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着地点での記憶の行方

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 そういう意味で、婦女暴行事件を、被害者側が裁判沙汰にするということに至る事例は結構少なかったりする。今のような実例を相手の弁護士に聞かされてまで、裁判を起こそうとは思わないだろう。
 人によっては、
「ハチに刺されたと思って諦めるしかない」
 と思っている人に、裁判の話が出たとしても、せっかくまわりに分からないようにしていたのに、裁判など起こすと、まわりにバレてしまって、関係がぎこちなくなり、その場にいられなくなる可能性もある。
 それは、避けねばならないことだった。
 ただでさえ、婦女暴行事件というのは、女性にとって理不尽な事件であるにも関わらず、表に出ることが少ないということで、事件が減ることはないと思われた。
 ただそれは、あくまでも論理的に考えてのことであって、実際の犯人は、毎回違うし、被害者も当然違うのだ。その時々で考え方も違えば、ケースも違っている。
 清水巡査が考えた、
「事件が増えるかも知れない」
 と思ったのは、
「これまではマスクをしていたことで、顔が分からなかったが、マスクを外すと皆、綺麗に見えてくることで、その人の顔のバランスや表情から、性格が分かってくるということから、犯罪が増える」
 と思ったことだった。
 それは、自分の好みの女性というよりも、
「この人にだったら、自分の身体が反応する」
 という感覚からではないだろうか。
 特に精神的なショックから反応しなくなったのだから、まずは、身体が反応する相手を探すというのが、肝になってくる。もし、そこで自分の身体が反応することが分かれば、これが犯罪であり、有罪となり収監されたとしても、自分を取り戻すことができたと思えば、これをリスクと考える人もいるだろう。もちろん、被害者は世間のことをまったく考えないということからの発想でしかないが、それだけ、彼の被ったトラウマは異常であり、倫理であったり道徳を凌駕したものだと言っても過言ではないだろう。
 要するに、損得勘定が優先するということだ。
 そういう意味でも、まずは成功するということが大前提になってくる。成功しなければ、未遂で終わったとすれば、罪が軽くなるか、相手も訴えるというところのリスクを犯すまでは考えにくいのかも知れないが、そもそもの問題解決には至らないだろう。
 逆に一度勇気を出して行動に出て、それが未遂に終わってしまったとすれば、そんな中途はBパな結末を迎えたことで、本人は二度と、犯罪を犯すことはない代わりに、二度とこの苦しみから逃れることはできないだろう。
 そうなると、精神疾患は別のところに転移する形で、治ることのない不治の病のようになることだろう。婦女暴行という犯罪には手を出すことはないかも知れないが、他の犯罪に手を出す可能性は、限りなく高いと思われる。
 特に一度未遂とはいえ、行動してしまったのだから、病を治そうとした時に、最初に考えるのは、犯罪になるに違いない。それがこれからの彼にとっての逃れられない宿命となるのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、
「このままいくと、マスクを外したことで、相手の女性のことが分かるようになり、襲いたいという衝動に駆られてしまう人が多くなるのではないか?」
 と考えるからだった。
 もし、他の人が同じように、
「マスクを外す女性が増えたことで、性犯罪が頻発するのではないか?」
 と考えたとしても、その主旨が違うのだ。
 他の人は、あくまでも、ターゲットになる女性が自分の好みであったり、単純に美しく見えることで、犯罪が増え、そこに模倣犯が絡むことで、さらに増えると思うのではないかと考えると思うのだ。
 しかし、清水巡査の考えは、ターゲットの女性は自分の好みとか単純に可愛いなどという安易な目標ではないということであった。身体が反応するということ、そして、犯罪は成功しなければならないという考えが最優先であるということから、他の人が感じることよりも、よほどシビアにこの事件を危惧しているのだった。
 確かに、他の人が考えていることの中には、その時の世相を想像してのことであるので、シビアな考えには他ならない。
 理不尽な世の中。一生懸命に仕事をしようとしても、その環境が完全に壊れてしまっている。仕事をしたくても、会社から首を切られ、客にサービスを提供しようにも、店自体が休業要請を強いられ、潰れるのを黙って待つしかないという理不尽な世の中である。
 それを思うと、自殺者が増えるか、犯罪者が増えるか、その両方であることは明白である。
 強盗などの犯罪、理不尽な世の中に絶望して、欲望を最前線に出した犯罪。これらが増えるのは分かり切っている。だから、マスクを外した女性の美しさを考えると、犯罪は増えるのだ。
 同じ増えるという結論であっても、その傾向はまったく違っている。
 清水刑事は、他の人が考える犯罪も増えるかも知れないが、それ以上に危惧しているのは、精神に疾患があったり、トラウマから犯罪を起こす連中であった。
 他の人が考える犯罪の増加の原因として一番強いのが、
「伝染病禍」
 によるものだということであるが、清水巡査の考える犯罪増加の原因の優先順位の一番は、伝染病禍ではない、あくまでも、
「マスクを外したこと」
 に起因する、自分のトラウマの解消であったり、異常性癖によるものだという違いがあるのだ。

              家庭崩壊

 似たような発想をする人間が、清水巡査以外にもいた。ただ、その人がマスクによる暴行事件の増加を危惧し始めたのは、実際に伝染病禍が収束しかかった頃で、清水巡査に比べれば、数年後のことであった。
 何しろその頃になると、清水巡査は刑事に昇格し、清水刑事と呼ばれるようになっていたのだ。
 このことを危惧し始めた男性というのは、警察関係者ではなく、政治家であった。年齢的にはまだ四十五歳と政治家にしては若く、
「青年政治家」
 と言ってもいいくらいの、新進気鋭の人物だった。
 名前を、国立誠一郎という。
 彼は、三十八歳で県議会議員に初当選し、甘いマスクも手伝ってか、若い女性に人気があった。だが、ただのイケメン政治家というだけではなく、しっかりとした信念を持った政治家であり、ビジョンもハッキリとしているということで、県議会の中でも期待された若手だった。
 その彼は、伝染病禍において、県議会の一人として、現場でいろいろと動いた実績は実際に評価に値するものだった。有権者に一番向き合う立場だっただけに、さらに彼の評判はうなぎ上りであったが、彼には後述のような秘密もあった。
 そんな彼が気にしていたのは、少子化問題であった。
 ただでさえ、生活に不安があったりすることで、子供を産む女性が減っているのである。それどころか、結婚すらしようとしない人が増えている。別にもてないから相手もいないので、結婚しないという分かり切った理由で結婚しないわけでもない。
 人それぞれであるが、結婚しても、自分の自由が束縛されるということで結婚しないという人も多いだろう。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次