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着地点での記憶の行方

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 さらに、このことを危惧していた時期は、まだ禍が起こっての初期の段階だった。
 全世界の人間が、まだ禍の正体を分かっておらず、どうすればパンデミックを抑えられるかという問題に直面し、第一に優先されるべきは、
「パンデミックの抑制」
 だったのだ。
 それなのに、照明もできない、ただ、危惧されているというだけのことを、その段階で警鐘を鳴らしたとしても、誰もそんなことに耳を貸すとは思えない。
「学者の一部が、根拠もないことで警鐘を鳴らしているだけだ」
 ということで、もし、マスコミがこれをネタにして記事を書いても、世間から見れば、
「今の時代に何を言っているのか、優先順位が違う」
 ということで、相手にされないだろう。
 マスコミもそんなことが予想されるような話を記事にすることもない、もし、記事にするとすれば、新聞のコラム欄で、チラッと一度紹介されるくらいで、もし見た人がいたとしても、話題になることはないだろう。
 だが、その時はそうだったのかも知れないが、次第にパンデミックの正体も解明されてきて、ワクチンだけでなく、治療薬、特効薬迄作られるようになると、気を付けることも決まってきて、一旦、完全に収束させることができると、あとは、インフルエンザのように、希望者には予防接種を受ける体制を整え、伝染しないような医療体制を構築させるだけだった。
 それは、一度収束してしまってからであれば、急速に進めることができる。解明、収束までに紆余曲折を繰り返し、何年もかかって辿り着いたことで、やっと世界にパンデミック前の生活は戻ってきた。
 感染予防として、マスクの着用、換気の徹底、外出から帰ってきた時、店への入店時には、必ずアルコール消毒と、手を洗うということの徹底など、パンデミック下では、日常生活では、当たり前のことになっていた。
 少しずつそれらのことがなくなっていき、生活が元に戻ってくる。ただ、だからと言って、すべてを一気になくしてしまうということもない。伝染病には皆が敏感になっているので、他の伝染病が流行りそうな時は、これらの予防策を皆が徹底する体制が出来上がっているというのは、ある意味、パンデミックにおける、
「よかったこと」
 と言えるだろう。
 特に、この禍が起こってからというもの、例年、冬になると、インフルエンザが猛威を振るい、今回の禍の間に、
「両方が流行ってしまうと、どちらのウイルスにやられたのか、治療で混乱するのではないか?」
 という最大の危惧があったのだが、なぜか、インフルエンザの流行はなかった。
 言われていることとしては、
「対策のための、マスク着用やアルコール消毒の例年にない徹底が、インフルエンザの流行を抑えきっているのだはないか」
 という研究であった。
 一定程度はインフルエンザも抑えきれるということが分かったということも、今回の感染対策による。
「よかったこと」
 の一つだろう。
 こんな世の中において、なかなか誰も気付かなかったことが、怒りつつあった。
 「夜間の女性に対しての婦女暴行事件が、この禍期間の間に一気に減っていた」
 ということは、警察の白書などでも分かっていることであったが、これに関しては、ある程度予想ができることであった。
 そもそも、夜間外出が自粛要請され、夜の店も休業するようになれば、夜表を歩いている人も減ってくるだろう。
 しかも、婦女暴行事件のように、密着して暴行することで、自分の性欲を満たそうとする連中の異常性癖を満たすものなだけに、感染の危険性が高いのに、そこまでする勇気が果たしてあるかということも考えられた。
「そもそも、女性に声を掛けることができないような気の弱い連中の犯行ではないか」
 というのが、夜間の婦女暴行事件だと思われていたのだが、実際には少し違うかも知れない。
 中には、声を掛けられないというのが、勇気に関係していることではなく、女性から言われたことで、自分の性が委縮してしまうという、全体的な勇気のなさではなく、身体の一部と精神面での一種の病気がもたらすもので、人を襲うという快感から、身体の反応を促すという、こちらも精神的な面での行動となるので、勇気の問題で片づけられないところがある。
 例えば、
「相手が目隠しをされているなどして、こちらが分からない状態であれば、自分にも性行為ができる」
 ということであったり、自分の中で相手を征服しているという感覚がなければ、身体が反応しないなどという場合が、犯行の理由にはあるのだろう。
 もちろん、それだけではないのも間違いないが、それでも、彼らにとって、全体的に臆病な人が多いというのも、間違ってはいないというものだ。
 そういう意味で、この時期に犯罪が少なかったのは一定の理解ができる。
 しかし、別の意味での犯罪が抑制された理由を分かっている人は少ないだろう。
 これらの犯罪は、よく言われているのが、女性に対して免疫のない人が、唯一男としての機能を持つことができる行動が、婦女暴行という歪な形によるものであり、彼らからすれば、
「精神病の一種で、仕方のない行動だ」
 と考える人もいるかも知れない。
 それでも中にはいろいろなパターンもある、
 たとえば、ずっともてなくて、彼女などできるわけもないと自分で思い込んでいるような男で、友達すらおらず、相談する人ももちろんいるわけもなく、勇気を持って童貞卒業に、風俗に行ったとしようか。
 その時に、相手の嬢から、軽い世間話の中での一環なのだろうが、その人にとっては致命的な精神的にも肉体的にも致命的なことを言われてしまって、何もできなかったとすれば、その人は、その時のことがトラウマになってしまい、女性を前にしただけで、身体が反応できなくなってしまう人もいるだろう。
 本当は、病院で診てもらうべきなのだろうが、相談できる人もいない状況なので、病院という発想に辿り着くこともできない。
 そうなると、彼の中では衝動的な妄想が生まれてくるばかりで、
「妄想の中だったら、何でもできるのに」
 と、自慰行為だけで悶々とした毎日を送ることになるだろう。
 猟奇的なビデオを見たりして、自分の欲望と妄想を満たすことで、自慰行為に結び付ける。一種の二次元に逃げる発想に近いのかも知れない。
 だが、中にはそこから猟奇的な犯罪を妄想としてではなく、自分の性癖をリアルで満足させる唯一の手段だと思い込んだとすれば、このような犯罪に足を踏み入れる男性も少なくはないだろう。
 そんな彼らにもパターンが存在するのかも知れない。
「誰もいいというわけではなく、自分の好きなタイプの女性に対してしか、行動できない」
 という人もいるに違いない。
 そのことを、清水が巡査時代に気づいていた。
 実は、彼は生態系に関しても若干であるが危惧していた。学生時代から、
「何事も最悪な場面を想像してしまう」
 という性格であり、それがいいことなのか悪いことなのか分からないでいたのが、彼の悩みでもあった。
 緊急事態宣言の中、夜の街を巡回し、特に、飲み屋街での警備に躍起になっている警察の目がすべてそちらに向いていることが気になっていたのだ。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次