも知れないが、風俗は問題ない。むしろ、不倫に走る前のストッパーとして利用されるのであれば、逆に必要なことではないか?」
 と考えられているようである。
「人間は恋愛をしなくても、その前に存在するドキドキ感を得ることができれば、それで満足するものだ」
 という考え方もあるが、風俗での疑似恋愛というものは、その発想になるのではないかと、国立は考えていた。
 国立議員は、頭もキレて、政治家としてはクリーンで、誠実味があり、有権者からは絶大な信頼があった。しかし、そんな彼も、人間としては前述のような秘密があった、それは風俗通いが趣味と言ってもいいほど好きだということだ。
 それを本人は別に悪いことだとは思っていないが、そこは政治家ということもあり、なるべくマスコミに知られないように密かに通っていたのだ。
 まあ、まだ風俗に通うくらいでそれがスクープになるほど、彼の知名度は高くないので、マスコミの中には、彼が風俗通いをしていることを知っている人もいるだろうが、そこまで話題になることはないとして、ニュースになることはなかった。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次