小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

着地点での記憶の行方

INDEX|5ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 確かに公園などは、ほとんど人もおらず、閑散としているので、ほぼ何も起こらない気がしていたが、彼が気にしていたのは、街中での、工事中のビルなどであった。
 ちょうど、最近は、老朽化したビルの立て直しなどに伴って、街を挙げての区画整理などを行おうというところも結構あったりして、伝染病禍の前は、街を歩くと、至るところで道路工事をしていたり、ビルの建設ラッシュになっていた。
 だが、緊急事態宣言ということで、そのほとんどの工事が延期されてしまった。取り壊されたビルが、シートをかぶされたまま、場所によっては、赤色のコーンにまるでクリスマスツリーの電飾のように、光っているところもあるが、そのほとんどが、照明もついていないような場所だったりする。
 そもそも、照明をつけるのは、防犯を目的としたものであって、人がほとんど歩いていないところでつけるのも意味がないとでも思ったのか、それとも、照明があると、人が湧いて出てくるという意識からなのか、照明をつけていないところが多い。その理由が同じ原点でありながら、発想がまったく逆になっているというのは、実に面白いことではないだろうか。
 そんな夜の街が、いつになったら、活気があふれる街になるというのか、誰も想像できないだろう。想像することすら不謹慎な気風になっている。それだけ、世間や経済が疲弊しているということであろう。
 そういうこともあって、ほとんど皆が、その日をいかに暮らしていけばいいのかという目先のことばかりを見てしまっているので、気付かないことも多いに違いない。
 だが、そんな状況でも、先々のことを考えている人もいる。それが、清水巡査だったのだ。
 清水巡査は他にもたくさんの危惧があり、今から記すのは、その中の一つでしかないわけだが、その後に大問題となってくることから、触れておくべきことでもあった。
 それが、前述の婦女暴行事件の考え方であるのだ。
 確かに伝染病禍にて、婦女暴行事件は減ってきているのだが、その理由を、
「前述のような理由だけで判断していいのだろうか?」
 ということであった。
 ある意味、婦女暴行事件に及ぶに至る犯人というのは、精神的に病を負っていたりするという、異常性癖の人たちが多く、本来なら精神疾患から疑ってみるべき人たちの犯行なので、まともに正面から考えただけではいけないというのを、どこまで警察の方で分かっているかということである。
 こういうことは、意外と最前線で捜査する刑事であったり、警官の方が分かっているのではないかというのは、よくあることであり、その発想が些細なことであることから、どうしても、考えが自分の域を出ない。
 今回感じた清水巡査の思いというのは、
「マスクをしている弊害」
 という考え方だった。
 清水巡査が考えている、婦女暴行という犯行が、伝染病禍で減ってきたということの理由の中に、マスク問題が含まれていると思っている。婦女暴行事件を、一つの枠に当て嵌めてしまい、犯人の性質を一絡げにしてしまうとこの発想には行きつかない。つまりは犯人の特徴として、
「犯人は男なのだから、好みの問題もある」
 ということである。
 いくら妄想で身体が動いてしまって、犯行に及ぶものだとはいえ、さすがに、行動すればどうなるかということくらいは想像できるだろう。それでもやるのだから、逆に失敗は許されない。実際に暴行して、その際に身体が反応しなければ、何のために犯行に及んだのか、本末転倒な結果になってしまう。そうなると、自分の身体が反応するであろうと思われる相手を十分に物色する必要がある。
 もっとも、衝動的な犯行であれば、その限りにはないだろうが、少なくとも、時間や場所を決めておくという時点で、計画的である事は明らかだ。そうなると、計画が現実的になればなるほど、失敗が許されないという理屈は、おのずと生まれてくるのであった。
 普通の男性であれば、相手を選ぶという行為は、重要であるが、普通に当たり前と思うことで、そこまで意識せずに、無意識に考えられることであろう。
 しかし、性癖に問題があり、童貞を失うために勇気を出して挑んだ風俗で、まさかの精神疾患に対してのタブーを言われてしまったことで、トラウマとなり残ってしまったことの現実は、無意識などという言葉では解決できるものではない。しっかりと自分でその事実を受け止めて、解決策を見出さなければいけないことであり、ただでさえ、精神的に無理があるのに、その無理をさらに意識しなければならないというのは、ハードルが高いであろう。
 それでも、克服するためには、幾ばくかのリスクを伴わなければいけない。他の人から見れば、犯罪であり、異常性癖による犯罪などというのは、撲滅しなければいけないものとして片づけられてしまうのだろうが、犯罪を犯す方にも、それなりの言い分があるのかも知れない。
 だから、犯罪を犯す連中は、これを犯罪として意識していないのかも知れない。いや、犯罪であるということは理解していると思う。ただ、それが倫理上、法律上のいい悪いという感覚ではなく、犯罪というものがどういうものなのかという観点から見ているのだろう。
 つまりは、犯罪を犯して、それが分かってしまうと、警察に捕まって、裁判を受け、有罪か無罪の判決を受け、有罪になれば、刑務所に送られるものだという、形式的なことは分かっているのだろう。
 だから計画もするのだし、なるべく捕まらないようにしようという考えもある。ただ、それが相手がどう感じるか、社会的な影響、そして、自分の将来にどのような影響があるかということまで考えられているかどうかは分からない。
 ある意味、犯罪であっても、彼らのような人間にとっては、
「一種のリハビリのようなもの」
 という認識しかないのかも知れない。
 そうなると、前述のように、
「失敗は許されない」
 という考えに至るのだろう。
 警察に捕まるというリスクを犯してまで行うリハビリなのだ。まずは成功しなければいけないと考えることであろう。
 そのためには、失敗しないための計画を立てるのは当たり前のこと。綿密に場所や時間帯の計画を立て、警察の目を盗むということや、人の目につかないというようなことも当然最初に考えるべきことである。
 もっといえば、ターゲットを絞るとすれば、その人の性格も考える。
 何かあった時に、すぐに誰かにいうような人は絶対に避けなければいけない。襲われて羞恥に身を震わせる内気な女性であれば、
「恥じらいから警察に訴えるようなことはしないだろう」
 という考えも出てくる。
 しかも、法律を勉強していれば、今の法体制では、裁判所に女性が証人として出廷させられ、言いたくもないことをどんどん質問され、さらには、
「あなたにも、落ち度があったのでは?」
 などという、相手の弁護側からの辛辣な尋問があったりなどすれば、却って訴えている自分が、まるで悪者であるかのような錯覚に陥り、
「こんなことなら、示談金を貰って、訴えを取り下げた方がマシだ」
 という結末を迎えるというのも、結構あったりする。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次